ステージ#18:第8日

#18:第8日 (1) 再び地下へ

  第8日-2046年1月27日(土)


 腕時計の針が12時を指した瞬間、空から黒幕が下りてきた。風にはためいている。横にいる我が妻メグは笑顔のまま固まっているが、その足元の犬は尻尾を振っている。も一緒にバックヤードに入るつもりだろうか。追い出さなくていいのか。

 幕が下りきって、上からスポット・ライトが射してくると、我が妻メグはこちらを向いて無表情になり、犬の姿は半透明になって固まった。おかしい。犬はどうしてこんな扱いになるんだ。

「ステージを中断します。裁定者アービターからアーティー・ナイトへの連絡です。ステージ終了まで12時間を切りましたので、ゲートが開きました。ゲートの場所は、犬小屋ア・ドッグハウスです」

 また意味不明なことを。定冠詞"the"が付いてないし、固有名詞でもなさそうというのがおかしいんだよ。まさか、どこの犬小屋でもいいというわけじゃあるまい。

「それは人が入れる大きさの建物なのか」

「お答えできません」

 考え付くのは、ターゲットである犬を、元の犬小屋に戻すってことくらい? クロアチア以外の国なら間に合わないぞ。まあ、今の時点では間に合うってことなんだろうけど。

「地図を表示してくれるか」

「表示しますが、ゲートの位置は明示しません」

 床が地図に変わる。いつもどおりの表示法なら、俺が立っているところが現在地になるわけで、それは旧市街地の南の沖、ロクルム島だった。周りに黒幕が下りているので、地図と景色を見比べられないのが残念だ。

 この地図、本来なら昨夜ビッティーに質問したときに見てしかるべきだった。島内の位置関係を頭に入れておいた方がいいだろう。ピーナッツの殻のように真ん中がくびれた形で、北の方の真ん中辺りに山、その頂に城塞、北側の麓に検疫所、南の方に修道院跡、港はその東側か。道が意外にたくさんあるが、憶えきれるかどうか。地下の洞窟は表示してくれないよなあ。

 俺たちがボートに乗せられて上陸したのは、検疫所の近くだろう。岩場に仮設の船着き場を作ったのに違いない。

「ところでバックヤードにどうして犬が入れるんだ」

 半透明のアヴァターになったペネロパを見ながらビッティーに訊く。がターゲットだからではないか。しかし一昨日の朝、見かけたときから何か違いがあるのか。それにを俺が連れて行くのはサーニャやヨシップが許さないだろう。

「お答えできません」

「君のその言葉は好きだよ、ビッティー。疑問は自分で解決すべきだという示唆に聞こえるからね」

「そうですか」

「ターゲットは犬そのものではない気がしているんだが、どうなんだい」

「お答えできません」

「明日の日の出の時刻を教えてくれ」

「7時5分です」

「ここから朝日が昇るのを眺めたら綺麗だろうな」

「その問いかけには回答できません」

「後でメグに訊くよ。ターゲットを見つけたらまた会おう」

「ステージを再開します」

 スポットライトが消えて、幕が上がり始めると、犬が尻尾を振る。君はこの状況を不自然に感じないのかね。幕が上がりきると、我が妻メグが笑顔に戻った。

「ここから朝日が昇るのを眺めたら綺麗でしょうね」

 君がそれを言うか。いや、もしかしてさっきの俺の質問が、潜在意識として伝わった? そういう仕様だよな。

「夏場にはそういうツアーがあるかもしれないな。しかし今は寒い。風も吹く。夜明けまでまだ時間があるから、いったん地下へ戻ろう」

 階段を下り、鉄の扉から洞窟へ入る。風が遮断され、寒さがやわらぐ。

 さて、この後はどうすべきなのか。退路を確保した、とは言っても、山の頂上というのは行き止まりも同然である。麓を包囲されたら下りるに下りられない。もっとも、包囲できるほど敵に人数はいないはず。それに日が昇って船が来るまで持ちこたえられればいい。

「やっぱりミス・タリアを助けに行くべきだと思うの」

「理由は」

「彼女はここのことをよく知ってるんじゃないかしら。助けたら聞かせてくれるかもしれないわ」

 君がそんなことを知りたがるとは思ってなかったよ。俺の想像では、国際的な謀略に関係することだぜ? ラヴリー・リタの守備範囲とはだいぶ違ってるんじゃないか。

「夜明け前に奴らはいったん撤収すると思うんだが、それまで待つのはどう?」

「でも彼らは私たちが逃げたと判って、捜していると思うの。ぎりぎりまで撤収しないと思うわ」

「じゃあ、あの部屋に戻るのは、捕まりに行くようなものじゃないか」

「でもミス・タリアを味方に付けられたら、状況が変わるかもしれないわ」

 確かにそうかもしれないけど、過去に2度も悪人に捕まってひどい目に遭っているのに、どうしてこんな冒険的な考え方ができるのかなあ。やはり善きサマリア人のように、自分よりひどい目に遭っている人を放っておけないんだろうか。たとえそれが悪人の仲間でも。

「一つ約束してくれ」

「何を?」

「もし捕まりそうになったら、俺を捨ててペネロパと一緒に逃げてくれるかい」

「まあ、ひどいわ、そんなことできるわけないじゃないの! 捕まるならあなたと一緒よ。そのために付いて来たのに」

 “噂”の調査が危ないことだと思ってたみたいな言い方だな。まあ俺もそう考えて、できれば我が妻メグをホテルに置いてきたかったんだけど。

「しかし二人とも捕まったら、サーニャたちを助けられない」

「そのためにも、ミス・タリアを助けておくのよ。交換条件として、サーニャたちを解放してもらえるかもしれないわ」

 どうしたらそんな犠牲的なことが考えられるかね。まるで騎士のようだ。

「やはり君は愛すべき淑女ラヴァブル・レディーだね。ペネロパがいなかったらここで君を抱きたいくらいだよ」

「いても構わないじゃないの」

 いや、やっぱりやめておこう。君の声が洞窟中に響き渡るのは困る。

 キスだけにしておいて、洞窟の階段と坂道を下りる。丁字路まで戻って来た。右へ曲がって、階段を下りればいいのだが、真っ直ぐ行くとどうなるのか。

 そこにも何かあるのではないか。もしかしたらターゲットとなるダルメシアンが、とも思えるのだが、未確認の、確率の低い事象に期待するのはよくない。まずは判っていることから回収だ。

 右へ曲がる。階段は、より慎重に下りる。下りてすぐ先に、明かりの灯った部屋があるからだ。今度こそ見張りがいるかもしれない。そうなると身動きもできない。

 階段の途中から、下の廊下を覗く。すると予想したとおりに、見張りがいた。部屋から漏れてくる光を背中に受けて立っている。撤収作業を再開したということか。

 あいつに気付かれないように階段を下りて、丁字路を右へ……というのは、いくらなんでも無理。もう一つの階段を使えば見られずに下りることができるはずだが、そこへはどうやって行けば?

 いったん階段の上まで戻って、考える。ルートは二つありそうで、一つはこのすぐ近くにある鉄扉を開けること。監禁部屋から下へ向かうときに、いくつか開かない扉があった。その一つがここではないか。

 もう一つ、左へ行ったところにある丁字路から、右へ行くこと。その先にも、閂付きの扉があって、階段へ続く廊下に通じているのではないか。

 どっちへ行くべきか。ここは“女の勘”に頼らずに、論理的に考えることにしよう。

 すぐ近くの鉄扉を開けると、階段まで廊下を数十ヤード歩くことになるだろう。

 一方、未知の通路を通って行くと、階段のすぐ近くに出られる可能性が高い。

 どっちが敵に見つかりやすいかは考えるまでもない。

 我が妻メグにも説明して納得してもらった上で、廊下を左へ行き、丁字路から未知の通路へ。いくつか部屋があるが、どれも扉は開けっぱなし。そして中には何もない。撤収済みと言うより、使ってもいなかった感じ。少なくとも最近は。

 突き当たりを右へ。その少し先に、思ったとおり鉄扉があった。閂も掛かっている。

 ただし、閂はすっかり錆び付いていた。開けるには、動かして錆を取る必要がある。音を立てないわけにはいかない。が、とにかく時間をかけてやる。この辺りの区画を使っていない理由がわかった気がする。

 15分くらいかけて、ようやく閂が外せそうになった。しかし閂がこれでは、扉の蝶番ちょうつがいだって錆びているに違いない。開けるときに音を立てるだろう。音が敵に聞こえても、幽霊のせいだと思ってくれればいいなあ、とつまらないことを考えつつ、ゆっくりと扉を開ける。

 耳障りなきしみ音がして、ようやく人が通れるだけの隙間が開いた。とはいえ、通るのに苦労するのは俺だけで、スリムな我が妻メグや犬はするりと通り抜けてしまう。

 思ったとおり、階段の近くへ出た。扉は閉めておく。階段を下りたら左へ。どうやら敵に見つからなかったようだ。

 タリアが監禁されている部屋へ着き、扉を開ける。中をランタンで照らすと、先ほどから全く様子が変わっていない。タリアは床に倒れたまま。カシオペアはそばでおとなしく座っている。ランタンの光を見つけて立ち、こっちにやって来た。吠えてくれるなよ。我が妻メグが入って頭を撫でてやると、嬉しそうにクンクンと鳴くワイニング

 さてタリアをどうするか。助けるには、何とかして起こさないと。気絶したまま背負って運ぶのは、無理ではないがかなり苦労するだろう。ラヴリー・リタは、こんな時にいいアイデアを持っていないのかい。

「気付け薬がないときには、大きな声で呼びかけるか、肩を叩くくらいしかないけれど……」

 それなら俺の知っているのと同じだ。

「キスをしたら起きるかな?」

「あなたがするくらいなら私が」

 そんなに真剣な顔して言うことじゃないって。考える時間稼ぎのジョークなんだから。しかし他に方法はないので、両肩を叩く。我が妻メグには耳元で呼びかけてもらう。女の声の方が高くて刺激が強いだろう。しばらくするとタリアが「うう……」と低く呻いた。よし、後は我が妻メグに任せよう。気付いたとき、目の前にある顔が俺の場合と彼女の場合では、だいぶ印象が違うだろう。

「うう……あ、あなた方は……」

 タリアが目を開いた。我が妻メグだけでなく、俺も見えてるのか。視野が広いな。

「落ち着いて下さい。ここがどこだか判りますか?」

「あなた方は……私をどうしようというのですか?」

 会話が噛み合ってないな。というか、タリアが「どこですか」と訊いてきたら、我が妻メグは何と答えるつもりだった?

「落ち着いて下さい。ここはロクルム島の検疫所跡の地下室です。私たちはここから出る方法が知りたいのですよ」

 おやおや、出る方法は一応判ってるのに、我が妻メグはタリアから何を聞き出そうとしてるんだろう?

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