第42話 おもしろき若者

 その頃、寅次郎は相も変わらず四畳半の狭い一室で幽閉生活を送っていた。

 五郎左衛門から塾を継承することは決定したものの、まだ引き継ぎを終えておらず、半ば久保塾の助教的な立ち位置で、日々杉家にやって来る子供達に読み書きを教えていた。

 いつものように家にやって来た子供達に読み書きを教え終えた寅次郎が、せっせと文を書くことに勤しんでいるといると、一人の少女がお盆にお茶を載せて部屋に入ってきた。

「お茶は如何ですか? 兄上」

 その少女は可愛らしくニコッと笑った。

「おお、文か。すまんのう」

 寅次郎が十四歳の妹にそう言うと文は兄の側にお茶を置いた。

「今日は誰に文をお書きになっちょるのですか? 兄上」

 文はニコニコしながら尋ねた。

「久坂玄瑞なる者に文を書いちょる所じゃ。これがなかなか見所のある青年でな、この平凡な幽閉生活にええ刺激を与えてくれる相手になるやもしれんのじゃ」

 寅次郎は文を書くのを一旦中断し、お茶を啜りながら妹の質問に答えた。

「七日程前にこの久坂玄瑞から文が届いてのう、それを読んだとき、僕は周の文王が太公望に初めて会うたときと同じような気持ちになったのじゃ。全く僕はまだ天に見放された訳ではなかったようじゃのう」

 寅次郎はうれしそうな様子だ。

「それはええことですね。ところでその久坂殿の文にはどねーな事が書かれちょったんでしょうか?」

 文が興味本位で尋ねた。

「おお! 文もこの久坂玄瑞に対して興味が湧いてきたか? どねーにしても知りたいと思うちょるんか? どうなんじゃ? 文」

 寅次郎はすっかり興奮した様子で文に問いかけると、興奮を抑えられなくなったのか、自身の顔をぐいっと妹に近づけた。

「いえ、別にそこまで興味があるわけでは……」

 文は寅次郎の異様な熱気に圧されて引き気味になっていたのか、兄の顔から必死に目を逸らそうとしていた。

「分かった。そねーにしてまで知りたいんなら教えちゃろう」

 引き気味になっている妹を尻目に寅次郎は手紙の内容を語り始めた。

「この文には今の幕府主導のオロシア・メリケン相手の外交はどうにも弱腰でいけん、かつて鎌倉幕府の執権であった北条時宗は、通商を求めてきた蒙古の使者を切り捨てて断固たる態度を示し、またそれによって十万もの蒙古の大軍が押し寄せてきたが、これを退けて神州の地を見事守り抜いた、じゃけぇ今の幕府も北条時宗を見倣ってメリケンの使節を斬らねばいけんと書かれちょった。正直なところ、視野が狭く独善的ではあることは否定できんが、こねーに正々堂々と僕に意見をぶつけてきたのはこの久坂玄瑞が初めてじゃ。じゃけんこれから彼と徹底的に文のやり取りをしようと思うちょるのじゃ」

 寅次郎は手紙の内容を語り終えると再び手紙を書き始めた。

「なるほど、そねーなことが書かれちょったんですね。政の話は私には難しすぎるのでよう分かりませんが、兄上が元気そうならそれに越したことはございません。久坂殿との文のやり取りが続くことを心からお祈り申し上げます」

 文はそう言うや否や兄の部屋から早く退出したかったのか、お盆を持ってそそくさと出て行った。

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