#18:第7日 (12) 島の秘密施設

 船が走り出す前に、目隠しを付けられた。口は塞がれないようだ。

「断っておくが、我々は君の素性を把握している。しかし君の肩書きや権威は我々には通用しない」

 コート男が言う。どうやら俺の前に座っているようだ。口が利けるのなら、言い返しておかなければならない。

「じゃあ俺の方も断っておこう。財団は常に俺の所在を把握している。1インチ単位でね。身体に生体チップが埋め込まれているんだ。生体反応が消えたり、24時間以上同じところに留まっていたりしたら、米軍の救援が来る。地中海の管轄は第6艦隊だったかな。アドリア海にも潜水艦が常時沈んでるはずだよ」

「そんなはったりも通用せんよ」

「じゃあ試してみれば?」

 エンジン音が大きくなって、船が動き始めた。我が妻メグを勇気づけてやりたいが、隣にはいないようだ。両側を屈強な男に挟まれている。両手は後ろに回され、ゴムか皮か、とにかく柔らかい“手錠”のようなものを付けられた。自由に動かせなくなったが、痛くはない。

 ボートは旋回して走り出す。顔に冷たい風が、ときどき波飛沫しぶきが当たる。走っている方向はよく判らない。が、かかる時間でどこへ着いたか判るだろう。10分で着くようならロクルム島に間違いない。それ以上なら……残念、どこか判らない。周辺の島の配置が、頭に入っていなかった。

 しかし思ったとおり10分ほどでエンジン音が少し小さくなり、ボートの速度が緩やかになった。これなら、アドリア海を横断するようなことにはならないだろう。

 やがてドスンとどこかにぶつかる衝撃があって、ボートの動きが止まった。右横の男が「立てスタンダップ!」と訛りのある英語で命令してくる。しかし俺が自分で立とうとする必要もなく、両側から腕を掴まれて無理矢理立たされた。

段を登れゴー・アップ・ザ・ステップ

 冗談じゃない。段差がどれくらいあるか判らないのに、登りようがあるか。しかしやはり腕を掴まれたまま引っ張り上げられるようにして段差を登った。足元は板張り。しかも鉄パイプに固定されている感じの反響音がする。どうやら仮設の桟橋の上に立っているようだ。大きな船の中に連れ込まれる、というのではなさそう。

歩けウォーク

 いちいち命令されるのだが、男どもに腕を引っ張られっぱなし。足を前に出させるのは転ばないためか。俺だって、海に落ちたくはない。

ここから坂だア・スロープ・フロム・ヒア

 なるほど、足元の板が上り坂になった。仮設桟橋の続きで、岩場を越えてるんじゃないか。やがて板張りが終了して、足元は土に。風が吹いて周りで木の葉や草がさやぐ。島の森の中に連れ込まれていく。

 緩やかな坂道を、男どもに腕を引っ張られるままに、くねくねと曲がりながら歩いていると、広くなったところに出た気配がした。要するに木が薙ぎ払われていて、さやぎの音が遠のいた感じ。

 数ヤード歩くと足元が石になった。それから反響音。石の門をくぐったのか。

階段を降りろダウン・ザ・ステアーズ

 また冗談を。踏み面の幅や段の高さが判らないのに降りられるわけないだろ。足先でそれらを探ろうとしたが、男どもが先に降りて行く。強引だが、段の幅や高さは判った。が、左側の男が手を放した。どうやら横幅が狭いようだ。

「ヘイ、マイ・ディアー・メグ、階段から落ちないように気を付けなよ」

黙れシャタップ!」

 耳元で叫ぶな! 声が階段内だけじゃなく、頭の中でも反響する。愛しい我が妻マイ・ワイフの足元を気遣って何が悪いんだよ。返事はなかったけど。

階段の終わりだジ・エンド・オヴ・ザ・ステアーズ

 2階分くらいは下がっただろうか。身体は右に旋回させられ、また左腕を男に取られる。島には検疫所の跡があるとミリヤナが言っていたが、その地下か? なぜ地下室なんて作る必要がある。

 待てよ、この辺りには石灰質の地層も多いんだったな。じゃあ島内にカルストの洞窟があって、それを地下通路や地下室として使っているんじゃないか。前回も洞窟でひどい目に遭ったが、今回もかよ。

 通路は微妙な上り下りと、不規則なカーヴがある。やはり洞窟か。そのどこかで直角に曲がらされた後、左側にいた男がまた手を放した。右は掴まれたまま。が、背後で鉄の扉が閉まる音。閉じ込められた? 男一人と一緒に。

 その男が手を放し、「座れシッダウン」と言う。

椅子にオン・ザ・チェア?」

地面だオン・ザ・グラウンド

 湿っぽい匂いがするんだが、床が濡れてないといいなあ。座る前に手で触ってみたが、石を敷き詰めてあるようで、湿っぽいが濡れてはいなかった。これならまあいいか。

 後ろの扉が開いた気配はない。つまり男に見張られたまま。もちろん我が妻メグは別のところに連れて行かれただろう。

 さて、この後の展開を考えようか。

 俺を生かしたままここへ連れて来たが、ここで殺すということもないだろう。最初の「断り」どおり、俺の肩書きを知った上なので、これから何らかの交渉をするのだと思われる。

「何をしていたか忘れろ」という脅しは、少なくとも俺には効かない。合衆国民だし、クロアチアを出国したら言いたい放題。止めることはできない。では何の交渉をして、どうやって口を塞ぐのか。

 というか、そもそも俺は、まだ何も知っていない。“噂”を検証している途中だ。その噂も犬が行方不明になるという程度で、大きな問題ではない。そこに俺が他のヒントから導き出した「長距離を帰還する軍用犬の訓練」という仮説があるに過ぎない。

 それが事実だったとして、連中にとって何が問題なのか?

 何のために軍用犬の訓練をするのか。この時代に。国境を越えて物を運ぶことに、どれだけの意義があるか? それは人ではできないのか。あるいは物を送る代わりに電子情報ではいけないのか。

 どこの国境を越えることを想定しているのか。ヨーロッパはシェンゲン協定によりほとんどの国の間で往来が自由で、制限されている国の方が少ないくらいだ。となるとロシアかイランかキャセイか。クロアチアとNATO同盟国である合衆国に秘密にするようなことか。

 そういったことが、まだ何も判っていない。どこで調べれば判っただろう?

 連中が交渉のために敢えてそれを俺にバラす意味もない。それとも俺が全てを知っていると勘違いしているだけなのか。

 それはそれとして、ターゲットのこともある。ここにいるであろうたくさんの犬の中から、一頭を連れ出せばいいのか。目印は何か。帰りの船はどうするのか。それともゲートも島内にあって、そこへたどり着けばいいのか。

 ゲートのことはあと2時間も待てばビッティーが教えてくれるが、その他のことは何も判らんなあ。あるいは洞窟をたどっていくと陸まで続いている? 他のステージであったけど、まさかね。

 ああ、そうか。研究所で聞いたことに、脱出方法のヒントが含まれてるんだよ。さて、どれだろう。鉄道に飛行機に船。手段はよりどりみどりリッチ・バラエティーだが、船以外役に立ちそうにないな。その船も航路の話ばかりで……ん? まあいい。これはその場になれば思い付くだろう。

 さて、我が妻メグはどこにいるのか。探しに行きたいが、後ろに見張りがいるんだよな。一応確認してみようか。

「ヘイ、ルーム・サーヴィスは何時までだ?」

黙れシャタップ

 やっぱりいたよ。歩く時に声をかけてきた男だな。目隠しされているので、この部屋が真っ暗なのか、それとも薄明かりがあるのかすらも判らない。目隠しってのはだいたい鼻の横に隙間があって、そこから灯りがあるかどうかくらいは見えるはずなんだけど。

「ヘイ、君、名前は?」

黙れシャタップ

「OK、ミスター・シャタップ、ここは軍の施設かい?」

黙れシャタップ

「俺に質問をやめさせたい時の、他の言い回しを教えようか」

黙れシャタップ

 うむ、ジョークも通じないな。もしかして俺がジョークを言ってることも解ってないかもしれない。いや、同時通訳で判ってるはずだよな、彼がクロアチア人なら。

 クロアチア人でない可能性もある? それもどうかな。俺が話し終えてから「黙れシャタップ」って言ってるから、一応判ってると思っておこうか。

「君、いつまで俺を見張ってろって言われてる? 残業手当は出るのかい」

黙れシャタップ

「今、何時だろう。俺はこのまま寝てしまっていいのかな」

黙れシャタップ

「もし尿意を催したらここで出していい?」

便所ラヴァトリーはある」

 ちゃんと通じてるじゃないかよ! ミスター・シャタップ改め、ミスター・ラヴァトリーって呼ぶことにするかあ。

 それはさておき、ここで小便ピーするってのがジョークでも言えないとなると、やはり何かあるんだな。部屋に匂いが付くと困るような事情が。

 しかし、犬の匂いはしない。島に着いてから、ずっとそうだ。犬を閉じ込めるところとその他の場所を完全に分けているのかもしれないが……

「ヘイ、その便所ラヴァトリー温水洗浄装置ウォーム・ウォーター・ビデは……」

 質問の途中、鉄扉にノックがあったので黙る。ミスター・ラヴァトリーが笑うかどうかを試したかったのに。

 扉が開いて、小さい声が聞こえた。ミスター・ラヴァトリーの足音がする。扉のところで何か話しているようだ。内容は全く判らない。単語一つ同時通訳されないということは、クロアチア語ではないのか。

 それから足音がして、扉が閉まる音。何があったか判らないが、動きがあるというのはいいことだ。このまま何も起こらないと、俺にとってはノー・チャンスだからな。シナリオにだって、一つくらい逆転のプロットが書かれてるだろう。

 足音が後ろから近付いてきた。ミスター・ラヴァトリーは俺に何か用があるようだ。背中に銃を突き付けて「立てスタンダップ」と言うくらいかな、と思っていたら、背後に立ち止まったままだ。有無を言わさず引き鉄を引く? いや、彼が銃を持ってるかどうかも、よく判らないんだけど。

 んんっ!?

 何だ、これは。どういうことだ。なぜここで……

 おいおいおい、冗談だろノー・キディン。いつの間にそんなことになってるんだよ。信じられないな。

 とにかく、ノー・チャンスじゃないことは判った。どうやってそれを伝えようか。黙っていても通じるかもしれないけど。

「ヘイ、夜食は一口サイズのハンバーガーにしてくれるかい。手を使わず食べられるようにね。もちろん、君が口に運んでくれるのを期待してるんだ」

 返事はなく、足音が遠ざかった。ため息の一つでもついてくれればいいのに。

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