#18:第4日 (5) 公園と犬

 美術館や博物館へ行くのはやめよう、と私は考えた。

 今日はなるべく何も考えたくない。少なくともマルーシャが帰って来るまで。

 絵画や、歴史的に価値のある物、珍しい物を眺める時、私はそれについて深く理解したくなる。そこに込められた人の思いについて。

 それがピアノを弾く上でも役に立つと考えているから、自ずとそうなってしまったのだろう。

 だからそうならないよう、今日は風景を眺めることにしたい。できれば自然。季節は冬で、緑は少ないけれど、どこかの公園を歩いて、時々休憩して。

 植物園ではない方がいい。そこには意図がある。ある植物が、なぜそこに植えられたのかという、作為。

 もちろん公園にだってそれはあるに違いないけれど、もっと漠然としたものだ。植物そのものが目的ではない。人の目を楽しませ、安らぎを与えるための配置。それなら私は何も考えずに済む。

 そういう考えを持って調べると、旧市街地の近くにあるリブニャク公園がよさそうに思えた。

 市の北東にはマクシミール公園がある。とても広い。リブニャク公園の80倍ほど。本当の自然の中にいるような気分になれるだろうけれど、今の私には広すぎる。どこへ行ったらいいのか解らなくなりそう。あるいは迷子になるかもしれないと思う。

 しかしリブニャク公園ならそんなことはないだろう。隅々まで歩き回ることができそうな、手頃な広さ。もちろんそんな探検まがいのことはしないけれど、安心していられるのではないか。

 ついでに、その近くにあるザグレブ大聖堂を見ることにしよう。絵画と違って建物の美は、あまり意味を考えずに鑑賞することができる。大聖堂なら、そこに宗教的な意味合いがあるはずなのに、それを“建築物”として見る時、私の目には自然との調和を志向しているように映る。まるで古代の……そう、ギリシャのアクロポリスで見た神殿のように。

 もちろん、中に入れば違う。そこは信仰の場だ。神の教えを意識せずにはいられない。

 しかもここの大聖堂はカトリック。私は正教会プラヴォスラヴナ。相容れないわけではないが、違いは気になる。だから、入らないことにしよう。

 また、近くにはイェラチッチ広場やドラツ市場があるが、人が多すぎる。そこを通らずに公園や大聖堂に行きたい。

 そうすると、ホテルから路面電車トラムの8系統に乗り、ドラシュコヴィチェヴァ電停で降りて、ヴラシュカ通りを歩く、ということになるだろう。先に大聖堂を見て、後は広場でのんびりと過ごすことにしよう。

 私が乗った電車は、すぐに角を曲がり、ドラシュコヴィチェヴァ通りを北へ向かった。降りるべき電停と同じ名前だが、それはこの通りの北詰にある。

 右手にシェラトンが見えてくる。あの方がここに泊まっている。私が彼に会いに、ここを訪れることはあるだろうか。

 そのシェラトンも含め、まるで統一してあるかのように、4階建ての家屋が通りの両側に続いている。特に見どころとなる建物はない。せいぜい、フラニェ・ラチュコグ通りが斜めに合流するところの、噴水くらい。人通りも少なく、落ち着いたところだ。

 電停で降り、ヴラシュカ通りを西へ。カフェの戸外席があったりして、少し賑やかになった。しかし建物は低くなって、3階建てに。

 歩くうちに大聖堂の二つの尖塔が見えてきた。高さ105メートル。クロアチアで最も高い建物であるらしい。

 更に西へ行けばイェラチッチ広場なのだが、道はそれを避けるように北西へ曲がり、カプトル通りにつながって、大聖堂前の広場に出た。

 広場の真ん中には噴水と、聖母被昇天の記念碑。その向こうに大聖堂のファサード。

 記念碑が示すとおり、正式には聖母被昇天大聖堂というそうだ。屋根に聖母被昇天の像も見える。

 1094年に建設が始まり、1217年に完成。タタールにより破壊されたが、13世紀末に再建。その時はゴシック様式。

 1880年に地震で大きな被害を受け、ネオゴシック様式で再建。

 入り口と窓周り以外には装飾がなく、とてもシンプルな姿をしている。

 誰かが私に声をかけてきた。クロアチア語ではない。なぜかフランス語。男性で、旅行者だと思うが、フランス人には見えない。それとも私がフランス人に見えたのだろうか? まさか。

 写真を撮って欲しいと言っている。違う? 私と大聖堂の写真を撮りたい?

 どういうことか解らない。写真のモデルを務めろということだろうか。彼の旅行写真に私が写っていいものだろうか。断ることもないと思うが、うまく笑顔が作れない。

 名前を訊かれた。写真と順序が逆ではないだろうか。本名を答えることはない。ヴァレンティナということにする。

「僕はアンドレといいます。この後、一緒に観光をして、昼食でもいかがです?」

「いいえ、姉と待ち合わせをしているんですわ。間もなく来ますから」

「では彼女も一緒に」

 断り方を間違えてしまった。マルーシャに教えてもらったのに。こういう時は、姉ではなく恋人と待ち合わせと言わなければいけないのだった。

 仕方なく、「結構ですノン・メルスィ」「ごめんなさいジュ・ルグレット」から「それはできませんス・ネ・パ・ポスィーブル」まで10通りくらいの断りの言葉を並べ立て、ようやく諦めてもらった。

 居心地が悪くなったので、少し角度を変えてみようと、広場の中を移動する。ところが、また男性から声をかけられてしまった。イタリア人だろうか。「写真を撮りましょう」に始まり「一緒に観光をして、昼食でもいかがです?」まで、先ほどとほとんど同じ誘い。

「恋人と待ち合わせなんです」

「まだ来ていないのですね、お可哀想なシニョーラ。では彼が来るまで僕と」

 イタリア人の誘いは、遠回しでなくはっきり断らなければならない、というのをうっかりしていた。マルーシャに教えてもらったのに。


 ようやくイタリア人から逃れて、リブニャク公園に来た。思っていたとおり、とても気持ちのいいところだった。大聖堂のすぐ裏なのに、観光客は一人もおらず、車の通る音さえほとんど聞こえないのだ。

 南北に細長い公園で、東はリブニャク通り、西は大聖堂から続く低い石の壁。この壁は、オスマン帝国の侵攻を防ぐために作られたものの名残。もちろん往時はもっと高かったのだろう。

 リブニャクとは池のことで、ここには元々魚を養殖する池があったらしい。それが今は埋め立てられて公園になっているとは、風変わりなことだと思う。

 立ち並ぶ木々の間に、入り組んだ小道が作られている。そこをゆっくりと歩く。近隣の人たちにとっても憩いの場であるようで、散歩をしている姿が見られる。今日は穏やかな天気だからだろう。

 ちょうど真ん中辺りには、小さいながらも噴水を持つ池がある。小さな子供が噴水を見つめ、その母親が横で見守っている。

 すぐ近くに、ローマ時代の墓石が建っている。人の姿が彫られているが、摩耗が激しくて顔の造作が判然としない。

 ところどころにベンチがある。歩き疲れたら座って休もうと思うが、まだしばらく歩けそうだ。

 犬を連れた人が来た。犬はスマートな白い身体に、ぶちの模様。ダルメシアンだろう。愛嬌のある姿だが、私は犬が苦手だ。吠えられることが多いから。

 飼い主の女性が「こんにちはズドラーヴォ」と声をかけてくる。私も挨拶をし、すれ違おうとすると、なぜだか犬が私の方に寄ってきた。思わず身を引いたが、さらに寄ってくる。しかし吠えもせず、盛んに尻尾を振っている。

 女性が何か言いながらリードを引っ張るが、犬は私から離れようとしない。それどころか私を見上げて、何かを訴えかけるような目をしている。

 私はどうしたらいいのだろう。

 やがて女性はリードを引くのをやめ、犬の横にしゃがみ込んだ。そして犬の頭や身体を撫でている。何か声をかけながら。

 私も、何か話しかけた方がいいだろうか。何語が通じるだろう。英語?

「失礼ですが、この子は何かしたがっているのでしょうか?」

「解りません。ですが、あなたのことを気に入ったようなんです。いつもは好き嫌いが激しくて、知らない人には吠えることもあるのに」

 女性は私を見上げながら、笑顔で言った。そして「あなたも撫でてみますか?」と勧めてくる。手を噛まれないだろうか。しかし、吠えてもいないのだから……

 私が手を伸ばし、犬の頭を少しだけ触ると、犬は自分の方から頭を私の手に押し付けてきた。

「あなたも座って」

 女性の言うとおりにする。すると、犬は頭どころか身体を私にこすりつけてくる。まるで抱いて欲しがっているかのようだ。女性は少し驚きながら独り言を呟いたが、それは英語ではなかったので、私には意味が解らなかった。ただ、戸惑いながらも、笑顔のままだ。

 私はできる限り優しく犬の頭を撫でた。毛は短く、滑らかで、ヴェルヴェットオクサムィトのような触り心地だ。女性は「もっと強く」と言う。少し強めに撫でると、犬はまるでマッサージを受けている人のような、気持ちのよさそうな表情を見せた。

「この子は少し大きくなったのをもらって来たんですが、もしかしたらあなたのことを前の飼い主だと思い込んでいるのかもしれません」

「でも私、犬を飼ったこともありませんし、こんなに懐かれたのも初めてなんです」

 言いながらもまだ撫でる。短い毛が抜けて、手やスカートにくっ付いてきた。

 そのうちに、近くにいた小さい男の子が寄ってきて、一緒に撫で始めた。犬はその子供を少し警戒したようだったが、私と飼い主が一緒なら安心とでも考えたのか、子供のするがままになっている。

 しかし飼い主の女性はこのままではきりがないと思ったのか、「そろそろ行きますわ」と言って、犬を自分の身体の方に寄せた。私はそれを機に立ち上がった。犬はまだ私に寄って来ようとしたが、飼い主の声に従い、歩き始めた。

さようならドヴィジェーニャよい一日をウゴダン・ダン

 私も挨拶を返した。犬は何度も私の方を振り返っている。子供は犬に付いて行こうとしたが、少し先で母親に止められた。

 とても不思議な体験をした、という気がする。私が見知らぬ犬に好かれるなんて。

 あの女性が言ったとおり、犬は私を前の飼い主と思い込んだのだろうか。何か似ているところがあったのかもしれない。

 もちろんそれは、犬の場合、匂いだろう。視力が弱いので、遠くからでは顔を判別できない、と聞いたことがある。歩き方くらいなら見分けるだろうけれど……

 公園の中を歩くことを続ける。もう少し歩いたら、どこかで昼食にしよう。

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