第三十七話:車と馬と


 周りにはさっきから牧歌的な景色が広がっていた。背丈の低い草が青々と生え広がっている。遠くの方には山が見えるが、人の姿は周りに見当たらない。まるで俺達、四人以外が世界から消えてしまったような、そんな寂しさを感じる風景だった。

 だが、状況はそう牧歌的ではなかった。


「動け、このポンコツがあああああああ!」

「もう諦めて歩きましょうよ。どうせ給油できないんですからどこかで使いものにならなくなりますよ」

「俺の愛車を見捨てろというのか!?」

「いずれ見捨てることになると言っているんです」


 俺とリーナは二人の言い合いを遠巻きに眺めていた。硬い地面に寝ていたからか体中が変に疲労していた。今すぐ宿舎のベッドに戻りたいものだがまだそれは無理だった。

 目の前にあるのは泥に足を取られて動けなくなった車だ。居留区外の地面はもちろん舗装されていない。牧歌的な風景に見とれているうちに車が湿地に入り込んでいつの間にかタイヤが空回りするようになっていた。四人で押したり引いたりしたが重すぎてびくともしない。

 タールは悲しげに車体を撫で回し始めた。


「よよよ……俺のヤードナー簒奪者FR-200よ……」

「変な車の名前だな」

墨風ウォムカ自動車のベストセラーだぞ!? 知らないのか!?」


 こちらに顔面を急速旋回して叫ぶ。そんな名前の会社もあったかもしれない。


「知らねえし、さっさと行くぞ。いつまでやってるつもりだ」

「よよよ……よよ……」


 タールは車から離れようとしなかった。車との別れがそんなに悲しいのだろうか。大きな買い物をしたことがない自分には理解できない。

 シアも彼の様子を見ながら、立ち尽くしてしまっていた。


「分かるかも」

「え?」


 隣に立つリーナがいきなり呟いた。淡い碧眼の双眸がタールに慈しむような視線を向けている。さっきまでアンニュイな表情で見ていたのだが、いつの間にかその目には強い意思を感じるようだ。通り過ぎていった野風に彼女の銀髪が振れる。


「馬が死ぬと悲しい。それと同じかもしれない」

「ラッビヤの人たちは馬で移動するのか?」


 リーナはこくりと頷いた。


「ん、馬は家族。一緒に暮らしている。だから悲しい」


 目の前のタールはまだ車から離れてくれなさそうだ。リーナはそんな彼に一歩づつゆっくりと近づいて、肩に手を置いた。


「馬はいつか亡くなっちゃう。でも、持つ人がずっと悲しいと前に進めない」

「うぅ……」

「天の馬も良くない思う。だから、タールも立ち上がって」


 タールはリーナの言葉を聞いて呻く。どうやら心に響いているらしい。

 なんか感動シーンみたいになっているが、泥に足を取られた車にしがみつく大の大人を少女が説得しているのだ。客観的に見て良く分からない状況だった。シアも呆れた顔でタールを見ている。


「確かにここで止まって、軍とかに見つかれば元も子もないよな」

「無罪が証明されて、居留区に戻れれば車も救えるかもしれない」

「そうだな……行くか……」


 決心を決めたタールが名残惜しそうに車から離れる。彼は俺達の元にやっと戻ってきたのであった。


「馬でも居れば確かに移動は楽なんでしょうけど」

「乗馬が出来ればの話だがな」


 シアは少しの間フリーズしていたが、ややあって「あぁ」と声を漏らした。


「そういえば、普通の連邦人は乗馬が出来ないんでしたね」

「まあ……そうだな」


 鼻につく言い方だったが、彼女は本当に気づいていなかったのだろう。ヴェフィス人というのは昔から馬と深い関係を持っている。叙事詩の時代から彼らの血を継ぐものは乗馬を常識として習得させられるのだ。


「私もできる」


 自信に溢れた顔でリーナがいう。こんな少女まで馬に乗れるということは、ラッビヤ人と馬の関係も深そうだ。

 しかし、そこまで聞いてから俺は危なそうな事実に気づくことになる。


「それってつまり男が二人して少女にしがみつきながら、馬に乗らなきゃならないってことか?」

「状況が状況ならそうですね。あら、私達と密着するのは嫌ですか?」


 俺は小悪魔的な笑みを浮かべる彼女を指差しながら、タールに視線を投げた。


「タール、車の救出作戦を開始するぞ。まず、この馬鹿を泥に埋める」

「はあ? 何言ってんだ」


 さっきまで車に泣きついていたくせにこの薄情者が。

 提案を軽く撥ねられたところで特徴あるリズミカルな音が遠くから聞こえてきた。俺以外の三人も音のする方へと視線を向けた。数匹の馬だ。馬の足音が近づいてくるが、その上には人影が見える。ホッとしたと同時にその手に握られているもので緊張が高まる。


「長刀だ……気をつけろ!」


 幾ら相手が攻撃してこないと予想していたとしても武器を持っていたとしたら警戒する。どうやら、彼らはこちらに気づいていないらしい。このまま見過ごしてもらおうかと考えていた所、いきなりリーナが彼らの方に飛び出していった。


「フルフシュタグフルクバルミーーーン!!」


 リーナは目立つように大声で、両手を振って呼びかける。騎乗者たちは彼女の呼びかけに気づいてこちらに馬を向けた。粗野な馬の足音が大きくなって、近づいてくる。

 大丈夫だろうか――不安が増幅するも今更逃げても逃げ切れるわけでもない。なすがままに任せる以外に方法は無かった。





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