獣人アンナ

 王都サン・ベナールの馬車が村の料亭に止まっていたの。珍しいと思って見回したけど、騎士がわたしを魔物だって見破ったら嫌だって思って森へ行ったわ。


 今日はひとり――ガイの使っていた刃こぼれしたショートソードを借りて特訓しようと思ったの。


 身体は大分よくなったけど、まだ魔獣に変身できないの。これは魔力が完全枯渇状態になったときの回復魔法アンチキーテの後遺症だと思うの。上手く魔力が作れないみたい。

 

 今のまま、かよわい娘じゃいけないって思うの。いっぱい運動してご飯もいっぱい食べて、元気で強い娘にならなきゃ。


 適当な樺林で、ヒモに吊るした木を打ったりかわしたりする訓練から始めたの。骸骨兵士ガイに教えてもらった技もちゃんとマスターしておきたいの。


 彼は地下牢にいて脱獄の準備をしているわ。そしたら驚かせてあげたいの。今度はわたしも役にたちたいから。


「ええい! やっ!」


 カカ……カッ。

 カ……カカッ。


 素早く木を弾く練習をしていたの。とどめは骸骨剣〈ファイヤ用心ボーン〉よ。


 いわゆるチャージアタックなんだけど、技にも名前があったほうがいいと思って、ガイと今風のネーミングを考えたの。カッコいいでしょ。


 これは魔法でも手品でもないの。イリュージョンなの。


「やーっ!」


 カーン――……。


 やっぱりまだ、上手くいかないの。わたしは古木の前で尻もちを付いたわ。そのとき誰かに見られてるって気付いたの。


「………!?」


「あはははは。てんでなってないな」


 キラキラした装飾の付いたキルトの服をきた男の子だわ。わたしより少し年上に見えたから、十歳位かしら。明るいブラウンの髪に濃いブラウンの目をしていたの。


 スリングには銀のレイピアが吊られていたわ。男の子はスラリとその剣を抜いて見せたの。鋭い刃先が光ったように見えたわ。


「おんなのくせに剣の練習かよ」


「剣だけじゃなくて……動きの練習なの。あなたは誰?」


「だから、へんてこな動きなのか。ひゃっひゃっひゃ、棒切れ相手に苦戦してる」


「用が無ければ放っておいてくれないかしら」


 これ見よがしに刃先を向けられるのは気分が悪かったの。だから貴族か何か知らないけど、近づいて欲しくなかったわ。


「どんな訓練してるんだ? 相手をしてやろうか。そんなナマクラじゃなく本物の剣で」


「そんなのオモチャだわ」


 細身の剣は確かにカッコいいと思ったわ。でもガイの大事にしてきた剣をバカにされた気がしたの。汗で変色したグリップに刃こぼれだらけの醜いショートソードだけど。


 男の子のピカピカに光ったレイピアで、漫画みたいにモンスターを斬りつけるのは自由だけれど、ガイの剣には本物の匂いがするわ。


 命がけで戦ってきた生き様が宿っているような。仲間の魂が宿っているような。


 ファイヤ用心ボーンを使うときはノックバックに気を付けなきゃ駄目だって言っていたわね。


 無闇やたらに撃てば指がふっ飛ぶことだってある。これを見れば、そのことがよく分かるの。指の関節に食い込んだような握り跡がくっきりと残っている。


 まるで彼がそこに居るような気さえするわ。


「ふん! オモチャだとっ!? ムカつくっ……舐めてるのか。き、貴様は俺が誰だか分かってないんだなっ」


「だから、さっきから誰か聞いてるじゃないの? 答えないからいけないのよ」


「いけないだと? ボクに命令したのか。そんなやつは殺してやるよっ」


「ええっ!?」


 男の子は樺林を真っすぐ向かってきたわ。冗談かと思ったけど、彼は本気だったの。レイピアの刃先を向けたまま真っすぐ向かってきたわ。


「やめてっ。こっちに来ないで!」


「もう謝ったって許さないっ。俺は子供じゃないんだ」


「じゃ謝らないけど許して」


「……こ、子供のくせに、俺をバカにしたな!」


 わたしは逃げることにしたの。やっかいごとはゴメンだと思ったわ。木々の間を隠れるように静かに移動していくの。


 足音を立てず、流れるようなステップで。それでも普通に走るのと同じか、それ以上の速さで走れるのよ。


 骸骨剣〈ヘルター用心スカルター〉よ。吊るしてあった枝や林のおかげで、彼はすぐにわたしを見失ったの。


 実際に殺意を持って追われると、今まで出来なかったことが出来るようになるの。不思議だと思ったけど、きっと体は覚えていたのね。


「衛兵っ! 衛兵っ! 小娘が逃げたぞ。俺に向かって剣を向けたぞっ!」


「嘘だわっ。わたしは剣なんか向けてない」


 左右から、本物の騎士が三人……わたしに向かってきたわ。甲冑に面を付けた本物の騎士だったの。


 背丈が二倍もある男を見上げたわ。その後ろから彼はニヤニヤして走ってきたわ。


「王子さまっ、下がってください。子供とて武器を持っております」


「ふぉふぉふぉ、殺していいのですか」


「構わんぞっ!」


 あっというまにわたしは三人に囲まれてしまったの。確かに聞こえたのは、さまと呼んだ声だったわ。そんなはずはないって思ったの。


 王家の人間がこんなところにいる訳がない。でも、村の料亭に王都の馬車が止まっているのは確かだったの。


 行く手を阻まれたわ。三方から剣を抜いた男がわたしひとりを囲んでいたんですもの。じっとりと背中に汗をかいたの。口の中はカラカラに乾いていたわ。


「卑怯よ。大人の騎士をけしかけるなんて。正々堂々と自分でかかってきたらどうかしら?」


「行こうとしたら逃げたろうが。でも首を跳ねられたら、そんな口はきけないぞっ!」


「……」


 何てことをいうのかしら。わたしたちが交渉の相手にしてきた王家の子息がこんなに嫌味で冷酷な人間だったなんて……すごく悔しくなったわ。


 勇者をバックアップしている王家。陰で支配しているのも王家。一番偉くて、一番尊敬されているのも王家なのに。


 わたしは剣を構えて姿勢を低く保ったまま、彼を睨んだの。乱れていた息を整えたかったけど、勝手に叫んでいたの。


「嘘つきっ! 嘘つきっ! 卑怯ものっ! なんて酷い人なの」 


「はあぁん!? 泣いたって駄目だぞ。今ので、お前の死刑は決まりだ」


 死刑ですって……にわかには信じられなかった。騎士は剣を構えるわたしに向かってきたの。子供だからって容赦しないというのが彼らのやり方というわけね。これが、世界の現実なのね。


「殺れっ、そいつは子供のふりした暗殺者だ」


「それは、貴方よっ! 嘘つきっ! 嘘つきっ! 嘘つきっ! どうして嘘なんてつくの」


 わたしが騎士の剣を弾いたら、残りの二人も躊躇なく剣を抜いたわ。大人が三人で私に斬りかかってきたわ。


 王子と呼ばれた男の子はゲームでもする感覚で、追いたてて、捕まえて、傷つけて、死刑を実行しようとしたの。


 骸骨剣〈ウェス用心ポーン〉。 


 完璧に剣の軌道を読むの。いえ、敵の攻撃を引き出す感覚。


 この場をコントロールすることが重要なの。相手が斬りつける方向に剣を薙ぎ払えば、武器ウエポンはスポーンって飛んでいくの。 


「ウェスポン! ウェスポーン!! ウェスポーン!!!」


 やった――。 


 上手く出来た!!


 三本のロングソードが左右にすっ飛んでいったわ。惚けに取られて武器を拾いに走る騎士たちを、縫ってわたしは逃げたわ。


ヘルタ―用心スカルター〉は、水の滑り台って意味なのよ。しなやかに木々の間をすり抜けて思いっきり走ったの。さっきより、ずっと速く木々を抜けて走ったわ。

 

 とってもとっても気持ちがよかったの。もう、王子も王家もどうでもよくなったわ。ガイの技を二つもマスターしたんですもの。


 一番マスターしたかった風と水の用心よ。これさえあれば、足音を聞かれずに村の兵舎を駆け抜けて、兵士に囲まれても相手の武器を吹っ飛ばすことが出来ると思ったの。


 いつだってガイを助けに行けると思ったの。


 ふいに、目の前が真っ暗になったわ。思い切り誰かにぶつかったみたい。わたしは頭から固い地面に倒れたわ。


「!!」


 彼は軽々とわたしを持ちあげて、優しく土を払ってくれたわ。見た目は……学者とか、参謀とか、軍師? みたいだった。


 柔らかい生地のマントを着た男だったわ。長い黒髪を掻き揚げて、じっとわたしを見たわ。


「怪我はないようだけど、少し熱っぽいな。急いで帰った方がいい。君には優しくしてくれる家族はいるのか?」


「え、ええ――」


 医者だろうかと思ったわ。痩せているけど勇敢で粗野な印象だったわ。ちょっと馴れ馴れしい口の利き方だったけど、嫌いじゃないと思ったの。


「なら、さっさとお逃げ。捕まったら必ず有罪になる」


「あ、ありがとう」


「待って、君は人間かい?」


「いいえ……わたしは獣人よ」


 本当のことを言ったくせに、わたしは目を背けてしまったわ。後ろめたい本当より、あの王子みたいに堂々と嘘をつけば良かった。


「本当なんだね。ボクは魔物捜査官だ」


「なっ……なんっ……」


「でも不思議とキミに魔力は感じない。捕まったら大変だぞ、さっさとお逃げ」


 木々の間から、他の誰かの声が聞こえたわ。彼は、大きな声で応えたの。


「フレイ! そっちに反逆者が居ないか見張れっ」


「はいっ! 見張っております」


 わたしは軽い会釈をして、村とは反対方向に逃げたわ。丘を越えて、橋をわたってから遠回りになったけど、無事に村に着いたの。



 痩せた男の人は、追っ手を引きつけてわたしを逃がしてくれたの。


 名前だけは分かったわ……フレイ。


 いつか、お礼が言いたいと思った。でも、わたしに魔力が戻れば、彼はそれを見抜くと思うわ。それでも逃がしてくれたかしら。


 


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