#17:第3日 (7) 暴走ドライヴ (2)

 車はビスケイン湾を渡り切り、マイアミ・ビーチ市に入って、大西洋側の幹線道であるコリンズ通りアヴェニューを北へ向かう。本当なら右手にマイアミ・ビーチが広がって、という景色が見えると望ましいのだが、あいにく現実世界ではそこに道がない。架空の道を作ることもしなかった。

 しかし、この通りは椰子の木が立ち並んでいるし、左手に運河クリークが見えるし、ドライヴにはいい景色だと思う。ポーランド美女がカー・レースのように時速200マイルでぶっ飛ばしているので、景色が一瞬で流れ去り、本当に再現されているのか判らないというだけだ。コンピューターの描画処理はちゃんと追い付いているようだけど。

「ワォ、抜群ですアウトスタンディング! 今日のドライヴで一番遠くまで来ました!」

 ジェニーが喜んでいる。まだ4分経ってないのに最長距離とは、他のドライヴァーの1.5倍以上のスピードを出してるってことだ。しかも何十ヶ所もの赤信号を突破し、おびただしい数の車を追い越していながら、事故の気配すらない。カー・レーシング・ゲームの世界だ。いや、ゲームでもここまでうまく運転するプレイヤーがいるかどうか。体感が伴わないと、高速運転は難しいんだぜ?

「ヘイ、ミズ・エレンスカ、ジェニーに何か質問は?」

 俺の解説が必要と言っていながら、まだ何も質問を発しないポーランド美女に訊いてみる。

「他の車はどういうロジックで動いているんです?」

 その質問はジェニーが答えられるだろう。

「現実世界のマイアミで、道路脇のカメラで撮影した映像から割り出した、車の運転パターンに基づいています。車の平均速度、最低速度、最高速度、各交差点での右左折率、交通規制遵守率、事故発生率などに基づき、各車に与えるパラメーターを適切にばらつかせて、交通流を再現します。実際の交通流を近似できていることが実証できています」

「この車のような、暴走車は登場します?」

「もちろんです。発生率は低いですが、暴走車に対する各車の回避行動も、映像情報から解析してパラメーター化しています。ウォウ!」

 ジェニーが叫んだのは、交差点で横合いから来た車とぶつかりそうになったから。ポーランド美女は車を少し横に振っただけで回避したが、ステアリングを大きく切れば、スピン・ターンしただろうと思われる。もちろんは回らず、周りの景色が回転するだけだ。

「暴走車に遭遇して、一番多い行動は? それによる交通流への影響は?」

「一番多いのは“停止”です。暴走車を見送ってから、しばらくして再スタートします。ただし、そのときには交通流が乱れていて、道路全体の平均速度が低下していることが多いです。次に多いのは“減速”と“回避”です。その行動によって、他車との接触事故が発生することがあります。つまりあなたの車の後ろで事故が起こっているかもしれませんが、気にしないで下さい。ただし、シミュレイションが終わった後で確認できますよ!」

「曜日や時間帯によって交通流は変わります?」

「はい。現在の交通流は、例年10月第2週の火曜日、午後5時前のものを再現しています。クレタ島は東ヨーロッパ夏時間でUTCプラス3時間、マイアミは大西洋夏時間でUTCマイナス3時間ですから、差し引き6時間後にあなたのような暴走車が、マイアミの街を走る可能性があるわけです。ウォウ!」

 また横からぶつかりそうになったが、ポーランド美女は巧みにかわす。残りあと1分。車はノース・ビーチを過ぎて、サーフサイドタウンに入った。さらに先、バル・ハーバーヴィレッジの向こうの橋を渡れば、右手に大西洋が見えてくるのだが……

「東側のビーチ・サイドに道路を作ったら、交通流はどう変わるか、実験しています?」

「海が見える位置ですね? 道路の幅に依りますが、対向2車線道路だと海側が路上駐車で埋まって、車が流れなくなってしまいます。警官を多数配置して取り締まりをすれば路駐はなくなりますが、費用や人員がかかりすぎて現実的ではない、という結論が出ています」

「もっと幅を広くすれば?」

「ビーチ・サイドに建っているホテルから苦情が出るので、それはできません!」

 ジェニーは想定質問をよく憶えている。あるいは、全て一度は出た質問なのかもしれない。ポーランド美女は、ジェニーが困って俺に頼るような質問を思い付けるだろうか。残り30秒。

「シミュレイションの中で、交通信号が停電で使えなくなる事故は発生します?」

シミュレイションでは発生しませんが、マイアミ本部ヘッドクォーターのシミュレイション環境では、そのような事故が発生することもあります。停電の原因も、ハリケーンによるものから工事のミスまで多種多様で、実際の確率に基づいています。それらを全て考慮してシミュレイションした結果が、論文に記載されています」

「道路工事で迂回しなけれなならない日もあります?」

「もちろん、あります」

「それだけの多様な条件のデータを揃えるのに、どれだけ費用がかかったのです?」

「費用についてはご提示できません。財団と地方自治体などの契約に基づく、機密情報ですから!」

 残念ながら、タイム・アップだ。フロント・グラスの向こうの景色にも"Time expired"と重ね表示オーヴァーラップされている。車はすぐには停まらず、自動運転でスロー・ダウン中。大西洋が見えるところまでは到達しなかった。

「ウォウ! 16マイルも走りましたよ。平均時速160マイルはこの2日間で最大速度ですね」

 ジェニーが笑顔で言って、ポーランド美女に降車を促す。美女は振り返って、俺の顔をちらりと見てからドアを開け、シミュレイターを降りた。質問には全てジェニーが答えたが、俺でなければ答えられないようなのは思い付かなかったのかな?

 オリヴァーがシミュレイション結果のまとめをポーランド美女に説明している。その他のメンバーは片付けに入る。前面のディスプレイや車の中の電源を落としたり、車にカヴァーを被せたり、シミュレイターから今日のデータをストレージへコピーしたり。

「ドクター・ナイト……」

 折りたたみ椅子をバックヤードに戻して、出てきたらテオがいた。今日もディナーまで1時間議論するんだっけ。先にバスに乗っている、とオリヴァーたちに声をかけて、テオと我が妻メグを連れて外へ。

 歩いている間も、バスに乗ってからも、テオはシミュレイションに使う式やデータのことを話し続ける。バスでは俺の横に座っているので、我が妻メグがなぜか不満そうな顔をしている。ツアー中は俺がずっと我慢していたのに、我が妻メグはたかが1時間が我慢できないのか。

 みんながバスに戻ってきて、ホテルに着いて、ロビーでもしばらく話す。7時、帰り際にテオが訊いてきた。

「明日はミコノス島のツアーに行かれるんですよね?」

「その予定だ」

「僕は行かないんですよ。こちらでセッションがあるので」

「そうか。聞けなくて残念だが、後で概要だけでも教えてくれ」

「そのこともあって……明日の朝に少し時間を取ってもらえませんか?」

 朝はランニングの後で朝食を摂って、バスに乗って会場行きだ。その間、隙間時間はほとんどない。

「朝食の間と、バスに乗って会場に着くまでくらいしかないが……せいぜい1時間だな」

「それでも結構です。よろしくお願いします。8時にここで待っていればいいですか?」

 熱心だなあ。答える前に、我が妻メグの顔を見る。朝食の間、テオと話していいかを、アイ・コンタクトで確認。少し複雑な表情だが、問題ないよな? その後、一緒にツアーへ行くんだから。

「何ならランニングに付き合うかい。そうすれば45分ほど話す時間が増える」

「僕はあなたほど速く走れませんよ」

 まるで俺が走っているところを見たかのようだな。まさか、どこかのホテルから望遠鏡で覗いてるとか?

 テオを見送りながら、我が妻メグにさっきの表情の意味を訊いてみる。

「私、そんな表情をしていたかしら?」

 自覚症状がないのか。しかしあの表情は、俺がソクラテスと話すときのようでもなく、財団の同僚と話すときのようでもなく、旅行中の異邦人ストレンジャーと話すときのようでもなかった。

 そもそも我が妻メグは、年下の男と会ったとき、初見で俺と比べようとするんだよ。彼女自身は全く気付いてないだろうけど。しかしテオとは比較していないように思える。

 これ、彼女自身が気付いてないんだから、質問のしようがないのが困るな。ただ、テオがちょっと特別な存在であるということだろう。もちろんキー・パーソンとして。


 さて、ディナー。今日の会場も昨日と同じ。ただし、同じテーブルに座るメンバーが替わった。我が妻メグ、日本の男、ドイツの女、クロアチアの女。今日もインドの男とは同じにならず、助かる。あれっ、どうして俺と我が妻メグを隣に座らせてくれず、ドイツの女とクロアチアの女が俺を挟むんだ。そうすると、我が妻メグが日本の男とずっと話すことに。

 今夜の挨拶はオリヴァーに任せた。乾杯が済むと、早速ドイツの女が話しかけてくる。名前はアドリアンヌ・コレサー。初日にドイツの電力事情のことを少し話したきりだ。

「ドクトル、今日の最後にドライブしたポーランドの女性は、あなたがいない間に、たびたびあなたを訪ねてブースに来ていたのよ。だからメンバーはみんな彼女に注目していたの。もしかしたらシミュレイションじゃなくて、あなたに興味があるんじゃないかって」

 やっぱりそうなのか。しかし、俺の前では強引なことはしないんだよ。話をしたいんじゃなくて、姿を見たいだけ? よく解らん女だ。

「俺の名前を知ってるから使っただけで、本当はブース内の別の人が目的で来ていたのかもしれんよ。一番たくさん応対したのは誰だ?」

「さあ、エリックかミルコじゃないかしら。リディア?」

「ええ、そうね。ミルコが真っ先に彼女を見つけるんだけど、彼女はエリックと話したがっていた感じがするわ。たぶん、マイアミのメンバーならあなたをよく知ってると思ってるのよ」

 リディアはクロアチアの女。リディア・ヴチュコヴィチ。ファミリー・ネームの発音がとても難しい。顔の特徴は、北部イタリア人に近い。スラヴ系。

「明日、俺は丸一日いないけど、そのときもポーランド淑女ポリッシュ・レディーが来るか、観察しておいてくれるかい?」

「いいわよ。でも、最初に『今日はいない』って言ったら、終わりまで来ないかもね」

 それでもいいよ。彼女がどういう目的で俺に近付いてくるのかを、確かめておきたいだけなんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る