#18:第3日 (9) 夕食会の席

 夕食会は6時からということで、それまでの1時間あまりは“雑談チャットタイム”になった。俺のプライヴァシーを訊こうとする奴がいるのだが、それはどうせ夕食会の時に話すことになるはずなので、セヴェリナの研究テーマを話すように仕向ける。

「さっき、路面電車トラムの中で概要をお話ししましたが」

「君の指導役であるリディアがいるところで話してもらおうと思って。そうすれば間違いをすぐに指摘してもらえる」

「ボージェ・モイ……」

 セヴェリナの元気がなくなる。リディアは彼女にそれほどのプレッシャーをかけているのだろうか。研究員の誰かが電話でリディアを呼んでくれた。すぐに現れたが、その笑顔からは真意を窺うことはできない。

「地滑りの危険性を予測するシステムだっけ?」

「はい。主に地層の間を流れる地下水からです。山際の、水が湧き出す地点に水量センサーを設置して、その変化を観測します」

 地面には保水力というものが存在して、一定量の地下水を溜めることができる。雨となって降った水は、地面に吸収された後、だんだんと下に降りて行くが、水を通しにくい地層にぶつかると横に流れ、露頭――崖などの地層露出面――から湧き出す。

 保水力が大きいと天候にさほど左右されないのだが、大雨や長雨の後は、湧出量が若干増えることもある。もちろん染み込んでから流出するので、タイミングはかなり遅れる。

 しかし水が流れることによって地層内部で土砂が少しずつ動くので、長い期間のうちに地中で水の流れ方が変わり、水量が増えることもあれば減ることもある。多数の地点で観測していると、どう変わったかも判ってくる。

 そして過去の事例から、変化量がある一定以上だと危険、と判断することができるようになる。地滑りが予測できるわけだ。

 雨が降り続くと地盤が緩んで地滑りが発生しやすくなるのは誰でも解る。止んで、かなりの日数が経ってからそれを察知することに意義がある。

「ヘイ、リディア、セヴェリナが言ってることは正しいかい?」

「ええ、もちろん。だけど肝心なのは統計学を使って予測する理論を立てることだから。それに、どこにセンサーを設置すべきかという判断基準の構築。彼女の場合、まだ研究に携わったばかりで、センサーの性能試験を手伝ってもらっているだけなのよ」

「そうか。ヘイ、セヴェリナ。センサーのメーカーが出してきた試験成績書をそのまま信用するんじゃないぞ。彼らは時々、ダミーの結果を出してきたりするんだからな」

「イエス・サー」

「ここは軍隊じゃないんだからそんな堅苦しい返事をしなくていい。英語なら"Sure"か"I got it"だが、クロアチア語だと何になる、リディア?」

「"Naravnoナラヴノ"とか"Shvatio samシュバティオ・サム"かしらね」

「セヴェリナがその返事をしたらどう思う?」

「ダメね。"Da gospođoダ・ゴスポジョ!"と言いなさい、って指導するわ」

 周囲から笑いが起こった。"Yes ma'am"と言えと。セヴェリナが笑ってないので、冗談かどうか判別が付かないな。


 6時前に会議室を出て、下へ。夕食会の参加者は10人。研究所からはセヴェリナ、リディア、ミルコ、タイチェヴィチ部長と、リディアやミルコの同僚が4人。

 受付の前で、我が妻メグと合流。知らない人のために紹介して挨拶させるが、やけに好評。部長までが、並一通りの挨拶でなくビズまでしている。ここはフランスではないのに、なぜそんなことまで。

 たぶん我が妻メグが美しいからだと思うが、人気がありすぎるというのも嫌なものだ。もしかして夕食会では、俺と席が離されるのではないだろうか。

 建物を出て、どこへ行くのかと思ったら、すぐ南にある現代美術館だった。そこのレストランを予約しているそうだ。歓送迎会ではいつも利用しているとのこと。

 入ると、さすがに現代美術。壁に絵だか模様だか解らないようなものが描かれている。ただしその他はごく普通。凝った形の照明がぶら下がっていてもいいのに、と思う。テーブルや椅子がおかしな形をしているのは困るけど。

 テーブルがいくつかつなげられ、10人掛けが作られていた。そして予想どおり、俺と我が妻メグは席を離されてしまった。クレタでそうなってたから、ここでもしていい、ということにはならないんだけど。

 しかし我が妻メグが気にしていないのに、俺が「隣がいい」などと主張するのも憚られる。俺の周りは女二人、男二人。女二人はもちろんセヴェリナとリディア。男二人はリディアと同じ研究部のイーヴォとヤコブ。どちらも若い。

 ちなみに我が妻メグの周りは男三人、女一人。男は部長とミルコと渋い中年。女も中年で部長の横にいるから秘書ではないか。

 まずスパークリング・ワインが配られて、部長の挨拶。「ザグレブへようこそ」から始まって、会議室で最初に聞いたような話を繰り返し、「乾杯ジヴィイェリ!」。

「アテネからオリエント急行エクスプレスに乗られたそうですが、事故でザグレブ到着が遅れたんですってね」

 向かいに座った男が話しかけてくる。たぶんイーヴォだったと思う。ちなみに両隣をセヴェリナとリディアに挟まれ、右斜め前に座っているのがヤコブ、たぶん。

「ああ、吹雪で架線が切れたとか言っていたが、おおかた飛来物だろう」

「何時間遅れたんですか」

「2時間。ザグレブに着いたのが3時前」

「殺人事件ではなかったんですか」

「殺人はなかったが傷害があった」

「まさか! 犯人は捕まったんですか?」

「さあ。探偵が乗っていたが、ザグレブに着くまでには解決しなかったな」

「探偵! ベルギー人ですか?」

「そう」

 イーヴォは大笑いしているが、俺がジョークを言ってると思ってるのかもしれない。事件の結末については俺も知りたいくらいなんだけどね。

「まだ解決してないんでしょうか」

「探偵はヴェニスに着くまでに犯人を発表すると言っていたよ」

「そうするとイタリアでニュースになっている……」

「調べてみてくれ」

 イーヴォとヤコブが携帯端末ガジェットを触り始める。その間に料理が出てくる。前菜かと思ったら、それらしいのが四つも五つも。野菜のフリッター、肉の串焼き、ロール・キャベツ、パプリカの肉詰めなど。ザグレブ風カットレットはないようだ。

 これらはどう見ても酒のつまみスナックだな。まあ、腹が膨れないことはない。

「それらしいニュースはありませんね。本当に傷害事件なんてあったんですか?」

 ヤコブが言う。嘘をついたって仕方ないんだけどねえ。あるいはオリエント急行エクスプレスの評判を落とすから、隠しているのかもしれない。シナリオのミス、という可能性も考えられなくはないけど。

「そんなことより、君の研究課題を聞かせてくれ」

「こんな席で研究の話をしなくても」

「研究が楽しいのなら話せるんじゃないのか」

「もちろん楽しいですが、合衆国のことも聞きたいので」

「シミュレイターの映像を見せたろう。車の前に映っていたのがマイアミの風景だ。本物とほとんど違わないんだぞ」

「もっとビーチが写っていたらよかったんですが」

「ポーランドの美女があと3分走っていたらビーチに到達したんだよ」

「彼女はプロのレーサーですか?」

「聞いて驚くな。ポーランド電力匿名組合の研究員だ」

「運転がうまい理由になってないじゃないですか」

 あれはウクライナの歌姫ディーヴァマルーシャの変装だって言っても理由にならないのは解ってるよ。でも正体はウクライナ対外情報庁の諜報員オペラティヴだ、とバラしたって、それもどうせ信じないだろ?

「ところでリディア、君の研究の詳しいことは明日聞ける?」

 右に座っているリディアに話しかける。彼女は早くもアルコール飲料のお代わりを手にしている。料理はあまり食べていないようだ。

「私のは、ドゥブロヴニクへ行ってから。こちらでは交通関係の研究を中心に聞いてもらうわ」

「つまり君もドゥブロヴニクへ行く」

「そうよ。ただあなたとは飛行機の時間が違うかもしれない」

「それを知っているのはセヴェリナ、君か」

「いえ、私も旅行会社からチケットをもらうまでは判らなくて」

 左のセヴェリナは飲まずに食べまくっている。若くて食欲があるのはいいことだ。

「どういうこと?」

「研究所と提携している旅行会社に希望の日時を伝えたんですが、そのとおりに取れるかという連絡がまだ来ないんです」

「つまり明日か明後日にならないと判らないと」

「そうです」

「行くのは明後日で、当日にならないと、というのは困るな」

「すいません。昨日まで天気が悪くて、欠航が相次いでいたので、機材の関係で予定の便が飛ぶか確定していないからと」

「でも君は一緒に行くんだよな」

「あなたと奥様と必ず同じ便にするようにと言ってあります」

「イーヴォとヤコブは?」

「彼らは元々行く予定はないです」

「ヘイ、君たち、どうしても今のうちに仕事の内容を聞いておく必要があるぞ」

 二人ともむさぼるように料理を食べていて、俺の分が残ってない。しかしここで足りなかったらホテルに帰ってから食べればいいので気にしない。

「それはたぶんドクトル・ヴチュコヴィチがドゥブロヴニクで」

「概要だけでいいよ」

「はあ……ええと、僕がやっているのは地形の、主に崖の変位の計測で」

 まずイーヴォから。崩落が起こりそうな崖に向かってヴィデオ・カメラを設置し、映像から地形の変異を検出する。このとき、離れた地点に置いた二つのカメラ映像の差分を調べることで、検出がやりやすくなる。立体視の原理だ。

「そして実は2点よりも3点で差分を取ると、より確実でして」

「2点では死角が発生する場合もあるからな」

「そうです。しかも高さを変えるとよりよいのです。平行な高さの二つのカメラの間に、異なる高さの……できればより高い位置からのカメラを設置するといいのですが、それでは設置費用が1.5倍になってしまいますので、節約しようと」

 崩れやすい崖の位置は1ヶ所ではないから、カメラを何台も設置するのだが、隣り合うカメラの高さを変えることにする。具体的には交互に、高、低、高、低……とするわけだ。

 すると隣り合う三つのカメラは「高、低、高」か「低、高、低」の組み合わせとなるため、理想的な3点観測ができるという仕掛け。

「『高、低、高』の組み合わせは『低、高、低』より若干精度が悪いことが判ったので、カメラの間隔を調整することで補正できるかを検証しているところです」

 イーヴォの研究は解ったが、ヤコブは……あっ、こいつ、言わずに逃げようとしてる。

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