#18:第5日 (10) 夜の有酸素運動
夕食会は8時半に終わった。俺のいたテーブルと、
俺の方は、例の論文『競合対象……』がまた話題に上った。ザグレブの女たちが、俺の解説をこちらのメンバーと共有したらしい。録音してたなんて知らなかった。それはともかく、唯一の男は――名前をまだ憶えてない――「そういうのを女性研究員だけで共有するのは変だ」と抗議していた。俺もそう思う。
「男性がこれを悪用するのは困るのよ」
「いや、女性だって悪用するかもしれない」
「たくさんの人に知られたら、結果が変わってしまうわ」
「いや、周知した後の行動をシミュレイトするのも一つの研究だよ」
ミリヤナと男の議論になってしまった。ミリヤナは俺を味方に付けようとするかのように身体を寄せてくるのだが、その実は俺の腕に胸を押し付けるのが目的だというのは判っている。その誘惑にあらがい、俺は最後まで男の側に付いた。
帰りのタクシーの中で
「どうしてあなたと席を離されてしまうのかしら。隣にいた方がいろいろ話しやすいのに」
何と嬉しいことを言ってくれるのだろう。そのくせ、俺と離れているのにあんな楽しそうな笑顔で話していて。
「これも一種の試練なんだよ」
「あなたにとって? 私にとって?」
「もちろん二人にとって。互いの姿が見える距離で、しかし話ができない、という時の振る舞いが難しいんだ」
「あなたを見ずに、楽しそうにしていると気になるかしら? でも私はあなたの素晴らしさを周りの人に伝えようと懸命になっているのよ」
それもとても嬉しいことなんだが、俺自身、何が素晴らしいのか理解してないのが問題なのかもな。まあ自分で自分のことを素晴らしいと公言する奴にロクなのはいないけど。
「俺も君のことを話したいんだが、誰も訊いてくれないんだ。自分から積極的に言う方がいいのかね?」
「そういう場合は訊かれるまで話さなくていいの。ただこういう場ではそうならないと思うけれど」
こういう場って、若い女が俺を取り囲むような? 違うな、研究所の関係者が集う場では、ということだろう。自然、研究関係の話題が多く、プライヴェイトは避けられる傾向にある。今日の女どもは
そして
しかし、マイアミでどんな生活をしてるかは、俺の方が訊きたいくらいなんだけど。
「ところで、今夜も料理が少なかったが、後でレストランへ行こう、と提案したら、君は拒否するんじゃないかな」
「ええ、昼に十分食べたと思うのよ」
そんなわけない。俺の半分しか食べてないのに。
「しかしまだ時間が早い。そこで、フィットネス・ルームを見に行ってはどうかと思うんだ」
「ああ、ここにもあるのね。屋内プールもあるんだったかしら?」
「あるけど、今夜は有酸素運動のマシーンを使ってみてはどうかと思う。ランニングだけでは鍛えられない部位が、たくさんあるからね」
「もちろん、あなたが指導してくれるのね? ぜひやってみたいわ」
受け容れられて嬉しいが、これまで俺は提案したこともなかったのか、と思う。
ホテルに着き、部屋へ戻ろうとしたら、
着替えてからフィットネス・ルームへ。と思ったのだが、
しばらくすると
「どこか気になるところ、あるいは鍛えたいところはあるかい」
「下半身の形をもっとよくしたいわ」
尻と太腿か。今でも十分綺麗だと思うのに。まあベッドに入っている間は視覚的に観察することが少ないんだけれども。
「具体的な場所を、手で触って示せるかい」
「それだと実は部屋のベッドの上でもできるんだ」
「あら、そうなの」
ヒップ・リフト、ヒップ・スラストなどの運動法を、言葉だけで説明する。ついでにリオで習ったカポエイラの運動もいくつか。腰の動かし方が少々卑猥なので、実演が難しい。
「じゃあ、ここでないとできない運動は?」
「あるけど、まず脚にどれくらい筋肉が付いているか、確認してみよう」
「ジャージーのパンツを脱いだらいいのかしら」
それは困る。ここにいる男どもの視線が集まってしまう。なので、パンツの上から俺が触ることにする。ベッドの中で撫でるのとは違うというのがポイント。要するに筋肉に力が入ってるかどうか。
道具なしで、まずはカーフ・レイズ。つま先立ちを繰り返させる。触るのはふくらはぎの腓腹筋。思ったとおり、筋肉量が少ない。普段、歩く以外の運動をしていないのがよく解る。ただし、足の細さを保つのならそれでもいい。
次にレッグ・エクステンションに座らせ、ウェイトのほとんどない状態で、膝の曲げ伸ばし。大腿四頭筋、ハム・ストリングスの量を調べる。
そういえばオデッサで、女の脚の筋肉美をたっぷり観賞させてもらったことがあった。ユーリヤ。あの余分な脂肪のない曲線はまさしく“美”であり、
しかし
スクワットは荷重なしもできるのだが、せっかくなのでバーベルの棒だけを持ってやらせる。
そこでスクワットはやめてカーフ・レイズに。一応、バーベルの棒を持って。
「これは“ふくらはぎが鍛えられる”という感じがするわね!」
「こうして鍛えなくても、普段からつま先立ちで歩いていると鍛えられる。ただし同じつま先立ちでもハイ・ヒールを履くのはダメだ」
「解るわ。爪先で地面を蹴る動きが重要なのよ」
いや、そんなことはないか。「脚の筋肉を増やしてくれ」という指定はできるはず。10%でも増えたら見栄えも変わるだろう。ただし、この仮想世界は
トレイニングが終わると部屋へ戻り、楽しいシャワー・タイム。「今日鍛えたところを調べてみよう」と言いながら
シャワーを出てバス・ローブに着替えると、
「イヴァンチェンコ姉妹から?」
「いいえ、ミス・シャイフから」
そんなメッセージがあるなんて、さっきは言ってなかったじゃないか。「目を通す暇がなくて」と続けて
「君が返事を書いたのはイヴァンチェンコ姉妹だけ?」
「ええ、そう。ミス・シャイフのメッセージ……というかお手紙は、とても長いの。たぶん、あなたの論文に対する感想だと思うわ」
とりあえず内容を確認してもらう。フランス語は、会話は勝手に同時通訳されるけれども、読み書きはできないんだよな。簡単な単語や成句が解るくらいだ。
「やはり感想と……指摘もあるみたい。明日、あなたが出掛けている間に、翻訳しておくわ」
「ホテルに頼んで、君は観光に行ってもいいと思うけど」
「観光はあなたと一緒に行きたいもの。ここはサグレブより見どころが少ないから、1日もあれば十分だわ」
じゃあ翻訳がなければ明日は何をする予定だったんだよ。ホテルのスタッフを相手に“ラヴリー・リタ”の体験談でも話すつもりだったのか? そんなことするなら、研究所に頼んでラボ・ツアーに参加させてやりたいくらいだよ。その方が面白い。
しかし、
「他に? メッセージはないわよ」
「そうか?」
とりあえず、ベッドに倒れ込むことにしようか。ビッティーとの通信は、明日の夜でいいだろう。材料がまだ十分集まっていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます