第46話 論争、再び
その夜、菊ヶ浜から好生館の寮へと帰った久坂は、もう来ないと思っていたはずの吉田寅次郎から、また文が届いているのを確認した。
「寅次郎め、もう文は寄越さんものと思うちょったのに、性懲りもなくまた送ってきよったな」
玄瑞は苦虫を噛み潰したような顔で独り言を言うと、封を開けて文を読み始めた。
「貴方はあくまで使者を斬るべきじゃと主張したいのじゃろうが、幕府がすでにメリケンやオロシアと和親をした以上、こちらから一方的に断交すれば、ただ国際的な信義を失って終わるだけじゃ。じゃけぇ今は国境を固く守り、条約を厳にしてメリケンとオロシアを繋ぎ止めておくのが最善の策なのじゃ。その隙に我が国は蝦夷を開拓し、琉球を掌握し、朝鮮や満州を服従させ、支那を圧し、印度まで手を伸ばす。こねーにして進取の勢いを張り、退守の基礎を固められさえすれば、神宮皇后や豊臣秀吉が成し得なかった雄図も実現できると言えるのじゃ」
久坂はこの時、寅次郎からの文を破り捨てたい衝動を必死に抑えていた。
あくまで神宮皇后や豊臣秀吉を見本とすべきと主張する寅次郎に対し、憤りとも呆れとも言えぬ感情を抱き始めていたのだった。
「そしてこの雄図を成し遂げた暁には、メリケンもオロシアも自由に追い立てて使えるようになるけぇ、その時にこれまでの我が国に対する非礼を咎めたとしても、また許したとしても、どちらであったとしても差し支えないのじゃ。じゃがそれも幕府や諸大名次第であり、囚徒の僕がとやかく論じても所詮ただの空論でしかない。じゃけぇ僕は地に足をしっかりつけた上で、僕の立場でもやれることをこれからも精一杯模索してゆくつもりなのじゃ」
寅次郎の文を途中まで読んだ久坂は、「ふぅー」と息を吐いて気持ちを落ち着け、再度文を読み始めた。
「先の文同様、貴方の主張は一つとして実践から出たものはなく、また一つとして空言ではないものはない。これでは慷慨を装い、なおかつ気節があるように見せかけて、その実利益を追い求めるしか能のない連中と貴方が大差ないっちゅう僕の指摘が正しかったと言わざるおえん。とにかく貴方は心を天地に、命を生民に立てて、昔の聖人の志を継ぎ、後の世代の為に道を切り開くことに力を入れるべきじゃ。地に足をつけてものを考え、徒に実践が供わない言を吐くことを慎むべきなのじゃ」
文を全て読み終えた久坂は何か意を決したような様子で
「全くどこまでも人を腹立たせる男じゃ。じゃけんここで前回の時と同じように激情に任せて文を書いたとしても、また同じことの繰り返しになるのは目に見えちょる。よし、次は奴を試すような文を送りつけてみるとするかのう。それで奴がどねーな返答を寄越すのか見るのも、また一興とゆうもんじゃ」
と独り言を言うと寅次郎宛の文を書き始めた。
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