猟犬ガル

 ワンワン!

 ワンワン!


 人語も、動物語も理解は出来るのだが、こちらから話す手段がないので吠えている。


 どうも、俺は地獄の猟犬ガルムだ。きちんとした名前は無いのでワン公とか、ガルとか呼ばれている。


 どんなに強い相手だろうが素早い足と鋭い爪で敵を撹乱し、粘り強く獲物を仕留めるハンターだ。


 だが、ご主人の獸人アンナ様は俺をただの番犬だと思ってやがる。城の見張りに追い出されて、寝る場所すらない。一晩中、外で見張りをしてろってのか。


 勝手に馬の厩舎を借りて藁じきの寝床を作って、ふて寝ばかりしていた。世界に対するささやかな抵抗だ。やることも無いので今日はセレーヌ川までピクニックに来てやった。


 ワンワン!

 ワンワン!


 川で遊んでいる子供たちが二人。男の子と女の子だ。すごく楽しそうにしているが、大人が見ていないところで危ないだろ。五歳くらいにしか見えないぜ。


「きゃあ!」


「マイロ!?」


 だから危ないって言っだろう。言ってないけど。みるみるうちに少年は川に流されていく。女の子は泣くばかりだ。俺は自慢の足を使って川岸へ駆けると濁流に向かって飛んだ。


「ハッ……ブッ……ブクブク」


 一瞬水に沈むと、上下の感覚がなくなったが、俺は地獄のハンターだ。諦めの悪さと粘り強さが俺の最大の武器なんだ。


「……ハッ……ハッ」


 苦しい。ガキの着ていた粗織のチュニックが水を吸って、とんでもない重さに感じた。息が続くかどうかは賭けだった。賭けは強い方だ。


 獸人アンナ様が、俺を地獄から呼び出したとき、仲間の猟犬たちは全員で俺が死ぬほうに賭けた。おっと、ここで死んだら賭けは俺の負けだな。


 俺が強いのは賭けじゃない。同じかけでも、駆けるほうのかけだ。頭をガキの背中にぴったりとくっつけて、俺は右足を思い切りかいた。


 すかさず左足、右後ろ足、左足、左後ろ足、右足、右後ろ足、ちっ、わけ分かんなくなってきやがった、みんな足だし。


 だが水面は見えた。ガキの服を爪で切り裂き、水の抵抗を減らす。


 なんとか、ガキは川岸にたどり着いた。俺はよたよたと後を押しながら、水を蹴り巻くった。あとほんの少しだった。


 流れは穏やかだったが、浮力が足りなかったようだ。すべての空気が吐き出された肺が痛み、全身の感覚がなくなっていく。


 まさか、俺は……死ぬのか。別に構わないと思った。深く暗い水の底は、俺の生まれた地獄と似ている。そこへ帰るのだ。都合がいいことに感覚は麻痺している。


 体が温かく感じる。


 最後の最後に、俺は夢を見ていた。だだっ広い野原をガキたちが走り回っている。

 

『わーい、わーい、わーい』


 ワンワン!

 ワンワン!


『蝶々だよ、蝶々を追っかけよう』


 ワンワン!

 ワンワン!


『わん公、棒切れとってこーい』


 ワンワン!

 ワンワン!


『大好きっ! わん公、大好きっ!』


 なんだ、これは――。


 そうだった。俺は力をもてあまし、退屈だと文句ばかり言ってきた。退屈だったからじゃないんだ。寂しかったんだ。寂しくて寂しくて仕方なかったんだ。


 子供たちを見に来たのだって、本当は友達が欲しかったからだ。地獄に友達なんていないからな。みんな俺が死ぬほうに賭けるような奴らばっかりだし。


 吠えたりしないで、最初から下手にでてれば良かったのに、プライドが邪魔をしたんだ。死に際に気付いちまうなんて、バカだな。


 まあ、俺らしいや。せめて夢の中だけでも、ガキたちと思い切り遊んでやるぜ。


 バシャバシャ……バシャバシャ……。


 俺の意識はなくなりかけていた。だが、見知らぬ力が俺に浮力を与えた。岸辺に着いて、思い切り酸素を掴みとるように吸い込んだ。


 バシャバシャ……バシャバシャ……。


 ハッ……ハッ……ハッ。


 俺は自分のしっぽが千切れそうになるほど振られているのに驚いた。浮力の原因はこれだったのか。しっぽがスクリューの役目をはたしたのだ。


 遊んで、嬉しくなってしっぽが勝手に動いていやがったとは。


 すごい速さでしっぽが振られていた。もう自分でもどうすることも出来なかった。涙が出そうになった。ファンタスティックとしか言いようがなかった。


 テイルズオブファンタスティックと名付けよう。いつか遠い国の別の世界で遊んでくれそうなネーミングだ。


 ガチン!


 唐突に石つぶてが、俺の眉間にぶつけられた。子供の親が、俺に石を投げつけてきやがった。手元には大きく、尖った石が沢山用意されていた。


「あの犬ころが、マイロの服を切り裂いたのねっ! 危ないわ、するどい爪がある!!」


 母親のようだった。子供を守ろうと恐ろしい形相でこちらを睨み付けている。


「あっちへお行きっ、バカ犬!」


「そう、あの爪で服がビリビリって」


 ウー……た、確かにウソではないが、なんて正直なガキなんだ? そうか、溺れた子供は俺が命懸けで助けたことが理解出来ていないんだ。無理もない、か。


 きびすを返して、俺は川岸から母親の反対側に駆け出した。眉間から流れた血が左目に入って、チクチクした。また涙が出そうになったが、それは血のせいだ。悲しいからじゃない。


 女の子の方が母親に抱きついて、場を制した。泣きながら、何か叫んでいる。ママのバカとか、何とか。


「わんこのせいじゃないよっ! マイロが川に落ちたのを、助けてくれたんだよっ。なのに、なのに、石を投げたら可哀想だよっ!!」


「……」


 女の子は俺の為に、母親をバンバンと叩いてくれた。本当に子供ってやつは……正直だ。俺はぶっ倒れそうだったが、少女に心配をかけまいと川岸を離れた。


 意識が何度か跳びそうになったが、アンナ様の城に戻ってこれた。身体が冷えきっていたので厩舎に行こうと思った。


「お帰りなさい、ガルちゃん」


『お帰りなさいませ、濡れたわん公』


 珍しく、アンナ様が出迎えてくれた。弱っていた体が段々と良くなってきたみたいだ。骸骨は、カナズチと釘を持って俺を見ている。


『これからは、毎日アンナ様と散歩に出かけていただきます』


「ガルちゃん、いっぱい遊んでくれる?」


 驚いた。アンナ様は俺のことなんか嫌いなのかと思っていた。だから、遊んでくれないのだと。アンナ様は具合が悪かっただけだ。


『手前とアンナ様で勝手に、お前の犬小屋を作ってみたんだ。どんなのが、いいのか相談しようにも、お前の姿は見えないし』


「ガルちゃん、ちゃんと戻ってくるもんね」


 ワンワン!

 ワンワン!


 俺のしっぽは、千切れそうなほど振られていた。最高の犬小屋に興奮しすぎて、すこしだけ漏らしていた。体が濡れていたから、ギリギリバレなかったはずだ。


 ハッ……ハッ……ハッ。


『気にいってくれたようで御座いますな。どうぞ、お入り、わん公』


 俺は自分の犬小屋に駆け込んだ! 小屋の入口に頭を強烈にぶつけた為、石で打たれた傷口が開いて鮮血が舞った。


 頭がくらくらしやがる。でも、でも、でも……帰る家があるってのは最高の気分だ。


『とんだバカ犬ですな、あなたは』


 骸骨がカタカタと笑っていて、アンナ様も笑っていた。だから俺も嬉しかった。




 






 



 





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