第2話


 「私」の言葉に、男は異様な程食い付く。


「どういう意味だい?」


 やっぱり、親切心なんて起こすんじゃなかっただろうか。


 確かに頭の隅で悔みながらも、「私」は男へ忠告を続ける。


「……見えた事とか、触った事あるんで。幽霊なんて、関わらない方が幸せ」


「君見えるのかい!?」


 興奮した男は「私」の言葉を遮ると、物凄い勢いで駆け寄って来た。


 「私」がぎょっとして後退ると、男はかなり離れた位置で足を止める。


「い、いや、ごめんごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだ……」


「失礼します」


 「私」は背を向けると、山を下りようと歩き出した。


「ま、待ってくれ! その話、詳しく聞かせてくれないかな!」


 馬鹿野郎が。


 「私」は己に舌打ちすると、早足で歩き出す。


 すると男も歩き出して、決して手が届くような距離に近付きはしないが、見失いもしない距離を保って「私」の後を付いて来た。


 その距離をそれ以上詰めたら、走って脇に逸れる。


 「私」は男の足音と、道の両脇に意識を集中させながら口を開いた。


「付いて来ないで下さい」


「そう言わずに! 僕幽霊とか全然見えないからさあ!」


 山道が山の輪郭に沿って、緩やかな左カーブを描き始める。


 このカーブで死角が出来たら、全力で走って左脇へ逸れよう。


 斜面になっているが問題無い。山なら子供の頃にさんざ慣れ親しんでる。


 男は「私」を引き止めようと、猛然と喋り始めた。


「あのホテル、子供の霊が出るって噂だけれど本当かい!? ホテルのどこかに、殺されて遺棄された女の子の死体があって、捨て犬に食われて白骨化してるとか……!」


 カーブに入った「私」は前傾姿勢となり、全力を込めた右足を持ち上げた。


 すると鈍い衝撃音が響き、「私」の右足がアスファルトを踏み締めた音を掻き消す。


 音に驚いた「私」は、その場で棒立ちとなった。


 十数秒置いて追い付いて来た男が、立ち尽くしている「私」に声をかける。


「? どうしたんだ――いッ!?」


 男は、「私」の背中越しに見えたそれに絶句した。


 「私」と男が立つ十数メートル先に、こちらに頭を向けて仰向けになっている子供がいる。


 歳は十歳前後だろう。髪を二つ括りにした女の子だった。何かのキャラクターが描かれた、淡いピンク色のロングTシャツに、濃いピンクのミニスカートを穿いている。白い靴下と、空色の丸いスニーカーを履いていた。


 四肢は緩く曲がっており、両膝は立っている。目も口も、度を越したように開かれており、微動だにしなかった。


 生者ではないと、この距離で分かるくらい。


 男は震えた声を上げた。


「し、死体……。死体じゃないのかっ、あれ!? 山から落ちて来たのか? ねえ君っ、あれがどこから落ちて来たのか見てないかい!?」


 山から、草を掻き分ける音と、獣の鳴き声がしてくる。


 山を見上げると、二匹のダルメシアンがこちらを見下ろしており、ぎゃんぎゃんと吠えていた。


 「私」は声を漏らす。


「何でこんな所に……」


 今にも駆け下りて来そうなダルメシアンに怯えた男は、「私」の肩を掴むと揺さぶった。


「犬っ!? な、なあぁ、どうなってるんだいこれ!? 保健所は何やってるんだ! これじゃあまるで、噂が本物みたいじゃ……!」


 ダルメシアンは腹が減ったのか、傾斜をものともせず駆け下りると、こちらに向かて来た。


「ひっ、ひぃいい!!」


 男は女のような悲鳴を上げると、突き飛ばすように「私」の肩を離し、一目散に山道を下りる。


 ダルメシアンは男を追いかけるが、男が「私」から視認出来ない距離まで離れて行くと引き返して来た。


 「私」は嘆息すると、足元でうろつき始めるダルメシアンを撫でながら、その口元を確かめる。


 血が付いていた。


 「私」は死体に近付き、右足を掴んで引き摺ると、廃ホテルに向かう。


 敷地内の庭に、死体を置いた。


 死体の脇には、掘り返されたような深い穴と、血に塗れた土が広がっている。


 「私」は、ホテル内のロッカーに隠してあるスコップを持って来ると、死体を放り込んだ穴を埋めた。


 この子供を埋めるのは、もう何度目だろう。


 いつも自宅付近で騒いで煩かったので、殺してこの山に埋めたのだが、ひとりでに穴から出るなんて聞いていない。


 保健所から貰って来た捨て犬を連れて来て餌代わりにしてみたものの、この通り翌朝になれば、食われようと埋められようと、殺した直後の姿を保って現れるのだ。


 「私」がこの子供を殺した証拠は、もう消えている。


 元に戻るという事は、その度に死亡推定時刻も巻き戻るという事だ。この子供を殺した日付と今日の日付は、もう月単位で異なっている。


 仮にこの一件が警察に知られると、数ヵ月前に行方不明になった女児が、死亡直後の状態で山中に放置されていたという話になるのだが、警察はすぐに気付くだろう。数ヵ月間も行方不明になっていながら女児の身体には、その時間経過を感じさせる生体反応が一切起きていない事に。


 爪も髪も伸びていなければ、胃の中も殺された直後のものが入ったまま。


 犯人の身になれば、攫った直後のままの格好をさせる筈が無いのだが、服装さえも変化していない。ならばすぐに見つかっている筈。


 監禁を疑ってみても、「私」はこの子供を部屋に上げた事が無いので、生活痕は見つからない。


 時間が止まったままの死体だ。


 それにこの穴やその付近を調べれば、ダルメシアンが散らかした食べ残しも見つかる。それらを全て繋ぎ合わせれば、あの男の比にならない巨人となった女児の姿が浮かび上がるだろう。「私」がこの子供を殺した証拠を集めるにも、死体の状態が有り得ない。


 子供を埋め終えると、先程から感じている視線の先へ目を向けた。


 少し離れた先で埋めたばかりの子供が、無表情に「私」を見ている。


 勿論身体は土の中だ。


 幽霊ってやつだろう。


 でもここは、「私」が死体を埋める前から心霊スポットと呼ばれているし、こうした場所ではそんな現象も特別感がなくなる。


 そもそも「私」は、心霊体験がある人間だ。経験的に幽霊とは触るとまずい事になるが、じっと見て来るだけの幽霊なんて、腐る程出会っている。あの子供も何もしてこない。


 「私」がこの子供を殺したのは、煩かったから。


 「私」は、望み通り静かになった子供を一瞥すると、山を下りる。



 まだ朝食を食べていないから、コンビニに行こう。



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