#18:[JAX] 天変地異の前触れ

  ジャクソンヴィル-2066年1月13日(水)


 今朝は夢も見ず、7時前に起きた。

 昨日は、あの夢と関係するようなイヴェントは何一つ起きず。予知夢でも何でもなかった、ということになる。もっとも、それが予知夢が存在しないことの証明というわけでもない。そもそも俺が夢を見たという証拠はどこにもないのだから。

 禁止令は解除されたが、女たちは朝食を作りに来ない。やはりあれはマギーがいるとき限定だったのだろう。彼女のためのレクリエイションとしてやっていたのではないかと思う。女どうしの内輪で閉じなかったのは、男が関係した方が――男をからかう方が――何かと刺激になるから、というくらいの理由か。

 着替えて、スタジアムのレストランに行こうと部屋を出ると、なぜか廊下にベスがいた。ベージュのおしゃれなコートに身を包んでいる。笑顔は冴えず、物憂げな感じだが、まだ朝が早いからかもしれない。

おはようモーニン、アーティー。この時間に出ると思っていたわ」

おはようモーニン、ベス。何か用ワッツ・アップ? 昨日何か言い忘れたのかい」

「いいえ、今朝判ったことなの。スタジアムの周辺に、不審者がいるかもしれないから、気を付けて」

「不審者?」

 それはいったいどういう種類の不審者なのか。危ない行動をするフットボール・ファンというわけではあるまい。

「どういう不審者かは、言えないのよ。あなたがそれを詳しく知っていると、ちょっと不都合なことがあって」

「顔に出ると思ってるかい? 隠すのは得意なんだけどな」

「とにかく詳しいことは今夜」

「またジムで?」

「いいえ、他の場所で。それがどこかは、ジムで言うことにするわ」

「心得た」

 ベスは颯爽と歩いて去った。よく見ると、ヒールが高めの靴を履いていて、これからどこかへ出掛けるところに見える。しかしこんな早くにどこへ行こうというのか。

 不審者がいるということなので、危害を加えられないよう、変装していくことにする。といってもサングラスを掛けるくらいなのだが、これで判らなくなる奴がいるのは実証済み。

 アパートメントを出てから注意しながら歩き、スタジアムに行くと、スタッフやプレイヤーだけが使う出入り口の近くに、見慣れない男がいた。痩せて長身。黒っぽいチェスター・コートに黒い中折れ帽ブリム・ハット、ブラウンのサングラスを掛けている。サングラスはレンズの色が薄いので目が見えているが、少し下がり気味なものの鋭い感じ。全体的に見ればハンサムなので、不審者とは思えない。

「ハロー、一つ訊いていいかい。あんた、このスタジアムの関係者?」

 声もハンサム顔に見合った爽やかさ。もっとも俺みたいな男に対して爽やかに接してもあまり意味はないと思う。つまりこれが彼の地なのだろう。

「ああ、そうだ。装具エクィップメント保守係メインテナンス

 俺のことをプレイヤーと気付かないようなので――変装のおかげか、それともまだ知名度が低いのか――、架空の肩書きを名乗ると、相手は少し落胆したような顔つきになった。「当てが外れた」というところか。事務員オフィス・ワーカーだと言った方がよかったかもしれない。

「広報に知り合いはいるかい」

「ああ、いるよ、何人も」

「ミズ・アンジー・ランパートは?」

「知ってる」

 以前、マギーからもらった“訪問者リスト”に入っていたと思う。若い女のはずだが、顔は知らない。

「彼女が今日来ているか、知りたいんだ」

「彼女に直接電話して訊けばいいのに」

「いや、着信を拒否されてしまってね」

「こんな早い時間に来てるのかね。普通は8時から8時半の間に来ると思うが」

「彼女はわりあい早く来る方なんだ。だいたい8時前に来ているはず」

「じゃあ勤務表を見てみるよ」

 オフィス・エリアの無線LANにはこの辺りからでも接続できて、出勤しているかどうかは、IDカードでセキュリティー・エリア内に入ったことから判るはず。それをチェックすると、"logged off"になっていた。

「まだ来てないみたいだ」

「ありがとう」

 男は渋い感じの笑顔を見せて去って行った。

 俺はあれがベスの言っていた“不審者”であると思っていて、それでも話をしたのは「彼が何を知りたがっているか」が知りたかったから。女の職員の名前を一つ聞けたのは有意義だったと思う。

 さて、レストランへ。コックが声をかけてきて「味付けを西海岸風にしてみましたよ」と言う。

「西海岸風ってのはどんなのだ」

「まあまあ、食べてみてください。きっと違いが判るはず」

 そうかな。俺の舌はかなり鈍感だぜ。まずタコスから。

 ああ、あー、判った。これは俺でも判る。チリ・ペッパーの味が、昨日よりも強くなってるな。しかし辛すぎず、何かの旨味とちょうどマッチしている感じ。つまり、カリフォルニアに多いメキシカンな感じにしたわけだ。テキサス風とはちょっと違う。

「確かに、これはいいんじゃないか。朝から食欲が出る」

「よかった! チリ・バーガーの方もどうぞ。何ならチリ・コン・カーンだけにしますか」

「いや、パティー抜きにしてくれるか。ありがとう。ああ、これもいいな。何を隠し味にした?」

「秘密です。レシピはワイルド・カード・ゲームの後で公表しますよ」

 いや、隠すようなことでもないだろ、こんなの。どうせカリフォルニア・ロールにヒントを得て、日本の調味料を使ったに決まってる。


 9時にマギーのオフィスへ行くと、大変なことになっていた。マギーがいない。これほど大変なことがあるだろうか。こんなことは初めてだ。

 手洗いか、と思ったが、デスクに近付いて、コンピューターを見る。電源が入っていなかった。来ていない、ということになる。

 何かメモでも置いていないか、とデスクやその周辺を見て回る。ドアの外側も内側も見てみる。やはり何もない。

 さっき使ったばかりの、IDカードによる出勤確認をしてみた。マギーは"logged off"になっていた。

 大急ぎでケイトのオフィスへ行き、挨拶もそこそこに、「マギーがいないんだ」と報告する。

「今日は休むという連絡があったわ」

 ケイトは何でもないことのように答えた。不審者に誘拐されたのではなくてよかったが、あのマギーが休むというのは尋常なことではない。天変地異カタクリズムが起こる前触れではないのか。

「理由は? 急病か、事故か、それとも」

「いいえ。急な都合で、自宅を離れられなくなった、と言っていたわ」

「何だい、それは。ペットが病気になったわけじゃないんだろう。隣人の子供でも預かることになったのか?」

「さあ、詳しい理由は聞かなかったわ。気になるなら電話してみたら?」

 恋人ならそうするが、特に用があるわけでもないから遠慮してたんだよ。だいたい毎朝彼女のオフィスへ顔を出すのだって、無理に用を作って行ってるだけで、その用が足せなくたって困らないことばかりなんだ。

 しかし、念のために電話してみる。つながらない。電源が切られている? 何なんだよ、いったい。

「マギーに何の用? 私でできることなら対応するけど」

「いや、ご機嫌伺いなんだ。彼女、年末からずっと元気がなかったろう? 気を落としちゃいけないよって、毎日言いに行ってたんだ」

「あら、そうだったの。元気がなかったのは知ってるわ。一緒にランチを食べに行くことが少なくなってたもの」

「彼女が休むと大変だぜ。君に仕事が押し寄せてくる」

「ええ、そうよ。だからできれば長居はしないでくれると嬉しいけど」

「それは失礼した。じゃあ、よい一日を」

 早々に退散する。念のため、“アンジー・ランパート”の出欠を確認する。いない。外へ出て、“不審者”がいるか見てみる。いない。この二つの事象と、マギーの不在は関係があるのだろうか。何の証拠もないけれど、つながっているような気がしてならない。


 練習に行って、他のプレイヤーに“不審者”のことを訊いてみた。誰も知らなかった。マギーのことは訊く気にならない。気にしてるのはたぶん俺だけだろう。しかし、意外な事実をHCヘッド・コーチのジョーから聞くことができた。

 広報部門で今日、3人の人物に対して解雇が言い渡されたらしい。ジニー・ルーミス部長マネージャー、ケイス・スタンパー主任チーフ、あと一人の名前をジョーは憶えていなかった。

 が、ジニーとケイスは俺も聞き憶えがある。例の記事が出たときに、俺を詰問した二人だ。ジョーもそれで憶えていたんだろう。

「理由は?」

「知らん。しかし前からあの二人は、外への広報より内側の情報ばかり気にしていたのは間違いない。密かに内部調査でもしてるのかと思ったくらいだ」

 気付いてたんならもっと前に教えてくれよ。いや俺が訊かなかっただけか。とにかく探偵チャーリーの協力者の候補ってことだな。ベスは気付いてたんだろうか。


 ベスと話ができたのは、練習が終わり、ジムでのトレーニングが終わり、就寝前のハーブ・ティーを飲み終えた後、オーヴァー・オーヴァータイムへ行く直前だった。夜のダウンタウンなのに、やけに人の少ない通りで立ち話。こんな場所、よく見つけたものだ。

「ジョニーがヴィヴィを誘ったのは、チームの内部情報を探るためだったわ。彼女がチアのマネージャーで、オフィス・エリアに出入りするから詳しいと思っていたようね。でもこれは失敗。ただ、代わりにノーラに好意を持っていたことが判ったわ。だから彼女を使って引き留める工作中」

「ノーラはそういうことに慣れてないんじゃないか。可能な限りフォローしてやってくれ」

「ええ、もちろん。チャーリーについては、サイモンの工作が効果を現したわ。マギーが休んだの、知ってるでしょう?」

「それが原因だったのか」

「ええ、でも理由は知らないでしょうね。マギーから彼女の夫に、簡易離婚申請書を送りつけたの。正確にはサイモンが代理人として手渡ししたんだけど。署名をして送り返すか、フロリダ州の裁判所へ提出するように、って」

「簡易離婚? 子供がいなくて、一定額以下の財産しか持ってないときに申請できる、あれを?」

「ええ、それ」

 他にもいくつか条件があるのだが、当てはまっているときに申請できて、6ヶ月後にほぼ自動的に離婚が成立する、というものだ。それが今回の件の対抗措置になるのだろうか。

「詳しくは、あなたが週末にロスへ行ったときに聞けると思うわ。サイモンから」

「するともしかして、朝方、スタジアムの周りをうろついていた男は……」

「ええ、マギーの夫。彼女の様子と、チームのことを直接探りに来たようね。彼女は彼に会わないよう、某ホテルに避難してるの。あなた、彼を見かけたのかしら?」

 あのハンサム・ガイがマギーの夫! 外見的には俺の圧倒的な負けじゃないか。

「広報部門で3人解雇になったのも関係ある?」

「もちろん! それが最大の成果ね。私がスパイとして調べ上げて、内部調査組織に一報を入れておいたの。チャーリーが来た日に発令されるなんて、ちょうどいいタイミングだったわ」

 ベスは穏やかに微笑んでいるだけだが、何と優秀なスパイだろうか。俺のことを調べ上げられなくて、本当によかったと思う。

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