よねんにいちどの教訓

火ノ島_翔

よねんにいちどの教訓

「……(大丈夫、大丈夫なはずだ、そうだアレは間違いない判断だった……はずだ)」


 隔離された閉鎖空間の中で一人の青年が口を閉ざし眉間にシワを寄せる。その顔には少しの焦りと緊張が浮かび、汗が滲んでいる。


 室内は異様な雰囲気に包まれており、彼の他にも厳しい顔をしながら、ナニカと懸命に戦う者達の姿が並んでいる。彼らは皆一様に、大量生産品で無骨なアルミ製の椅子に座り、長机へと向かっている。必死さと葛藤が渦巻き、ほんのりと熱気を感じる空間である。


「(いや、そんなことより次だ。次の問題へと対処しなければならない。)」


 大勢の中で戦闘を行っている彼も、その他の者と同じように強敵に直面していた。


 彼がこの場で戦闘を開始してから既にある程度時間が立っている。これまでに様々な強敵や問題に直面してきたが、それらの波状攻撃を受けながらも知識とひらめき、機転を利かしながらなんとかここまでたどり着いていた。


 相棒であり武器でもあるモノを握る手に力が入る。残された刻はもう殆どない。周囲で戦う者達も残された時間が少ないことに気づいているのだろう。醸し出す空気が、雰囲気が鬼気迫るものとなる。時間もない、だが目の前には時間内に処理しきれるかどうかの強敵が立ちふさがっている。だが、ここにいる者達全員が、心折れずに挫けず戦い続けている。


 彼は……彼らはここで諦めるために努力を積んできたわけではなかった。


「っく……(先のやつよりも手強い……な……)」


 終着点、旅の終わり、目的の地、様々な呼び名があるだろう最終目的地までは目と鼻の先だ、最後の強敵、大問題を超えるだけである。ここまでなんとかたどり着いた彼だったが、流石にラスボスでもある最終関門は用意に突破できるはずもなく、今まで以上の集中が必要とされた。


 だが、本来の彼の実力ならばこのような敵など、用意に対処できるはずであった。だが、いくつか前の戦闘を終えて心に残る凝り、淀みが生まれた。


 それは心の片隅に常に潜み、深淵の底から覗いてくる。集中しようとするたびに、ボディブローのようにジワジワと深き思考に入り込み、真綿で首をしめるかのように苦しく、彼の集中を削ぐのであった。


「……(いや、やはり先の問題をスッキリさせてから……だがしかし残り時間が……たるみが……こんなところで!……おちつけ、俺)」


 彼は心に残った雑念であり余分な念を払い除け、自らを律した。


 そして最終問題へと取り組む。目的のため、人生の第一歩を、夢を掴むために。


 鉛筆を握りしめ、最後の設問に集中するのであった。


 しかし彼の心には、まだ……3つ前の設問にあった『弛度(ちど)』についての計算問題についての不安が残っていた。弛度(ちど)とは文字通り『たるみ』の数値のことだが、第一種電気工事士には電柱間の電線の弛みについての計算力は必須である。ちなみにこの弛みがあるおかげで風や地震などで簡単には切れないようになっており、弛みひとつでも工夫がされているのである。


 彼の心中は、雑念である心の余念(よねん)により、異なる弛度(ちど)という心残りが祭り囃子を奏でていた。


「っ……(あぁぁぁ集中できないっ!)」


 試験会場という場では『余念よねん異弛度いちど』が発生しないように公式などは特に暗記しておくべきであることを、このとき彼は身を持って知ったのであった。


 ここは第一種電気工事士資格試験場。合格率3割ほどの戦場である。



 よねんにいちどの教訓(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

よねんにいちどの教訓 火ノ島_翔 @Hinoshima_SHO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ