第285話

 『お前……。何をしていた?』

 俺は、俺の魂とも呼べる存在に手を突っ込むと、その中に潜り込んでいた、悪魔を引き摺る出した。


 『もう。そんな怖い顔しないでくださいよ。貴方の中にネズミが入り込んでいたので、今し方、貴方が私にした様に、摘まみ上げて放り出して上げただけです……。

 現に、私が行動を起こすまで、侵入者に気づきもしなかったでしょう?』


 ……それは彼女の言う通りではあるが。


 『あなたの大事な部分。危険な記憶。触れられた方が良かったですか?』


 それは良く無い。

 俺にとって知られたくない記憶があるのは勿論。

 彼女自身、自分たちが魔力を継ぎ接いで作られた存在だとは、知りたくもないだろう。

 それこそ、下手をすれば、壊れてしまうかもしれない。


 『大丈夫です。安心してください。私が、あそこに辿り着いた記憶も、綺麗さっぱり消して、元の場所に戻しておきましたから』


 そう言う彼女はこれっぽっちも信用ならないが。

 それが真実であれ、嘘であれ、問い質した所で、お互い、不快になるだけだろう。


 『まぁ、私を気遣ってくれるなんて、優しいんですね』

 挑発か、本心か。彼女の意図は分からないが。


 『……あぁ、俺はお前を、もっと上手く利用したいからな』

 利用し合う関係であっても。

 付き合って行くなら、衝突は最小限にしたい。


 勿論、許せない事や、譲れない場面も出てくるだろうが。

 関係性が悪く無ければ、お互い、歩み寄れる事も有るだろうから。


 『私に、期待、してるんですか?』

 彼女の笑顔は一転、底が知れない様な、真っ黒の瞳が、俺を飲み込もうとする。

 

 『してない……。何なら、信用もしてないし、力があれば、ねじ伏せたいとも考えている』

 

 でも、それは、結局、コグモや、リミア達が、自身を犠牲にしても俺を救おうとする考えや行動に、俺が抗おうとしているのと同じで。


 『私を、貴方の仲間達と同じだと?』

 彼女の表情が、どんどんと、曇って行く。

 きっと、彼女の望んだ答えではなかったのだろう。


 『お前なんかが、リミア達と同じわけが無いだろう』

 それは俺も分かっている。

 分かっては居るが、結局、俺は彼女を力尽くで、どうこうできるわけでもなく、関係を続けるからには、良い関係を……。


 『……そうだな。結局、俺は、お前の変化に期待しているのかも知れない。……それしかできないからな』

 

 ようは、悪あがきという訳だ。

 どうだ?俺の答えは、お前の期待に応えられたか?


 『そうですか……。確かに、諦めず抵抗し続けるのも、また強さです。

 ただ、有効打で無いと分かっているなら、切り捨てる、或いは、切り替える事も必要ですよ。

 なんせ、時間も、心も、身体も、いくら強くなった所で、消耗はしますからね』

 少し呆れた様に呟く彼女。


 ……詰まりは、無駄な事は止めろと言いたいのだろう。


 彼女に気を使う事は無駄なのだろうか?

 ……確かに、結果だけを求める彼女には、小手先だけ、口先だけの気遣いは無用なのかも知れない。

 

 ただ、俺だって、言いたい事は、素直に言っている筈だ。

 なんせ、思考が読まれているのだから、取り繕う意味が無い。


 …………そうか。結局、俺は気を遣ってた訳じゃ……。


 『悪い。どうやら、勘違いをしていた様だ。これが、今の俺の素の状態らしい』


 それは、多少、意識、無意識関わらず、警戒をして気を張っている部分はあるだろうが。

 隠し事も無く、気も遣わずに済む彼女との関係性は……。

 

 『誰よりも、心を許しているのが、私なんて、滑稽ですね』


 『……そうだな』


 『否定しないので?』


 『お前に嘘をついた所で、なんの意味もないだろう?』


 『……そうですね』


 『…………』


 ……。

 …………。

 ………………。


 消えた?

 まだ、話をしている途中だと思ったのだが……。


 ……まぁ、大方、俺との、実りの無い会話に飽きたのだろう。

 或いは、他のモノに興味を惹かれたか……。

 

 向こうの世界で、何かあったのだろうか……?

 ……そう言えば、忘れていたが、彼女は人間を知りたくて、こちらの世界に来ていたはずだ。

 その目標が、何故か、俺を最強にする事へ切り替わっていて……。


 妹の件は解決したのだろうか?

 今の彼女の目的は何なのだろうか?


 俺は彼女の事を何も知らない。

 何も分からない。

 分かろうと言う気すら、無くなっていた。


 ……心に余裕が無かった。

 ……それは、ただの言い訳だろう。


 ……思考を読める彼女ではあるが、いつもは俺のそんな疑問をスルーしているだけで、はっきり聞いてみれば、案外、あっさり、答えてくれたりするのだろうか?


 ……いいや、今はまだ止めておこう。

 今の俺に、そんな余裕はないのだから。


 クロノの件。もう一人の俺……、サイドの差し金なら、大丈夫だと、誤魔化してはいたが、皆と談笑している内、自身が落ち着きを取り戻せば取り戻す程、彼女の事が心配になり、落ち着かなくなってしまった。

 

 それこそ、ミルの宿主達が、村に降りる事を延期しようとしたのを、飛んで、止めに来る程度には、落ち着いていない。


 それでも、以前の様に取り乱していないのは、俺が心身共に強くなったからか、気が置けない神出鬼没の同居人がいたからか。


 ……名前ぐらいは、聞いてみても良いかもしれないな。

 そんな事を考えながら、顔を上げると、訝し気な視線を送る、ミルがいた。


 彼女の記憶を探っては見るが、やはりと言うか、俺の中へ入って来た記憶は無い様で……。

 

 『……済まない。行こう』

 俺は空中でくるりと回り、彼女に背を向けると、移動を再開する。


 「……はい」

 彼女の返事は、相変わらず、緊張を感じる物の。

 ただ、何故か、俺に対する警戒心は、多少、和らいでいる様な気がして。


 俺の中の同居人が、手を貸してくれたのだろうか?


 そう考えると、心が温かくなって。 

 自身だけでは抑え切れなった、焦りが引いて行くのを感じた。


 (……そうだよな。焦っても仕方が無いもんな)

 俺の後を付いて来ている彼女達は、非常に繊細な存在だ。

 実際、焦った俺が、勢いで彼女達に干渉してしまった結果、恐怖や緊張から"彼女達"と言う存在がブレかけてしまった。

 

 慎重に、丁寧に、ゆっくりと。

 分かっているつもりではあったが、焦っていると、どうしても忘れてしまう。

 

 (本当は、こうして、干渉を続けているのも、良くないんだろうな……)

 そして、消えて行こうとしている、ミルを引き摺り出そうとしている事も。


 『……でも、それが強者の特権。……でしょう?』

 彼女がそう呟いた気がした。

 勿論、彼女の存在は感じないので、ただの妄想だろうが。


 しかし、その妄想が、俺の中に生じた迷いや、不安を一瞬で払拭してくれて……。


 この"強さ"も、彼女が計算して生み出した物だのだろうか?

 ……だとするならば、彼女の策略には敵いそうもない。


 そして、それはとても恐ろしい事のはずなのに。

 俺は口角が自然と上がるのを感じた。

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