#17:第4日 (5) 駒鳥が聴くセッション

 1時からのセッションを聴講する。テーマは『都市と防御、あるいは旧市街地の発展を阻害する要素』。司会チェアマンはイングランド人。発表者は4人。日本人、ドイツ人、イタリア人、フランス人。

 テオプラストスは私の横に座っている。肩を落としてしょげながら。には今しばらく、考える時間と落ち着く時間が必要だ。

 発表は日本人から。財団の研究者だった。ナカジマという名。タイトルは『日本の城下町キャッスル・タウンに特有の街路構造と、現代都市への改良』。

 日本の城は主に戦国時代、各地を所領する武将によって作られたもの。周囲に城下町が発展したが、その構造は、敵が攻めてきたときの防御を想定したものである。

 海外であれば、城及び町の防御には、城壁で囲うことが多かった。即ち町への出入り口を制限してしまうことだ。しかしそれでは町に発展性がない。城壁外に町を作ると治安が悪くなるという問題が発生する。

 そこで町の街路の形状を工夫して、敵が攻め込むのになるべく時間がかかるようにする。その間に防御を整えるためだ。敵の戦力を分散させるためでもある。

 代表的な手法は、“道路を真っ直ぐにしないこと”。鍵状クランクに曲げることを“鍵の手”という。あるいは道路を直交させないで、わざと少しずらす。“食い違い”と呼ぶ。時には行き止まりを作ることもある。“袋小路”。

 外国にもこのような構造は、もちろんある。しかし日本の城下町では、特に顕著である。町を無秩序に広げたのではなく、計画して作った結果なのだ。

 どれも、敵の侵攻を遅らせることが目的である。さらに、城内の通路にも工夫がある。堀を巡らして出入り口を制限するとか、天守への経路を螺旋状にして到達に時間がかかるようにするとか、通路に段差や鍵の手を作るとか。

 しかし、以降では町のみを取り上げる。戦国から近代へ移行した際、町の構造がどのように変容したか?

 戦国時代の構造では、車の通行に対して明らかに不便である。食い違いの交差点は渋滞が発生しやすい。鍵の手の道路は速度制限があったり衝突事故が起こりやすかったり。袋小路は、奥の住居の出入りに時間がかかることになり、防災上の問題も発生するだろう。

 これらは区画整理を行い、解消すべきである。道路を広げれば、食い違いも鍵の手も解消できることが多い。ただ、全てを解消する必要はなくて、幹線となる道路を適切に選択ことで、時間と費用を節約した。

 ……以降、発表者はいくつかの町の具体例を挙げ、交通流のシミュレイションを見せてくれた。選択の基準に「景観に配慮すること」が入っているのが、いかにも日本らしい。

 発表が終わっても質問がなかったので、私が手を挙げる。ただし、少し的外れな、答えやすいものにしよう。難しい質問をすると、日本人は質疑の時間が残っていても、英語で説明する自信がないのか、「後で答えます」と言うことが多い。それは私も困る。

「有名な京都ではどうだったのですか?」

「京都は城下町ではありません。戦国よりも前の時代に作られた都市で、条坊制グリッド・プランを採用しているのです。ただ、近代化の時にはやはり道路の拡幅が必要でした。路面電車トラムが通る道を決めてから、線路敷設と同時に拡幅したのです」

 拡幅に合わせて、寺院の門をずらすなど景観を調整した事例もあるらしい。いかにも日本人らしいと思う。他の質問者はなかった。

 続いてドイツ人。やはり財団の研究者だった。偶然だろうか。タイトルは『城郭都市ニュルンブルクの城壁、取り払った壁と残した壁』。

 先ほど、日本のナカジマが簡単に説明してくれたとおり、ヨーロッパでは都市の防御のために城壁で囲うことが多かった。ヨーロッパに限らず、中東やインド、東アジアでもそういう例がある。

 そして近代化においては、壁が取り払われたところが多い。これもナカジマの言うとおり。壁の跡は環状道路になって残っていることが多く、地図を見れば一目瞭然である。

 いくつかの都市では壁を残したところもある。代表的なところでは、イタリアのルッカ、フランスのアビニョン、ルクセンブルク、サン・マリノ、クロアチアのドゥブロヴニク、そしてドイツのニュルンベルクなど。

 これから取り上げるニュルンベルクは、これらの中でも特に壁の総延長が長い。つまり城郭内の都市が広かったのである。壁の長さは5キロメートルある。アヴィニョンが4キロメートル半、ルッカが4キロメートル強、その他は1キロメートルから3キロメートル。もちろん、他にもっと壁の長い城郭都市もあったろうが、ここでは割愛する。

 さて、ニュルンベルクで壁を残した理由は何か? そもそもなぜ壁を取り払うのか。道路を通すための邪魔になるからであろう。ただし道路のためだけなら、数ヶ所を取り払うことで足りるはずだ。東西南北とその間の4方向、計8ヶ所もあればいいに違いない。

 その他に理由があるか。壁が建っていた土地を建物あるいは環状道路に転用することが考えられる。しかし、もう十分、周囲が発展していたら?

 ニュルンベルクは言うまでもなく大都市である。現在の人口は50万人。10万人を超えたのは1880年であった。つまり近代化が始まった時点で、町は大きく広がっていたのである。城壁を取り払わずとも、土地は十分にあった。壁を取り払う前に、周囲に環状道路が作られていた。壁はもはや、発展の邪魔にもなっていなかったのだ。あるいは他の地区の発展を優先するために、城壁内は取り残されていたと言ってもいい。

 結局、壁を取り払って道路を通したところはどれだけなのか? 先ほど8ヶ所もあればいいと言ったが、実は12ヶ所もある。残念ながら城内を貫通する道路は一本もない。除去された壁の延長は、わずか1キロメートルほどに過ぎない。

 ただ、あえて貫通する道路を作ってみたら、というシミュレイションをお見せする。ニュルンブルクの市議会に披露したときは、歴史的地区を破壊するとはけしからんとお叱りを受け、不評だったのだが、このセッションの趣旨には合っているし、皆さんには喜んでもらえるだろう。

 ……発表者はドイツ人には珍しく、ユーモアを交えながら講演した。ニュルンベルクは私も行ったことがあるので様子は解っている。城壁内には城や大聖堂、市庁舎とその前のマーケット広場がある。貫通する幹線道路は本来なら必要だと思われるのに。

 シミュレイションの後で、質問をした。

「ニュルンベルクは城壁内外を含めて大戦で大きな被害を受け、建物は戦後に再建されたものが多いと伺っています。この度のシミュレイションは、もしそこで新たな都市計画が為されていたら、という想定と理解してよろしいでしょうか」

「おや、よくご存じで! そうなのですよ。再建するタイミングは、実はあったのです。しかし大戦直後のことで、とにかく以前の町並みを復元しようという方針になってしまいました。市議会に不評だったのは、文句があるなら当時の責任者に言え、という抗議だったのかもしれませんな」

 彼はやはりユーモアのセンスがあるようだ。

 3人目はイタリア人。昼食の時に、私に声をかけてきたうちの一人だったので、少し驚く。彼には質問をしない方がいいかもしれない。私が彼と話したがっていると、誤解するかもしれないから。タイトルは『ヴェネチアの環境に配慮した新交通システムの運行シミュレイション』。

 ヴェネツィアの地図をお見せしよう。ご覧のとおり、アドリア海に浮かぶ島である。真ん中をS字に貫通する大きな運河によって南北二つに分かれているように見えるが、実際はもっと小さな島の寄り集まりである。数は聞かないでいただきたい。

 そして道路が複雑なのも見てのとおりである。しかも車が通れるような道はほとんどない。島の西側に、陸から長い道路橋が架かっているが、渡ってもローマ広場まで。その先、町中には入れない。橋の近くの港へ行くのがせいぜいである。つまり島内には自動車交通というものがほぼ存在しない。

 その他に交通手段は? 鉄道の駅はある。しかしやはり島の西のヴェネツィア・サンタ・ルチア駅が終点である。路面電車トラムもある。道路橋の上に線路が敷いてある。しかしやはり終点はローマ広場である。

 ピーブル・ムーヴァーという新交通がある。ただこれも、ローマ広場とその西の港を結ぶためにある。

 要するに、島内の陸上交通はほぼ徒歩のみである。その他の交通手段は、ヴァポレットという水上バス。島を周回する路線、大運河を通る路線、周囲の離島とを結ぶ路線などがある。

 ただ、水上バスは遅い。西のローマ広場から、東のサン・マルコ広場まで40分。徒歩だと1時間だから、速くはない。さらに天候に左右されやすい。水上交通の宿命である。他の、もっと速い交通手段を導入できないだろうか?

 ピーブル・ムーヴァーを延伸できないか。もちろん、島の内部にこれ以上延ばすのは無理だ。建物をなぎ倒さないといけない。行政が許すはずがない。ニュルンブルク以上のお叱りを受けるだろう。

 であれば、軌道を水の上に敷けばどうか?

 ヴェネトラグーンは内海である。大波は来ない。せいぜい高潮でサン・マルコ広場が冠水するくらいだ。その高潮でも水没しない位置に軌道を敷けばよい。ラグーンは浅く、工事はさほど難しくない。塩害対策も技術革新により可能だろう。……例えば日本の高い技術力によって。

 軌道は島の周囲と大運河に敷くことにする。軌道はモノレールのような細い鉄橋だ。高さは最高潮位よりも1メートル上にして、塗装に配慮すれば、周囲の風景に溶け込むだろう。理想は複線だが、単線にして、一駅おきに行き違い設備を作れば費用が節約できるに違いない。駅は船着き場とほぼ同じ位置に設けることにする。駅と陸は橋で結ぶ。

 車両の性能は? 時速40キロメートル。停車時間を考慮した表定速度は20キロメートルほど。ローマ広場からサン・マルコ広場まで、大運河経由で約4キロメートル。12分で着いてしまう!

 ではさっそく、シミュレイションをご覧いただこう。運行時間帯は朝5時から夜中の24時まで。各時間帯の利用者数は水上バスのものを基準にした。便利になれば利用者が増えると思われるので、現在より1.5倍増えれば、15年で建設費をペイできて、その先は黒字が見込めるはずだ!

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