第2話 これが僕の今の日常(表)

 心地の良い音を立てながら走る白いチョーク。緑の黒板には誰が見ても美しいと言わざるを得ない文字が並んでいく。その書き手は僕の幼馴染でもあり、生徒会【書記】でもある茜屋あかねや すずだ。亜麻色の髪を後ろで一括りにしたポニーテールとパッチリと開かれた大きな黒目が特徴の活発少女だ。板書するたびに揺れる後ろ髪に僕は思わず視線を奪われる。


「——以上が今月の生徒会の活動予定の概要だ。何か質問のあるものは挙手を」


 生徒会室中に響く美声で、皆の注目を集めるのは【第35代生徒会長】にしてこの学園の超有名人、雨真宮瑞波あまみやみずは先輩だ。腰元まで伸びるサラサラの黒髪、陶器のような真っ白でなめらかな肌、ふくよかなバストとくびれたウエストは制服の上からでも強調される。加えて、見るものを魅了する真紅の瞳にウェーブがかった前髪は異性を虜にするには十分すぎる威力を誇っていた。現に、彼女に想いの全てを乗せた淡い手紙を送るものは数え切れない。その中には教員の名前もあったとかなかったとか。とにかく、この学園に在籍するものならば彼女の人気とカリスマ性を知らぬものはいない。そう断言できる。まさに学園のマドンナ。……ちょっと古いかな?


「——では僕から一つ。月曜から始まる、このあいさつ運動ですが…… 」


 しなやかな仕草で手を上げたのは【副会長】の蒼神あおがみ しん先輩。コバルトブルーの髪に切れ長の瞳と整った鼻筋、物腰柔らかいその様はまるで王子。彼の後には用もない女子がこれでもかと列を作り、叫声を上げる。だけど、本人はそれを鼻にかけることなくむしろ周りに迷惑だと心配りをしている。そんな穏やかな性格が彼の人気に拍車をかけていることに当の本人は気づいていない。


「——以上の理由から今回の活動を雨真宮会長は辞退するべきです」

「またその話か。蒼神副会長。何度も言うように私はもう大丈夫だ。全快している」

「しかし、あなたはまだ病み上がり。ここで無理をしては——」

「しつこいぞ。慎。本人が大丈夫だって言ってんならここは黙認するべきだろ? 何かあれば俺たちがサポートすりゃいい!」

「……魅晴みはる……」

 

 今、蒼神先輩を叱咤したのは同じく生徒会【会計】のくれない 魅晴みはる先輩。雨真宮会長、蒼神先輩と同じ二年生で蒼神先輩とは幼馴染だとか。短く切りそろえられた真っ赤な短髪に、目尻が上がった少し怖い(僕が苦手なだけ?)目付き。言葉からも分かる通り竹を割ったような快活な性格。そのため女子よりも男子に人気がある人呼んで学園の兄貴。でも、少ないと言っても実際は蒼神先輩と人気を二分しているようで、しっかりと女子たちの心を掴んでいる隠れモテ兄貴。


「紅会計の言う通りだ。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、私としてもこの三週間、皆に迷惑をかけたのだからせめて行動でその罪滅ぼしをさせてくれ」

「そんな、迷惑だなんて! 誰もそんなことは思っていません!」

「そうだぜ。会長。日頃から働きすぎてるあんたには丁度いい休暇だったんじゃねぇか? 気にすることはねぇ! なぁ? 鈴ちゃん」

「はっ……はい! その通りです。雨真宮会長が休んでも何も支障は出ませんでした」


 鈴はびくりと体を跳ねさせると、素早く反転させ少し強張った声のトーンで紅先輩の質問に応えた。


「それは私がいてもいなくても変わらない。そういうことかい? 茜屋書記?」

「ちちちっ……違います! そうじゃなくて会長はいても良いし、いなくても……いや! じゃなくて……優〜〜……」

 

 えぇっ!? ここで僕に振るのは反則だよ鈴! でも潤んだ瞳でこっちをみる鈴のヘルプ要請に応えないわけにはいかないよね……。僕はおもむろに右手を挙げると申し訳なさそうに三人の輪に入る。


「えぇっと……鈴が言いたいのは今回の雨真宮会長の休みによって被害を受けた者も迷惑と思った者もここにはいないってことだと思います」

「ふっ……あははは——! いやぁすまない。茜屋書記。少しからかいが過ぎた。先ほどのは嘘だからな? 君が私にそんなことを思うはずがないなど分かりきったことだ。小堺庶務もフォローご苦労」


 目尻に涙を貯めた鈴に、お腹を抱えながら天使のような微笑みで近づき小さくなった彼女の肩に手を当てる会長。


「もう〜〜酷いです! 会長!」

 

 鈴の情けのない声を皮切りにこの生徒会室に笑いが生まれる。雨真宮会長も蒼神、紅の両先輩方もそして当の鈴までもがみんな笑顔だ。一方の僕はというと、空気が読めないと思われるかもしれないが口を真一文字に結んだ無表情のまま四人を只々見つめていた。そんな今の僕の心境を一言で表すなら『何故、僕みたいなモブがここにいるんだろう』だ。

 鈴の勧誘があったとはいえ、この学園のトップカーストに君臨する生徒会のメンバーになるだなんてちょっと前の僕には考えられないことだ。断言しよう。僕はこの空間に相応しくない。だからみんなと同じ空気を味わうことなんて出来やしない。なら、なんで辞めようとしないのか? それは単純明快。この後にが待っているからだ。


「——ふぅ。ではそろそろ、この会議をお開きにしたいと思うが良いかね?」


 あっキタ。さっきまでと変わらない落ち着いたトーンだけど、実際は解散したいんだろうな会長。


「そうですね。本日の内容についてはあらかた話し合いましたし、問題ないでしょう」

「だな」

「了解です。では私は板書した内容を生徒会記録に写してから帰るので、皆さんどうぞお先に」


 その瞬間、会長がピクリと体を跳ね両拳りょうこぶしに力を込めたのを僕だけが悟った。


「……いやいや! 茜屋書記も長時間の板書で疲れただろう。その業務は私がやっておこう」

「そっ……そんな! ただでさえ病み上がりの会長にこんな雑務お願いできませんよ! 私のことは気にしないでください」

「何をっ……何を言うのかね……!」


 いや『言うのかね』って。ヤバイな会長だいぶ焦ってる。変なボロ出さなきゃ良いけど……


「茜屋書記。君はこの生徒会の重要なメンバーであり、私の大切な後輩だ。業務に真面目なのは良いがあまり根を詰めてはいけない。先輩の胸を借りることは甘えじゃない。むしろ、もっと頼ってくれても良いくらいなのだから。だから。な? その記録帳をこちらに渡したまえ」


 雨真宮会長がまるで仏のような穏やかな表情で鈴に近づき、彼女が両手で抱える記録帳に手を伸ばす。会長、息上がってますよ? 大丈夫ですか?


「会……長……!」


 会長の優しげな言葉、そして迫る艶やかな表情に思わず顔を赤くする鈴。だが、ここで思わぬ伏兵が登場した。


「会長! そのような雑務は僕たちにお任せください。魅晴! 僕たちで速攻終わらせるぞ!」

「おうよ! 任せときな!」


 蒼神先輩と紅先輩が立ち上がり、鈴と会長の手が交わる記録帳を取ろうとしたその瞬間——


「DON'T! MOVE(ドンムーヴ=動くな)!!!!!」


 会長の珍しい(というか聞いたことがない)超低音ボイスが生徒会室に響き渡った。その瞬間、この部屋の時間は停止したのか? というような静寂が瞬く間に広がった。うん。もうなりふり構ってられないみたいだ。


「へ? 会…長?」


 空耳かもしれない、でも確かに放たれたその声に驚きを隠せない蒼神先輩は素っ頓狂な顔と声で会長を見遣る。すぐさま「ハッ——」となった会長はしばし顔を伏せたのち、まるで幼気いたいけな少女のような顔と仕草で二人に迫った。


「……お願いだ。蒼神副会長。私にやらせてくれ。先ほどの話ではないが何か行動していないと落ち着かないんだ。ここは私を立てると思って……な?」


 泣き落とし!? ここでまさかの泣き落としですか? 会長。


「会長……ですが……」


 これでも未だ引こうとしない蒼神先輩。うーん。これ以上は本当にヤバい。しょうがない……行こう!


「あのう……」


 ゆっくりと手を挙げ、小声を発する僕。当然、全員の視線がこちらに向けられる。


「なんだい? 小堺君? 今大事な話を……」

「僕が残って会長をサポートしますよ。ほら、僕【庶務】ですし」

「いや……まぁ、確かにこういうのは庶務の仕事だが……」

「会長もそれで良いですよね?」

「あっ……あぁ! 良い! 良いぞ! むしろそれが永遠でも——」 

「と! いうことですので! 鈴と両先輩方は気にせず帰宅の準備をしてください」


 危なぁ……! 何を言い出すんだこの人。もう冷静さのかけらも残ってない!


「…………」


 未だ納得のいってない様子の蒼神先輩の肩を紅先輩がポンっと叩く。


「俺としたことがやっちまったな。お前を注意しときながら二の轍を踏むとこだった」

「魅晴……」

「ここは庶務くんに任せて会長の意思を尊重しようぜ? その方が会長のためだ。それに庶務くんにもいち早く仕事を覚えてもらわなきゃならんしな」

「……わかった。今回は小堺くん。君に任す」

「はい。任されました」


 僅かばかりのため息をこぼした蒼神先輩は、チラッと雨真宮会長を見遣るとすぐさま帰宅の準備を始めた。


「優……!」

「鈴もお疲れ様」

「ううん。別に疲れてなんかないよ。それより本当にいいの? 記録帳のこと」

「良いよ。すぐに終わらせて僕も帰るから」

「そっか。ありがとね優」

「うん」


 その後、身支度を済ませた三人は順番に帰りの挨拶を済ませながら、生徒会室を後にした。最後に退席した鈴が生徒会室の扉を閉めたところで会長の淡い吐息が小さな口から漏れた。


「……やっと二人きりだな? 小堺

「……みたいですね」

「では、ここではなんだし、奥のソファーにでも行こうか」

「……はい」


 この生徒会室は、会議や話し合いをする部屋と、仮眠や休憩を取るための部屋が仕切りによって分けられている。会長の言うソファーは後述の部屋に置かれているため彼女はゆっくりと立ち上がり椅子を直すと、長い黒髪を揺らしながら向こうの部屋に消えていった。

 そして、ここから僕のもう一つの仕事が始まる……。

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