#17:第3日 (8) 岩戸隠れ
「OK、じゃあ、
アドリアンヌとリディアに訊く。3日目の夜にもなって何を言っているのかという感じだが、日中は俺がブースにいなくて話す時間がほとんどなかったんだから仕方ない。ブースに展示したパネルの中のどれかだとは判ってるんだけど。
ますはアドリアンヌから。
「大都市の空気の流れのシミュレイションよ」
高層ビルディングが密集すると、都市内の風の流れに影響が出る。日照方向や風向き、季節によっては、地上近くの風が弱まって、特定の地域が高温化または低温化することもある。換気にも影響が出るだろう。だから新たなビルディングを建てるときや、区画整理を行うときに、シミュレイションをして適切な空気流を保つことに役立てようという試み。
「地形によって千差万別だと思うが」
「でも大都市が成立する地形は、ある程度パターンがあるのよ。海や湖や山からの距離、大きな川の存在、平野と丘陵の面積や割合。世界の100大都市を調べて、傾向は判っているわ」
「大気汚染の状況も判る?」
「それは汚染物質の発生源を特定しないとね。それに、汚染物質はかなりの長距離を浮遊するから、都市の外からの飛来状況を組み込まないといけないわ。そこが、単に都市内の空気の流れだけをシミュレイションするのと違って、難しいところ」
「このシミュレイションと電力はどう関係している?」
「どうして電力が出てくるの」
「君が最初に俺に訊いてきたんだぜ」
初日のことを思い出させてやる。
「ああ、あのこと。もちろん、関係があるわ。不適切な高温化地域または低温化地域があると、そこでは空調のために余計な電力が使われることが容易に想像できるでしょう? そういう地域を少なくすることが、電力消費の削減にもつながるのよ。そうすれば発送電の方も安定しやすいってわけ」
「しかし、発送電の会社が分離すると適切な保守が行われなくなって、トラブルが発生しやすくなる?」
「そう。新しいビルディングを建てるときは、電力消費も増えるから、発送電への影響を考えて対応してもらわないといけないけど、やっぱり会社が分離していると協議が多くなって、工事が進まなかったりするのよ」
個々のコストを減らすことばかり考えて、その調整のために全体のコストが増えるっていう、本末転倒の典型みたいなものだな。
次はリディアに訊く。
「クロアチアの国の形、知ってる?」
逆に訊かれてしまった。
「確かアドリア海に面する部分と、内陸の部分に大きく分かれていて……」
「あら、そこまで知ってるのね!」
しかし詳しい形はよく知らない。バルカン半島の辺りは国境線が錯綜していて国の形が判りにくいんだよ。しかも、どこがどこだか判らなくなったりして。
クロアチアは転倒したV字型で、Vの一辺がアドリア海沿い、もう一辺が内陸。Vの間に入り込んでいるのはボスニア・ヘルツェゴヴィナ、頂点と接しているのはスロヴェニアだ。
そしてアドリア海沿いの方は独特の地質・地形。沿岸に大小いくつもの断層や褶曲が輻輳し、地震多発地帯で、地滑りによる土砂災害が起こりやすい。カメラやセンサーで地形の変化を常時観測し、災害の予兆を早期に発見するシステムを導入している。
そして彼女の研究は、実際に災害が起こったときに交通がどのように遮断されるか、それに対して救助に向かうにはどの経路を通ればいいか、をシミュレイションする。陸路が使えなければ海路を使うし、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを経由するルートも考える。何百何千通りもシミュレイションして、そのうち何通りかは実際に役立ったそうだ。たいしたものだ。
「合衆国でも太平洋岸では地震が多いが、土砂災害が起こる地域は少ないな。山火事で木が燃えて、山肌の保水力が失われて、その後の大雨で、ってことはあるだろうが、頻度は低いだろう」
「合衆国の事例を調べたこともあるわ。確か、サンタ・バーバラとサン・ガブリエル・ヴァレーだったはず」
サンタ・バーバラはわかるが、サン・ガブリエル・ヴァレーってどこだっけ。ロス・アンジェルスの少し東? 外国人の方が合衆国の地理・地形に詳しいというのは、気まずいものだな。
「西海岸のことには疎くてね」
「仕方ないわ。マイアミからは遠いものね。ザグレブも内陸にあるから、海岸地帯のことはそれほど詳しくないのよ。でも現地調査としてザダルやスプリト、ドゥブロヴニクへ出張して、ついでに観光して来るの」
なんだ、やっぱりみんなそういうことをしてるんだ。今回も、クレタ島は地震が多いところなので現地調査すると称して、最終日に観光をする? まあ、好きにやってくれ。俺も最終日にターゲット確保のため何をするか、早く判りたいものだ。
ディナーを終えて部屋に戻る。俺とほとんど話をしなかった
「日本人と何の話をした?」
「ナカジマ・サン? ギリシャ神話について教えてくれたわ」
サンって
「日本人なのにギリシャ神話に詳しいのか」
「そうよ。日本にも神話があって、ギリシャやローマ神話と同じように、たくさんの神様がいるんですって。そしてみんな仕事を持っているのよ」
そうか、だから日本人は勤勉なんだ。神を手本にして、人間が働く。神話の時代から国と民族性がずっと継続している。対してギリシャ人がなぜさほど勤勉でないかというと、国としての歴史がいったん途切れて、民族も複雑に入り交じっているからだろう。
「都市計画の神もいるのかな」
「それはいないけれど、最初の神様は国を作ったんですって。空から矛で海をかき回して、大きな八つの島を作った。それが日本の始まりだそうよ」
いや、日本の島って八つだけじゃないだろ。5000以上あるんじゃないか? それに俺の記憶では大きい島は四つだ。“大きい”をどの程度と定義するかで数は変わるだろうけど。
しかし、なぜ
「クノッソスからそういう話になったのか」
「そうよ」
「迷宮の話もした?」
「いいえ、それはなかったわ」
残念。
「他に何か」
「いろいろ。そうね、たとえば、女神が洞窟に隠れる話」
何だ、それは。
「日本の太陽神は女神なんですって。その弟は乱暴者で、女神はたびたび彼をかばっていたんだけれど、あるとき神殿を汚すほどの大暴れをしたので、女神は恥じ入って洞窟に隠れてしまったの。大きな岩で扉をして。そうしたら天は真っ暗になって」
神なのに乱暴者……いや、確かギリシャ神話でもあるな。神がたくさんいると、中にはやけに人間くさいのがいたりするものだ。
「神が隠れたら太陽も隠れると。それで?」
「他の神様たちは、女神に出てきてもらうために、洞窟の前で祭を始めたの」
なぜ、祭。日本人の危機管理能力を疑うぞ。災害が多い国なのに。
「それで?」
「洞窟の外が楽しそうなので、女神は気になって岩の扉を少し開けたの。実はそれが策略で、入り口に控えていたサムソンのような怪力の神が、岩をこじ開けて、投げ飛ばしてしまった。そうしたら天に太陽が戻ってきた。ハッピー・エンディング!」
実に
「もしかして、その洞窟が実在している?」
「そうよ。ただし、日本中にたくさんあるんですって」
なぜたくさんあって、日本人はそれを疑問に思わないんだよ! まあいい。これはもしかしたらナカジマと話をしてみろという暗示かもしれない。“アリアドネの糸”に近い日本神話のエピソードを、何か知ってる可能性があるってことで。
さて、そろそろビッティーと通信をしようか。
「ステージを中断します。
「やあ、ビッティー、君はもしかして日本神話にも詳しいかい?」
「質問があればデータベース内にあることはお答えしますが、詳しいと感じるかどうかはあなた次第です」
「さっきメグが話していた、太陽の女神が洞窟に隠れるエピソードについてはどう?」
「“岩戸隠れ”と呼ばれていて、8世紀に編纂された歴史書『古事記』や『日本書紀』に記載されています。女神の名はアマテラスオオミカミ、弟の名はスサノオノミコトです」
さすが日本。大昔からの記録が残っている。
「それはさておき、明日の
「ミコノス島、デロス島は共に、エーゲ海中南部にあるギリシャのキクラデス諸島の島々です。ミコノス島は面積約86平方キロメートル、即ち約33平方マイル。人口約1万人。風が強いことから“風の島”と呼ばれ、高台に建つ風車は観光名所になっています。白堊の壁のパナギア・パラポルティアニ教会も有名です。特産品はオリーブ。
デロス島はミコノス島の西にある無人島で、面積約3.4平方キロメートル、即ち約1.3平方マイル。古代ギリシャにおいて聖地とされた島で、神話では牧畜と芸術の神アポロンと狩猟の女神アルテミスはこの島で生まれたとされます。
「アポロンとアルテミスの両親は誰だっけ」
「ゼウスとレトです」
「レトが二人を産んだことを示す遺跡が何か残っている?」
「遺跡はありませんが、島の中央にあるキュントス山がその場所とされています。山腹に住居跡や劇場の遺跡がありますが、神話とは関係ありません」
「その山に洞窟はある?」
「ありますが、レトではなくヘラクレスの神域とされています」
ターゲットとは無関係かなあ。しかし、洞窟のことがやけに気になってきたぞ。クレタ島内の洞窟。誰が知っているだろう?
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