#18:第7日 (11) 袋小路

 ブラニテリャ・ドゥブロヴニカ通りで再び我が妻メグたちと合流。一人増えている。女だ。聞き込みの途中で出会ったのか。さて、どこかで見たような?

「ザグレブのマクシミール公園でお会いしたのよ」

 我が妻メグが笑顔で言う。そうだった、思い出した。しかしこんなに美人だったかな。クロアチア人とは少し違う系統。一瞬気付かなかったのは、あの時は笑顔で、今は心配そうだからか。しかしどうにも妙な感覚が。

 ところで、なぜドゥブロヴニクに?

「私の犬が行方不明になってしまったんです。ミス・ルジチカが、この辺りで似た犬を見かけたと知らせてくれたので、来て探しているところです」

 見かけたって、それほど特徴のある犬なのか。胴の右側の後ろの方にぶちが五つ、Wの字型に並んでいるって? だから名前はカシオペア。我が妻メグは憶えてるのか、そうか。俺はダメだなあ。

 写真も見せてもらった。斑はその五つだけではないが、Wの形は判りやすい。ついでに女の名前も教えてもらう。タリア。

 犬の年齢は3才。ということは、ペネロパの兄弟の一人? しかし女教師からもらったリストに、タリアという名前はないようだが。

「あら、そのリストの2番目が私の母ですわ」

 なるほど。しかし、ザグレブからここまで本当に犬が来るとは。見かけたのは月曜日で、金曜日までに600キロメートルを移動した? さすがに体力があるなあ。しかしいったい何の匂いを追いかけてきたんだろう。

 さて、ここからはどうするか。カシオペアの匂いを追いかけるという手があるな。タリアがうまい具合にリードを持って来てくれていた。それをペネロパに嗅がせて……

「アーティー、私たちがしようとしているのは、噂が真実かを確かめることじゃないの? 行方不明になった犬を探す必要まであるのかしら」

 サーニャから物言いが付いてしまった。しかし今さらだぞ、それは。

「サーニャ、それは心得違いというものですよ」

 俺が答えようとしたら、ミリヤナが先に口を開いた。俺の言いたいことを言ってくれそうな気がする。

「心得違いって?」

「研究者が調べごとを進める時、そこでもし不正が行われていると知ったならば、たとえ自分の研究目的に関係なくても、決して見逃してはいけないのですよ。それは研究者の良心と倫理に関わることなのです」

「研究者の良心と倫理……」

 その言葉はどうやらサーニャの胸を打ったらしい。そしてミリヤナによい研究者としての資質があることを示すものだと思う。

 さて、全員でペネロパの行く先を見届けるというのは大仰なので、人数を絞りたい。サーニャがペネロパを連れて、俺と一緒に行く。我が妻メグとミリヤナとヨシップはタリアと一緒にカシオペアのことを聞き込み……

「ペネロパはヨシップが連れて行かないと」

 サーニャからまた物言いが付いてしまった。しかし言いたいことは解る。ヨシップはそのために連れて来たんだから。

 俺がガキブラット二人を連れ歩くことになるが、二人とも言うことを聞いてくれよな。

「それじゃあ、マイ・ディアー・メグ、30分後にまたここで」

「解ったわ。気を付けてね」

「君こそね」

 頼むから誰かに連れ去られないでくれよ。

 タリアが持っていたリードをペネロパに嗅がせる。ペネロパは辺りを嗅ぎ回った後で、ゆっくりと歩き出す。ミス・ルジチカの家から離れる方向。

 そして脇道に入り、グラダツ公園への坂を登っていく。いい感じだ。道が狭いので、ペネロパとヨシップを先に立たせ、俺とサーニャは後から付いて行く。家と街灯が減って道が暗くなってきたので、ヨシップに懐中電灯フラッシュ・ライトを渡す。サーニャは俺の手にしがみついている。

 グラダツ公園まで上がってきた。月はさっきよりも少し高いところへ昇り、海を照らしている。波が白く輝く。ロブリイェナツ要塞も白く照らされているが、ずっと向こうのロクルム島までは見えない。

 ペネロパは公園を一回りしてから、西へ。街灯は全くなくなり、ライトで照らされた足元しか見えない。ヨシップは周りの状況を気にしていないのか、平気な様子で歩いて行くが、サーニャは怖がってますます強くしがみついてくる。道のすぐ脇に、廃墟となった教会と墓地があるのだが、それをサーニャに言ったら悲鳴をあげるか失神するか。

 岩に刻まれた階段を降りる。ヨシップに気を付けるように言うと、「大丈夫」という答えが返って来る。俺も足元をペン・ライトで照らす。サーニャはずっと怖がっているのだが、「帰りたい」「辞めたい」と言わないのは偉いな。

 ついに一番下まで降りてダンチェ・ビーチに来た。ペネロパはコンクリートで固められた“ビーチ”を嗅ぎ回り、海のすぐ近くで小さく「バウ」と一吠え。つまりここで匂いが消えたと言いたいのだろう。

 海に飛び込んだはずはなく、船に乗せられたのに違いない。しかし、続きは明日になってからかな。

「……もう終わり?」

「うん、そうだな」

 サーニャに答え、ヨシップに声をかけて、振り返って階段を登ろうとしたら、上から光が降ってきた。懐中電灯フラッシュ・ライトの光。我が妻メグたちが来たのかと思ったが、それなら「マイ・ディアー!」と声をかけてくるはずで、しかも男の足音がいくつも、とはどういうことか。

 ペン・ライトで照らし返してやると、黒っぽい作業着の上下の男、それに続いて黒い帽子に黒いコートの男。その後にも作業着の男が何人か。

 袋小路に追い詰められたかのようで、逃げ場はなさそう。冬の海に飛び込めるわけもない。ペネロパが大きく一吠え。やっぱりあいつら、悪人に見えるのかねえ。

「この時間、ここは立ち入り禁止だったか? 表示はされていなかったようだが」

「場所が問題ではない。君たちの行動が問題なのだよ」

 コートの男が、甲高い声で言った。彼が責任者のようだ。作業服の男たちは軍人で、彼はその上官? どうも違う気がする。

「夜の海岸に犬の散歩に来るのが、そんなに大きな問題かね」

「そう、その犬が問題だ。やはり動物というのはなかなか制御しにくいものだよ」

 やはり実験に使ってたってことか。他の犬は飼い主から逃れてちゃんとまで来たのに、ペネロパだけが来なかった? 別に、そういう習性が発動する日がはっきり決まってるわけでもあるまい。犬は悪くないだろう。

「それで、俺たちにどうしろと」

「君らの身柄をしばらく預からせてもらう。もちろんその犬もだ」

 男が言ったら、ペネロパが吠えた。自分のことを言われてるって、解ってるんだ。利口じゃないか。

「子供まで巻き込むつもりかね」

「巻き込んだのは君の方だろう。謝るなら君からじゃないのかね」

「謝ることなんてないわ、アーティー! 私たち、何も悪いことしてないんだもの」

 サーニャが気丈にも言い返す。しかし両手で俺の手をしっかり掴んだままだ。が、一方の手が離れて「ヨシップ!」と弟を呼んだ。弟の手を握ってやるつもりかい。優しいな。

 ヨシップはこちらに寄ってきたが、ガキブラットのくせに泣きもしない。付いて来るだけのことはある。たいした姉弟だよ。何とかしてやりたいところだな。

「子供というのは考えなしに行動するから困る」

「あんたは子供だった頃はないのか」

「口の減らん男だ」

「合衆国民なんで、自己主張が強いのさ」

「そのせいで他人を巻き込んでいるのに反省もせんのかね。おい」

 コート男が顔を少し動かして、後ろの作業服に声をかけた。作業服は上に合図したようだ。足音が階段を降りてきた。女物のパンプスの音。やられた。そういうことか。

「君は自分の妻まで巻き添えにして……」

「マイ・ディアー・アーティー! あなたは反省する必要なんてこれっぽっちもないわ。私はあなたが正しいことを信じていますもの」

「そうですとも。正義は私たちの側にあるのです」

 我が妻メグにミリヤナ。言ってくれるねえ。コート男が言葉を失ってるよ。

 タリアは? ペン・ライトを動かす。いない。いや、いた。なぜ彼女だけ作業服の男たちの後ろにいるんだ。

 なるほど、そういうことか。彼女も一味なんだな。あそこで待っていて、情報を提供するふりをして、俺たちをここへ追い込んだんだ。

「全くしょうがない連中だ。しかしこれほどいては1回では運び切れんな。子供二人と女一人は一時的にこちらに留め置く。やれ」

 コート男が指示すると、作業服たちが動き出す。まずミリヤナを階段の上に引き上げる。それから二人ばかりこちらへ寄ってくる。連れ去られる前に、しゃがんでガキブラット二人に話しかける。

「必ず助ける。俺を信じて待っていてくれ」

「もちろん、信じてるわ。ヨシップ?」

 サーニャが答え、弟に声をかける。弟は大きく頷いた。二人とも泣きそうな顔のくせに、気丈なものだ。作業服の男が、二人を連れて行く。教会の廃墟へでも入れておくのだろう。犬はヨシップの手から奪われて、何度も激しく吠えている。コート男が我が妻メグを連れて来た。我が妻メグは穏やかな笑みを浮かべている。見ているだけで希望が湧いてくるようだ。

 しばらくすると、波の音に交じって船のエンジン音が聞こえてきた。作業服の男が一人、“ビーチ”の端でライトを照らしている。そこへ船を着けろという合図か。

 月明かりの中、黒くて大きい、ラフティングに使われるようなゴム・ボートラバー・ディンギーがやって来た。大人が1ダースは乗れそう。「乗れ」と言われて乗り移る。足元を照らしてくれないが、俺が先に乗り、我が妻メグの手を持ってエスコートした。

 コート男に続いて、作業服が4人、5人と乗ってくる。女もいるようだ。タリアも乗ってきた。ペネロパも。ペネロパはマスクのようなものを付けられ、鳴き声も出せない。

 どこへ連れて行かれるのか知らないが――たぶんロクルム島だと思っているが――我が妻メグ貴婦人レディーとして遇してくれないと困るな。



 Лエルとリタは、何らかの“組織”に捕まってしまった。ボートでどこかへ連れて行かれるようだ。私は彼の行動を、軽率だとは思わない。ターゲットに近付くには、危険だけれども最短の道のはずだから。

 この混乱に乗じて、私も“組織”の本拠へ行きたいと思う。しかしそうなると、12時までにホテルへ帰れない。ティーラはもちろん心配するだろう。どのように行動するだろうか。Лエルとリタを頼ろうとするかもしれないが、彼らも帰らないとなると……

 私はティーラの行動について、いくつかの仮説を立てていた。そのうちの一つ、最も有力なものが実現する確率は、非常に高いのではないかと思う。私の頭の中のシミュレイションが正しければ……

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