#18:第7日 (15) よみがえった改心

 廊下に出る。風の鳴る音が聞こえるだけで、人や犬の声はしない。まさか、連中はもう脱出した、とかいうんじゃないよな。

 コート男は「もう一つ、広い部屋がある」と言っていた。なら、みんなそこにいるのか。俺としては「もう一つ」は信用していない。人のための部屋と犬のための部屋があると思っている。とにかく、俺が連れ回された部屋よりも、もっと奥にあるに違いない。

 そこへ我が妻メグまで連れて行くべきなのか。

「君だけ先に外へ出て待っているかい」

「外は安全じゃないわ。彼らが出てきたら、捕まって、また別のところへ連れて行かれるかもしれないもの」

「じゃあ君も一緒にペネロパを探しに行くか」

「もちろん。それに彼女の方が私の匂いを嗅ぎつけてくれるかもしれないわ」

 どうかな。檻ならともかく、部屋に閉じ込められてたんじゃあ、匂いは届かないだろう。しかし見つけたときに扱いが楽になるのは間違いない。俺には吠えるだけで、付いて来てくれないかもしれないから。

「ところで君、持ち物は」

携帯端末ガジェットは、ボートに乗せられたときに奪われたわ。その他の物は、車に置いてきたの」

携帯端末ガジェットがあれば救急隊を呼べたのに」

「あなたと一緒に撮った写真がなくなったのが残念よ」

 それは強がりなのかな。まあいいや。廊下を、コート男に連れ回された方へ行く。途中、念のために全ての扉を開けて、中を確認する。いくつか開かないのもあるが、鍵穴もないのでどうしようもない。最後に連れて行かれた部屋までは、誰もいないし、何もなかった。問題はその先だ。

 廊下を行くと、下り階段があった。洞窟を加工したのだろうが、かなり急角度で下へ降りている。しかも先は螺旋階段のように曲がっていた。上下の洞窟をつなげるためと思われる。

 メグの手を握って、階段を下りる。ただし、慎重に。数段下りては聞き耳を立てて、を繰り返す。ずっと風の音がするだけだ。

 建物なら1フロア分を下りたか、と思われる深さまで来たが、下にたどり着かないし、人の気配もない。

 いや、声が聞こえてきた。しかも近付いてくる! 振り返って我が妻メグの顔を見る。彼女も声を聞きつけたようで、目を合わせると小さく頷いた。さて、どうすべきか。

 もちろん、鉢合わせはまずいので、足音を忍ばせて上に戻る。一番広い部屋に隠れようか? いや、荷物を運び上げにくるのなら、そこを仮置き部屋に使うかもしれないと考え、一つ先の小部屋へ。

 扉を閉めて、廊下の音に聞き耳を立てる。我が妻は、俺の手を握って身を寄せてきているが、その吐息が悩ましいのは気のせいだろうか。

 廊下を数人の足音が通り過ぎた。足音が揃っていない。荷物を置きに来たのではなかったようだ。外へ行くのか。低い声で何か話していたが、同時通訳はされなかった。

「ヘブライ語だわ。『ボートが来るか判らない』と言っていたようよ」

 我が妻メグが耳に囁きかけてくる。どうしてヘブライ語なんて知ってるんだよ。

「君は善きサマリア人の子孫なのかい」

 新約聖書の中の、何の福音書だったか忘れたが、「たとえ自分が不利益を被っても、困っている人を助ける」のが「善きサマリア人」に喩えられたはず。

「まさか。私が善い行いをするのは、あなたに影響されたからだわ」

 俺を教祖にされても困るよ。悪いことができなくなる。浮気をするつもりはないけど。

 とにかく足音は過ぎ去った。もう一度、階段を下りに行く。さっきの連中が戻ってくるかもしれないが、それを気にしていたら行動できない。

 しかしやはり階段では慎重に、上からの音も下からの音も注意して下りる。両方から聞こえたら挟み撃ちで逃げられないから、そうならないことを願うばかりだ。

 普通の建物の2フロア分を下りて、ようやく下の洞窟と思われるところに来た。しかし道が左右二手に分かれている。どちらへ行けばいいのか。耳を澄ますと何やら音が聞こえてくるのだが、反響していてどっちからかもよく判らない。

「マイ・ディアー、君の“女の勘”に頼ってはいけないかい」

「まあ、どうして?」

「パリの地下採石場跡で実績があるらしいからさ」

「あの時は、マドモワゼルが私を導いてくださった気がしたのよ」

「今回だってペネロパが呼んでるかもしれないぜ。船で島へ来るまで一緒だったろう?」

「じゃあ、心の声を聞いてみるわ。その前に、私の気持ちを落ち着かせてくれるかしら」

「どうすればいい?」

「簡単よ。こうするの」

 我が妻メグは俺の首に手を回し、背伸びをして、俺の唇を奪ってしまった。何てことを。それで気持ちが落ち着く? 俺は心拍数が上がるんだけど。

「こっちよ」

 キスが終わると我が妻メグは左の方を指し示した。さすがに先に立とうとはしないので、俺が行く。我が妻メグは後から付いて来る。

 壁に扉が並んでいるが、どこも開けっぱなし。上とは違っている。撤収が終わったことを示すためだろうか。でもこういうことをすると、空洞が多くなって、共鳴が起こりやすいんだよな。廊下を右へ曲がるとやはり扉が並んでいるのだが、一つだけ閉まっているところを見つけた。

 この中で撤収作業をしている? いや、普通に考えれば、扉を開けて、中で灯りを点けておくだろう。そこで作業をしていることが明確になる。もしかしたら、さっきの分かれ道で右の方へ行っていたら、そういう部屋が見つかったのではないか。

 扉を押す。しかし開かない。ランタンを近付けてよく見ると、ドアノブの上に鍵穴が開いている。扉に比べて鍵穴の辺りだけが新しそうだから、換装したのだろう。それでもごく簡単なピンタンブラー錠に見える。つまり、それほど重要な物が中にないという意味。

 開けるのは簡単なんだけど、我が妻メグの前でするのはなあ。

「錠が掛かっているの?」

「そうだ」

「あなたなら開けられるんじゃないのかしら」

 なんで知ってるんだよ。まさかバレてるのか。

「どうしてそう思う?」

「優れた研究者は、たいていの場合、解錠を趣味にしてると聞いたことがあるわ」

 誰から聞いたんだよ、そんないい加減な話。リチャード・ファインマン以外の事例を俺は知らんぞ。しかも彼だって、靴の中にピックを常備してたわけでもない。

「白状するよ、アナベル。実は俺は元金庫破りで、本名をジミー・ヴァレンタインというんだ」

「私もそうじゃないかと思っていたのよ、ラルフ」

 さすが我が妻メグ、O・ヘンリーの短編『よみがえった改心A Retrieved Reformation』のことを持ち出しても、すぐ解ってくれる。ところであの話だと、ジミーは婚約者アナベルの姉の子供を金庫の中から助け出すんだが、今回は犬だからなあ。

 ランタンを我が妻メグに渡して鍵穴を照らしてもらい、靴底からピックとテンションを取り出す。もしかしたら我が妻メグは、俺の靴を手入れしていて、解錠道具が入っているのに気が付いた……という設定なのかもしれない。

 ピックで鍵穴を探る。ピンは5本。これならあっという間。しかしわざと手際を悪くして、1分近くかけて開けた。ピックとテンションを、靴底へ戻す。ドアノブを押して、扉が開いたときに、我が妻メグがどんな顔をしていたのかは見逃した。

 中に入って我が妻メグがランタンで辺りを照らす。部屋の奥の隅で、何か動く気配。低い唸り声。犬だな。小さな檻があって、ダルメシアンが1匹……2匹? 閉じ込められている。そのうちの1匹が立ち上がって、灯りに向かって吠えたそうにしているのだが、吠えない。よく訓練されてるのか。いや、んだな。

「ペネロパだわ!」

 我が妻メグが嬉しそうに言う。どうして判るんだろう。身体の模様を憶えていたのだろうか。斑は取り立てて特徴のある配置じゃなかったと思うのに。

 すぐには駆け寄らず、我が妻メグは部屋の他の場所も照らして――賢明な判断だ。誰か隠れてるかもしれないんだから――反対の隅に人がいるのを見つけた。縛られて、目隠し・猿ぐつわで床に転がされている。女だと思うが、あの服は見憶えがあるような。

「君は犬を頼む。俺はあの女性を」

「解ったわ」

 逆にすると、俺は犬に吠えられてしまう。我が妻メグは部屋の真ん中辺りにランタンを置き、犬の檻に駆け寄った。

 俺は女の方へ。近くで見ると、やはりタリア。全く反応しないのは、眠らされているのか。片膝を突いて、呼吸を確認する。あるようだ。脈を取る。あるようだ。

 ひとまず目隠しと口のテープを剥がす。動きなし。手首のロープを……

あら、まあオー・マイ!」

 我が妻メグの悲鳴。檻から出してやった2匹の犬に襲われている! ……違うな、あれは。じゃれつかれてるんだ。思わず腰を浮かしかけたけど。我が妻メグはしゃがみ込んで、身体を寄せてくる2頭の犬を、愛おしそうに撫で回していた。ペネロパは解るけど、もう一匹がどうしてあんなに。

「この子、カシオペアじゃないかしら」

 星の配置を確認したのかい。犬の方は我が妻メグにタリアの匂いを嗅ぎつけたのか。

「こっちはその飼い主だ」

「まあ! やはりそうだったの」

 我が妻メグが言って、犬と共に駆け寄ってくる。やはりって、君も服で判ってたってことか。我が妻メグはタリアを心配そうに見る。ペネロパは殊勝にも俺のそばへ来て軽く一吠え。見つけくれた礼ってことだろうな。もう一頭は警戒してるのか、俺には近付いてこないけど。

「彼女、助けてあげた方がいいんじゃないかしら」

 君、本気で言ってるのか。彼女が俺たちをこの状況に陥れたようなものなんだぜ? やっぱり我が妻メグは善きサマリア人の子孫に違いない。

「どうやって助けようか。薬を投与されていたらしばらく起きないだろう」

「でも、外まで運んであげるくらいなら」

 外、寒いんじゃないか? ここの方がまだ快適だろう。それに迷って出られないような洞窟でもなし。

「洞窟内の状況次第だな。誰かに見つかりそうになったら、彼女は足手まといになる。見捨てられないから、俺たちも捕まる。助け出す甲斐がない」

確かにそうだわシュア・イット・イズ

「連中にしても、彼女をここに拘束したのは一時しのぎで、最終的には解放する予定だったろう。ここにいた方がむしろ安全と言えるんじゃないか」

確かにそうだわシュア・イット・イズ

「だからカシオペアと一緒に……」

 言いかけたとき、廊下の足音を聞きつけた。ここへ来る? 急いでランタンを拾い上げて消し、扉のところへ行く。古典的な凌ぎ方だが、うまくいくだろうか。

 足音はやはり部屋の前まで来て止まった。鍵穴を回す音がする。錠が閉まった。当然、扉は開かない。外の人物は慌てて開け直しているようだ。扉が開いた。

 懐中電灯フラッシュ・ライトを持った“影”が駆け込んできた。タリアの方へ行き、様子を見て、それから檻の方へ。またタリアの方へ戻ってから、部屋を出て行った。廊下で何かわめいている。

「犬が逃げた、ですって」

 我が妻メグがまた翻訳してくれた。男が飛び込んできた瞬間には、不安そうに俺にしがみついてきたのに、出ていくのが判ったからって、ずいぶん余裕があるじゃないか。

 しかし“開いた扉の陰に隠れる”なんて古典的な凌ぎ方、本当にうまくいくものなんだな。部屋が暗かったからか。犬もおとなしくしてたし。

 あの男も――声で男と判っただけだ――犬が逃げたなら、扉を閉めて行くわけがないのに、気が動転していたのか。やっぱり“地獄の犬”が怖い?

 扉の陰から出て、いったん閉めておくことにする。ランタンを灯す。さて、これからどうしようか。

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