第217話

 「は、はぁ、はぁ……。せ、精霊様……。もう少しペースを落としては頂けないでしょうか……」

 息を上げ、坂の下からこちらを見上げてくるシェイク。

 

 「なぁに言ってんだか。そのポーカーフェイスを崩すまでは、止まってやらねぇ」

 まぁ、その大荷物で、この山を、子どもの歩幅とは言え、俺と同じ速度で登ってきている点は、流石、今まで生き残ってきた狩人だと感心せざるを得ないが。


 「そ、そんなぁ……」

 後ろで弱音を吐いているシェイクを無視して、俺はどんどんと先に進む。


 「!!!」

 そんなこんなで山を登っていると、突然、地面にばら撒いた、幾つかの感覚糸に反応があった。


 (速い!それに、それぞれの反応間で、距離が空きすぎている!複数か?!)


 「気を付けて!パパ!」

 焦りで、なんか、もう、無茶苦茶になってしまったが、この際どうでも良い!


 「荷物を下ろせ!最悪、捨て置いて逃げるぞ!」

 取り乱す俺とは対照的に、落ち着いた態度で、静かに頷くシェイク。

 彼は、屈んで辺りを警戒しつつも、荷を下ろして行く。


 (力だけなら、今の俺の方が上だってのに……)

 完全に、場数の差だった。

 こういった命のやり取りを、シェイクは幾度と無く、繰り返してきたのだろう。


 「パパ!右!」

 この際、シェイクと言う呼び名より、こっちの方が、短くて、使いやすかった。


 それを聞いたシェイクさんは、瞬時に、大きなバッグの後ろに隠れる。


 「牙獣か!」

 荷物の影、草むらから飛び出してきた、獣を見て、そう叫ぶシェイクさん。

 牙獣と言うのは、"人に牙を向ける獣"の総称なので、オオカミでも、クマでも、イノシシであっても、"牙獣"なのだが、今回、目の前に姿を現したのはオオカミだった。


 オオカミは、その不意打ちを鞄で防がれ、立ち止る。

 そして、一瞬の思惟しいを挟んで、こちらに狙いを定めて来た。


 「危ない!」

 「っち!俺かよ!」

 二人の声が重なる。

 

 本当なら、鞄の後ろへ回り込むオオカミに、腰に掛けていた金槌を投げつけるつもりだったが……。


 「上等だ!ぶん殴ってやる!」

 俺は腰で溜めるようにして金槌を構える、振り下ろすよりも、いだの方が、命中しやすいはずだ。


 こちらも、相手も、一撃で致命傷。

 あの牙で、ミルの柔らかい皮膚が切り裂かれると思うと、冷や汗が止まらない。


 「キャウン!」

 次の瞬間、急に怯んだオオカミ。

 理由は分からないが、この隙を逃すわけにはいかない。

 俺はミルの脚を壊さない、ギリギリの出力で地面を蹴り、距離を縮める。


 (よし!いける!)

 突撃の最中、頭めがけて、金槌を振り抜く俺。

 しかし、次の瞬間、衝撃を受けて、吹っ飛んでいたのは俺だった。

 どうやら、隠れていたもう一匹が、俺の無防備な側面に突撃を加えて来たようだった。


 (だ、だめだ!受け身なんて取れねぇ!)

 他人の体で、そんな反射神経がいる様な事はできず、無様に坂を転がる俺。


 「ガルルルルゥ!」

 顔を上げた時には、目の前に、オオカミの顔があった。


 「ひっ!」

 距離を取ろうにも、地面に付した状態からでは、咄嗟には動けない。

 

 甘く見ていた。人間の体を手に入れて、調子に乗っていた。

 加えて言うならば、オオカミに合う確立など、皆無だと思っていたのだが。


 そうか、そうだよな。今までの俺は、餌とも認識されず、オオカミ自ら追ってくるような事は、その視界に入らない限りなかった。

 しかし、匂いで追跡できる彼らに、親子二匹で行動する人間って言うのは、恰好の獲物だもんな……。


 そりゃあ、自ら追ってくる。

 そして、追ってくるのであれば、その遭遇率は一気に跳ね上がって当然だった。


 それに、複数いると分かっていたのに、戦闘の中で、一匹に意識を集中させすぎてしまった。

 いや、そもそも、複数匹を相手にする事が、前提となっていなかったのだ。

 あそこで、別のオオカミに意識を割けていた所で、結果は変わらなかっただろう。


 (そりゃ、そうだ、シェイクさんみたいな、強い狩人の集団が逃げ出す相手なんだ。もっと、深く考えてから行動するべきだった……)

 完全に、俺がオオカミに狙われた経験がない事から生まれた、慢心だった。


 (俺のミスだ……。完全に俺の判断ミスだッ!!)

 俺のせいで、もう、誰かが死ぬのは嫌だっ!


 「く、来るな……。こないでっ!!」

 無様にも、金槌を全力で振り回しながら、尻もちをついて、後ずさる俺。

 しかし、そんな事は気にならない、今気になるのは、今後、人間の二人がどうなるかだけ。

 

 肉だけを食らうオオカミだ。この場で食われるのは、シェイクと、ミルだけ。

 きっと、俺は生き残る。俺だけは、生き残ってしまう。

 その事実が、どうしょうも無く、恐ろし事に思えた。


 「……って?ちょっと待って?その肩に乗ってるのって……」

 と、どこからか、聞き慣れた様な、でも、どこか違和感を覚える声が聞こえて来る。


 「……やっぱりパパだ」

 そのオオカミの頭上から顔を出したのは、少し、雰囲気が変わったような気もするが、確かにクリアだった。

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