第43話 志気並々ならず

 杉家における寅次郎と妹とのやりとりから数日後、好生館の寮で生活している久坂の元に寅次郎からの文が届いた。

 文が届いた当初こそ、久坂は喜びのあまり寅次郎からの文を貪るようにして読み始めたが、その喜びも文を読み進めていくうちに、次第に怒りへと変貌していった。

 そして手紙を読み終えた久坂は激怒して机を思い切り叩くと、

「おのれ、吉田寅次郎! よくもこねー人を虚仮にしくさった内容の文を送りつけてくれたな! 絶対に許せん! こうなったらもう一度あの憎っくき寅次郎めに文を書いちゃる! メリケンの使節を斬るちゅうわしの考えが、如何に妥当で正しいものかを必ず奴に分からせちゃるけぇのう!」

 と叫んで鼻息荒くしながら寅次郎へ送る文を書き始めた。


 その一方、寅次郎は夕餉を食べ終えて、兄の梅太郎と庭で夕涼みしていた。

「今更ながら、世の中はまっこと不思議なもんじゃのう、寅次」

 梅太郎が呟くように言った。

「一体何が不思議なので御座いますか? 兄上」

 寅次郎は不思議そうな様子で尋ねた。

「お前とこねーにして顔をつき合わせながら話をできちょることそのものがじゃ。全く藩の許可を得ずに勝手に東北へ遊歴に行ってしもうたり、それに飽き足らず今度は国禁を破って、下田からメリケンの黒船に密航しようとしたにも関わらず、首を刎ねられることも遠島になることもなく、実家に謹慎させられる程度で済んじょるのは、天下広しといえどもお前ぐらいのものじゃ。全く悪運の強さだけなら、かの織田信長や豊臣秀吉にも匹敵するんではないかと儂は思うちょるよ」

 梅太郎は弟に対して尊敬の念と呆れが混じったような心持ちであった。

「兄上の仰る通りです。僕も今こうして生きちょる事を不思議に思うことが度々御座いまする。きっと天がまだ僕に死んではいけんとゆうちょるからかも知れませんのう」

 寅次郎は笑いながら言った。

「全く本当に幸せな奴じゃよ、お前は。ところで例の久坂玄瑞にはもう文は送ったんか?」

 妹の文が噂していた久坂の事をふいに思い出した梅太郎が尋ねた。

「ええ、数日前に送っちょります。もし返事がくるのであればそろそろではないかと存じちょります」

「そうか、それでその久坂玄瑞には一体どねーな内容の返事の文を書いたんじゃ?」

 梅太郎が尋ねると、寅次郎は真面目な顔つきになって

「彼はメリケンの使節を斬ることが如何に妥当であるかを延々と述べちょりましたので、そねーな議論は浮汎であり、思慮も浅く至誠から出た言葉ではないと書きました。また慷慨を装い、なおかつ気節があるように見せかけて、その実利益を追い求めるしか能のない連中と全くかわらないとも書きました。その上でもし国勢を論ずるのであれば、支那や朝鮮を従えようとした神宮皇后や豊臣秀吉こそ見倣うべきであり、北条時宗などは全く参考にならないと書かせてもらいました」

 と自身が書いた手紙の内容について答えた。

「随分手厳しいのう。教え子は褒めておだてて育てるが信条のお前が書いた文とは到底思えん」

 梅太郎は驚きのあまり、あいた口が塞がらなかった。

「あとはもしメリケンの使節を斬るならば、癸丑の黒船騒ぎの時に行うべきであり、甲寅の黒船再来時では遅い、丙辰の今では問題にならないくらい遅い、時機ちゅうのは影の如く、また響の如くたちまち変転するものじゃから、昔の死例を持ちだして、今日の勢いを止めようとするのは無意味だとも書きました。そして物事を論じるのであれば、医者なら医者の、囚徒なら囚徒の、将軍なら将軍の、大名なら大名の、百姓なら百姓の立場でできることをまず模索して、その上で利害心を絶ち、死生を度外視して、国のため、主君のため、父のために尽くして始めて、上は主君の、下は民の信頼を得ることができるとも書いたのう。最後はできもせんことを永延と述べ続けるより、地に足をつけた実践を行うことの方が大事じゃと書いて締めくくりました」

 寅次郎はそう言うと手に持っていた団扇で自身を扇ぎ始めた。

「随分派手にこき下ろしたのう。そねーな事して下手な恨みを買ったりせんか、正直心配じゃのう。そもそもなしてお前はこの久坂玄瑞を、徹底的に批判なんかしたりしたんじゃ?」

 梅太郎は心配そうな様子で尋ねた。

「それは彼の志気が並大抵のものではないからであります。彼の事については元々、我が友である月性住職や土屋殿から、玄機殿以上の傑物じゃと聞かされちょりましたので、ぜひいつか会うてみたいと思うちょりました。そして今回久坂からきた文を読んで、彼らの評が正しかった事を確信した僕は、彼を大成させたいと思いあえて力を入れて弁駁致しました。もし彼がそれに激昂して猛反発してくれるのであれば、それは僕の本望であります。じゃがもし面従腹背をして逃げるのであれば、僕の弁駁は徒労に帰すこととなり、僕の友も僕自身も人を見る目を誤ったことになるでしょう」

 心配そうな梅太郎とは対照的に寅次郎は淡々とした様子であった。

「なるほど、事情はよう理解できた。ただ何がともあれ、もうこれ以上揉め事になるようなことだけはせんでくれよ。せっかく実家での謹慎で落ち着いたんじゃから……」

 まだ不安をぬぐい切れていない様子の梅太郎はそう言うと屋敷へと戻って行った。

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