第45話 菊が浜にて

 そして一月経った七月の上旬ごろ。

 玄瑞は菊ヶ浜にて、一人潮風にあたりながら海を眺めていた。

 空は快晴であり、夏の日差しが容赦なく玄瑞の顔を照らすも、それに気を留めることもなく、玄瑞はただひたすら青い海を眺め、遠い国々に思いを馳せていた。

「萩の海はいつ見てもまっこときれいじゃのう。いつか見た江戸切子のように透き通っちょる。果たしてこの海の向こうには一体どねーな世界が広がっちょるのじゃろうか?」

 玄瑞が独り言を洩らしていると後ろから誰かが呼ぶ声が聞こえた。

「おーい、そこにおるんは久坂かのう?」

 声の主を確かめるべく久坂が後ろを振り返ると、晋作がこちらに向かって走ってくるのが見えた。

「やはり久坂じゃったか! こねーな所で一体何しちょるんじゃ?」

「一人で海を眺めておったんじゃ。ここでこねーにして海を眺めちょると気が和むんでな」

 海を眺めたままの状態で久坂が言った。

「おお! お前もこん萩の海を眺めるのが好きか! 実はわしもなんじゃ。ちゅうてもわしの場合は、ここで竹刀の素振りをしている時の方が多いんじゃがのう」

 晋作は苦笑しながら言った。

「そうじゃった。確か栄太郎との果し合いの後、ここでよう素振りをしちょったな。晋作はもう柳生新陰流の免許は皆伝したんか?」

 玄瑞が晋作の方へ顔を向けて尋ねた。

「いんや、まだじゃ。剣術の稽古だけは真面目にしちょるんじゃが、なかなか皆伝には至らん」

 晋作は頭を掻きながら言った。

「ところで吉田寅次郎から文の返事はきたんか? 激情にまかせて文を送り返したっちゅうてから、もう一月は立っちょるはずじゃが」

 玄瑞から吉田寅次郎との文のやりとりについて話を聞いていた晋作は尋ねてみた。

「いんや、まだ来ん。今回の文で奴の考えを徹底的に論破したけぇ、恐らくぐうの音も出んようになって、文が書けんのかもしれんのう」

 玄瑞は勝ち誇ったような表情で答えた。

「そうか、それは天晴なことじゃ。じゃがあれ程、吉田寅次郎に期待しちょったのに、蓋を開けてみたらこれでは、お前も正直やるせんじゃろう?」

 晋作は玄瑞を称賛しつつも内心気の毒に思っているようであった。

「なに、この天下はわしらが思うちょるよりもずっと広い。まだ世に知られちょらんだけで、宮部殿のような草莽の志士は他にもようけおるはずじゃ。寅次郎には失望したが、これで草莽の志士の探索を諦めた訳ではないけぇ、藩の許可を得た上でまた諸国を遊歴して、臥龍鳳雛を見つけだせればそれで問題ないっちゃ」

 久坂はそう言うとニッコリ笑った。

「はは! まっことお前らしい考えだのう。さてわしは屋敷に帰って、江戸におる父上に文を書くとしようかのう」

 晋作は感心したように言うと、玄瑞を残してそのまま浜をあとにした。

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