#18:第7日 (4) ドゥブロヴニク観光 (2)

 大聖堂に入って、ティツィアーノの三連祭壇画『聖母被昇天』や大理石の祭壇などを見る。俺は相変わらず絵画の良さというものが解らないが、絵画を見る我が妻メグの表情が美しいことだけはよく解る。

 残念ながら宝物庫は閉まっていたので見られず。外へ出て、聖堂前の広場から東へ延びる細い小路へ。旧市街地から海へ東に突き出す聖イヴァン要塞がある。円柱を縦に半分に割ったような形をしているのが特徴。海側に丸い方を、旧市街地側に平らな方を向けている。裾に沿って細い通路が作られていて、海側まで回って要塞を見ることができる。高さ約33フィート、10メートル。圧巻の石壁だ。

 要塞内部は海洋博物館になっていて、入ることができるし、屋上に昇ることもできる。そして昇ると、旧市街地の周りを囲む城壁の上を歩くことができる!

 その気になれば、ほぼ一周することが可能。出入り口はこの要塞、西のピレ門の辺り、そして最初に入ったプロチェ門の近く。要するにCの字型をしているのだが、その書き順どおり、反時計回りの一方通行だ。つまり要塞から入って壁を歩くことはできない。

 なので、景色だけを眺める。壁の外は海、内は民家の3階の窓を覗ける高さ。

 要塞を降り、壁の外側を歩く。波止場になっていて、南北に突堤があるが、北側がロクルム島への船着き場。南側と壁との間の広いスペースは、カフェになっている。

 北の突堤まで歩く。船は30分おきに出ていて、折しも出航するところだが、乗らずに壁の内側へ。時計塔の近くだ。つまりその下をくぐるとストラドゥン。

 左右の家並みを見ながらゆっくりと歩く。同じような造りの家が、ひたすら並んでいる。のっぺりとした白い石壁に、深緑の鎧戸付きの窓。

 外側だけでなく、中の造りも画一的なのだそうだ。これは何度も発生した地震の影響であるらしい。つまり、再建を繰り返したためにデザインが簡素化されてしまったと。火事による延焼を防ぐため、キッチンは最上階に作られてるところとか。

 たかだか300ヤードなので、ゆっくり歩いてもすぐ端に着いてしまう。その端の北側に建つ、高い鐘楼を持つ建物がフランシスコ教会。修道院が併設されていて、中にある薬局はクロアチア最古であるらしい。リェカルナ・マラ・ブラーチャ。創業1317年。そういえばザグレブ最古の薬局も、旧市街地の中にあった。

「世界で3番目に古い薬局ですって。世界最古は、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ」

 ガイド・ブックに書いてあったのか、そんなトリヴィアまで我が妻メグが教えてくれた。2番目はどこかが気になる。

 ここも回廊が素晴らしいということなので、見に行く。柱廊は、ドミニコ会修道院のと違って細い柱が2本一組で並んでいる。そして中庭の植物はあちらよりも圧倒的に多い。

 教会を出ると、前の広場に立つのがオノフリオの大噴水。巨大な16角柱の上に丸いドームが乗った造り。1438年、12キロメートル離れたリエカ・ドゥブロヴァチュカ湾の奥、つまりオンブラ川からここまで水を引いた。ドゥブロヴニクの水道建設工事の象徴。建設を指揮したナポリの建築家オノフリオ・デッラ・カヴァの名が付けられている。

 16の壁面にはそれぞれ水を噴き出す顔のレリーフが彫られている。ドームの天井は1667年の地震で損傷したままなのだが、下からでは見えない。城壁に登れば“穴”が開いてるのが見えるらしい。

 広場のすぐ横にあるのがピレ門。旧市街地の外に出られる。ところで、これで中をひととおり見たのだろうか。

「あと有名なのは、南にある聖イグナチオ教会と、北にあるミンチェタ要塞、それに城壁歩きくらいかしら」

「まだ時間があるから、先に昼食にしよう。もう昼を過ぎた」

「そう言うと思っていたわ! ちょうどこの近くに、いいレストランがあるの。壁の外だけれど」

 我が妻メグの時間配分は素晴らしい。お勧めに従い、壁の外に出てレストラン『ドゥブラヴカ1836』へ。その名のとおり1836年に創業という歴史ある店なのだが、とてもリーズナブルな値段で食事ができるらしい。冬ではあるが、天気がいいので海に近いテラス席に座る。

 英語のメニューをもらい、せっかく海沿いに来たので、俺はシーフード・タリアテッレ、我が妻メグはシーフード・リゾットを注文。おっと、これは前菜スターターなのか。ではサーモン・フィレのディル・ソース添えと、イカのグリルも。

 料理を待つ間に、この後の予定を考える。旧市街地の残りを見に行ってもいいのだが、それでは犬の情報が得られない。ホテルを出る前、我が妻メグに「行きたいところがあるんだけど、後で言う」ということにしてある。もちろん、さっきまで観光をしながら考えていた。

「あなたのことだから、きっと他の観光客が見に行かないようなところでしょうね」

「オンブラ川を見に行こう。さっきの噴水の源泉でもあるが……」

 研究所で教えてもらった、長さ30メートルとか、侵入河川とかいうキーワードも出してみる。我が妻メグが「面白そうだわ!」と喜ぶ。

「それから……そこへ行く途中の、グルージュ港とフラニョ・トゥジマン橋」

「橋は、細い湾に架かっていて、この辺りでは一番長いのね。斜張橋かしら。いいわね! それも見に行きましょう」

 料理が来て、穏やかな海風に吹かれながら食べる。全てシーフードで、海鮮の出汁が利いていてうまい。味付けはイタリア料理に似ている。ヴェネツィア共和国だったことともちろん関係があるだろう。

 食べ終わったらすぐ近くのバス・ターミナルへ。町の西側へ行く全ての便がここから発着するのだが、湾の奥へ向かう28系統は1日に3本しかなかった。ちょうどいい便はなく、タクシーを利用する。

 まず港の横を通り、橋を下から見上げ、オンブラ川を見に行って、帰りに橋のたもとに寄り道、というルートにする。ちなみに橋は港のすぐ近くだが、海面からかなりの高さがあり、港からたもとへ行くには遠回りをしないといけない。

 町の南の幹線、ブラニテリャ・ドゥブロヴニカ通りを西へ。町から西へ突き出す半島の基部を横切ると、すぐに港だ。細長い入り江になっていて、天然の良港。プレッツェルのように細いムリェト島や、アドリア海を横断しイタリアのバーリとを結ぶフェリー、遊覧船などが発着する。白地に青く"JADROLINIJA"と書いた巨大なカー・フェリーが泊まっているが、あれはクロアチアの海運会社の名前だそうだ。航行にはザグレブで聞いた研究結果を利用しているかもしれない。

 長さが半マイル以上ある港を過ぎて、橋の下に差しかかる。道の通行量が意外に多く、ゆっくり走ってと運転手に頼むことができない。右折して、一瞬にして頭の上を通り過ぎた橋を、振り返って眺める。斜張橋で、橋桁は2本立っているが、ドゥブロヴニク側の1本だけにケーブルが張られていた。

 リエカ・ドゥブロヴァチュカ湾をさかのぼる。北東方向へ切れ込んでいるが、本当に細い湾で、対岸まで4分の1マイルないくらい。我が妻メグの目分量では「300メートルほどね」。コンシエルジュの技能とは関係ないと思うが、感心する。俺は100ヤードを越えると極端に精度が落ちるから。対岸は海からすぐに山がそびえ、こちらの右手もすぐ山。フィヨルドの中を行くかのようだ。

 途中まで幅はほとんど変わらなかったのだが、前方にヨットが並ぶマリーナ、その奥に山並みが見えるようになると、次第に狭まってきた。あの山の稜線がボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境だ。それほど高くないのに緑がほとんどなく、岩肌が露出している。石灰岩質である証拠のようなもの。

 幅がどんどん狭まって、100ヤードもなく、川かと思うような細さになったところで、道路は短い橋で湾を渡る。が、タクシーには停まってもらい、降りてオンブラ川を目指す。運転手は「案内しまさあ」と訛った英語で言い、近くの工場脇の空き地に車を乗り入れ――いいのか、それで――降りてきて俺たちの前を歩き始めた。

 簡易舗装の脇道に入るが、橋が架かるまではここが車道だったそうで、どう考えても対向できないだろう、と思うほど細い。しかしこの道は谷奥まで続き、オンブラ川の源泉のさらに奥を回り込んで、橋を架けず両岸をつないでいたわけだ。

 100ヤードと少し行くと、道が二手に分かれ、間に石造りの建物がそびえる。右が今来た道の続きで、左は建物の方へ続く。その左へ行く。建物は水力発電所で、30年以上前から計画されていて、最近ようやく完成したそうだ。もちろん、オンブラ川の水を使って発電する。

 建物のすぐ脇の水中に堰があり、奥から手前に向かって水が流れ落ちている。長さは50ヤードほど、高さは4フィートないくらいか。つまり、ここがオンブラ川の河口であり、湾の最奥部ということだ。

 堰の向こうを見ると、40ヤードもないところに山が迫っている。つまりそれが川の長さだ。「本当に短い川ね!」と我が妻メグが感心する。数字だけ聞くのと、こうして実物を目で見るのとでは、やはり印象が違う。

「この堰はどうして作ったのかしら」

「そりゃ噴水のところまで水道を引くためだよ」

「ああ、取水口のためなのね」

 運転手はここまで道案内をしてくれたが、川についての案内はしない。我が妻メグと二人で勝手に解り合う。しかし我が妻メグが写真を撮ってと頼むと、運転手は川を背景にして撮ってくれた。説明がなければどこかの池の前としか思えないような構図だろう。

 それから先ほどの道に戻り、谷の奥へ。それこそ、池の周りを巡るように道が作られていて、そこをぐるっと半周する。川の源流を訪ねるには、概ね山登りを強いられるものだが、ここではほとんど高低差がなく“源流”を見られるわけだ。

 ただ、毎秒約24立方メートルという、けっこうな湧出量であるにもかかわらず、水面の一部が波立っている、ということはなかった。出口が横穴だからだろう。

「しかしこの山の下を、隣の国から水が通り抜けてくるんだよ。こんなにもたくさんの水が」

「取水口から小型のカメラを流し入れて、内部の映像を撮ることはできないかしら?」

 我が妻メグが研究者的興味を発揮し始めた。「面白そうだけど、途中で流路が細くなっていて、カメラが詰まったら残念だね」と感想を言うだけにとどめる。

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