#17:第2日 (2) 国際会議の開会

 マイクロ・バスはホテルから南東へ向かい、およそ10分でコンヴェンション・センターに到着。クレタ大学に隣接した場所に建つ、近代的な建物だ。数年前に新設したらしい。

 降りるときにミキからIDカードをもらう。ホルダーに入っているので、首から下げておけばいい。それで建物のあちこちに設置されている改札機チケット・ゲートを通ることができる。

 会場は大ホールと会議室と中庭。大ホールではもちろんブース展示、会議室はセッション、中庭では車両や大型装置を使った“動く展示”がある。ただし、財団は“動く展示”を出していない。

 大ホールに入り、財団の展示ブースへ。中央にシミュレイター――ただし本物ではなく出張展示用のコンパクト・モデル――、周りに研究成果を説明するパネルが並べられている。そのシミュレイターの前に、一人のギリシャ美女が。ギリシャ彫刻並みの美貌とプロポーションで、我が妻メグに劣らないくらいだ。いや、人によっては我が妻メグより勝っていると言うかもしれない。白いブラウス、白いボレロに、黒いロング・パンツ。

「ハイ、こんにちはヤーサス、ジェニー」

 ミキが親しげに声をかける。そしてビズのような挨拶。ああ、そうか、アシスタント・スタッフが来ることになっていたな。道理で、立ち姿が様になっていると思った。

「紹介するわ。エフゲニア・ミカロポウロウ。シミュレイターのデモンストレイションを手伝ってくれるプロモーショナル・モデル。ジェニーと呼んであげて」

 シミュレイターはシミュレイション結果を表示するだけでなく、シミュレイションの世界を“体感”することができる。赤いスポーツ・カーのカット・モデルが設置してあり、ステアリングやアクセル、ブレーキを操作すると、シミュレイションのVRの中を擬似的に“走る”ことができるのだ。そしてその動きにより、他の車が動きを変える。その車がない場合のシミュレイションが裏で同時進行しており、結果の比較ができるというわけ。

 運転するのはもちろんブース展示を見に来た人。ジェニーはその“体験走行”のガイドをしてくれる。こんな美人を横に乗せて走るのは、男ならさぞ嬉しいだろう。女はどう思うか知らないけど。

 シミュレイターについては事前に資料を送ってあり、彼女はそれを読んで憶えてきてくれているはずだが、念のためここで打ち合わせをする。ただそれはオリヴァーの役目。彼の説明は論理的でとても解りやすいはずだ。

 俺はその他の展示の確認。隣のブースのライトの向きが変で、こちらのシミュレイターのディスプレイに光が当たって見づらい。エリックに「隣の責任者に言って、ライトの向きを変えてもらえ」と指示する。エリックは嫌そうな顔をしながらも、隣へ行って相談を始めた。そんな細かいことを気にしなくても、と思っているかもしれない。

 それからブースの説明員として立つ時間と、昼食の時間を決める。あと、空き時間にどのブースを調査し、どのセッションを聞きに行くか。いや、既に決めてあるのを教えてもらう。俺も当然ながら組み入れられているが、明日から3日間は技術テクニカルツアーに参加することになっている。このブースの責任者なのに、そんなに長く不在にしていていいのだろうか。

 10時になったらホールの端にある舞台の方へ移動。そこでオープニング・セッション、つまり主催者の開会の辞オープニング・アドレスがある。登壇したのは、ソクラテス・クロニスという男。40歳くらいで、フットボール・プレイヤー並みに体格がよくて、おまけにギリシャ彫刻並みのハンサム。笑顔も堂に入っている。どういう男なのか、我が妻メグに訊く。

「クロニス海運マリタイムのオーナーよ。世界の輸送量のおよそ8分の1を占めるという……」

 へえアー・ハア。現代版、いや仮想世界内のオナシスだな。

「この度は世界の企業と研究所と技術者の皆様にお集まりいただき……」と型どおりの挨拶。それから「この世界会議の開催を後押しすることができたのは近年にない大きな喜びです」と慶賀のコメント。

「私が父の手伝いとして船に乗ったのはまだ12歳の頃でしたが、それがまるで昨日のことにように思い出されます。嘘だとお思いでしたら、手をご覧に入れましょう。右手にはその船のセイルロープの擦り傷が、左手には碇の鎖の錆が、まだはっきりと残っています」

 ジョークまで決めちまったよ。やるな、こいつ。で、俺はこの後に基調講演をしないといけないけど、何を話すんだっけ。

「あなたが自分で用意すると言っていたから、私は知らないわ。練習してこなかったの?」

 大丈夫だよ、心配するな。そのうち思い付く。クロニス氏の挨拶が終わり、拍手。その後、司会MCから呼ばれて俺が登壇する。

 まず型どおりの挨拶。そして財団の代表として貢献できたことの慶賀。それから、頭に浮かぶままに言葉を並べる。

「今回のテーマは『古きを習いラーン・フロム・ザ・パスト新しい道を知れディスカヴァー・ア・ニュー・パス』です。これは有名な孔子コンフューシァスの『論語ジ・アナレクツ』の一節『故きを温ねて新しきを知る』を意識したものだとのことです。東洋の古い言葉を、西洋の歴史ある国へ持って来たわけです。

 さて、古いことを知れば、新しい道が開けるものでしょうか。新しい道を見つけるには、古くから通ってきた道を外さなければなりません。私の経験から言うわけではありませんが、一直線にゴールを目指す人よりも、遠回りが好きな人が、よりよい新しい道を見つけることが多いようです。

 実は私はこのクレタ島へ来る前に、サントリーニ島へ半日ばかり寄ってきました。世界会議へ来るついでに遊びに行くとはけしからんと思われるかもしれませんが、全くそのとおりです。私の所属する財団に寄り道の経費を請求するつもりはありません」

 ここで少しだけ笑いが起こった。さっきの、クロニス氏のジョークがなかったら誰も笑ってくれなかっただろう。ありがたいことだ。

「では、寄り道の時間と費用が全くの無駄かというと、そんなことはないでしょう。サントリーニ島の素晴らしい景色を眺められた。妻も喜んでくれた。それだけではない。クレタ島に来て、一つ気付いたことがあります。『ここには青いドーム屋根の教会がない。同じミノア文明のはずなのに、なぜだろう?』。いや別に、クレタ島にも青い屋根の教会を作れば観光客が増えるだろう、と言いたいわけではないのであって……」

 また少しだけ笑い。サントリーニ島の青屋根の教会は、行ったことがない人でも知っているほど有名だと証明されたわけだ。

「クレタ島とサントリーニ島に、違いがあることが解ったわけです。寄り道しなくてもそれくらい知っておけと叱られそうですが、それもそのとおり。しかし、寄り道しなければ解らないことがあるのもお解りいただけるでしょう。たとえばクレタ島とサントリーニ島では、ピタ・ギロスの味が少し違うとか。私は昨日、昼にサントリーニ島で食べて、夜にクレタ島で、いや、そういう細かい話はもうやめておきましょう。

 要するに、道を踏み外すには古い道がどんなものであるかを詳しく知らなければならない。古きを習うラーン・フロム・ザ・パストとは、古い知見の範囲はどこまでかを知ることです。つまり、それ以外との境界を知ること。それによって、その外に新しい道があることに気付くのです。しかしてその新しい道はどんなものか。それは踏み外してみるまで判らない。踏み外すことで間違いを犯すかもしれませんが、大事なのは、それを恐れないことです。安全と思える外し方をしていては、新たな、よりよい道を知ることは叶わないのです。危険な道を選ぶべきです。もちろん、命を失わないよう、戻って来られるように気を付ける必要があります。

 今は道だけを例にしましたが、都市には建物もあります。古い建物を知ることは、新たな建築技術の発見に必ずや役立つでしょう。古い時代によいとされた技術には、長い経験に裏打ちされた理由があるからで、それを疎かにできないのは当然のことです。

 幸いにして、クレタ島や近隣の島々には古い都市の遺跡があります。時間の許す限り、見に行っていただきたい。できれば会期中の技術テクニカルツアーだけでなく、終わってから1週間ほど旅行すれば、あなたの知識も増え、ギリシャも観光収入で潤うことになります。さらに、都市計画にはこういった宣伝とその効果の評価も含まれますので、それについてもぜひ研究して、成果を発表していただきたい。今回でも次回でも結構。期待します」

 まずまず無難な内容だったのではないかと思う。本当ならもう少しジョークを入れたいのだが、漏れ聞くところによると――実際には仮想記憶の中にある知識だが――俺のジョークはさほど評判がよろしくないらしい。たぶん、前回のリオでの講演結果が、フィードバックされているのだろう。

 俺が壇を下りると、別の奴が上がって講演を始める。ヨーロッパの学会のお偉方らしい。財団の連中の近くへ戻ろうとしたら、ハンサムなクロニス氏が寄ってきた。自己紹介をし、「結構な講演でした」と挨拶を求めてくる。たぶんお世辞フラッテリーだろう。

「初めまして、アーティー・ナイトだ。そちらこそ、素晴らしい開会の辞オープニング・アドレスだった」

 ジョークがうますぎて、とても真似できないと思った、とは言わないでおいた。

「財団は南北アメリカ大陸を代表して会議の開催に貢献してくれたと聞いている。それにシミュレイターも興味深い。今回のは道路だが、船でも可能?」

「もちろん。ただし海運の場合、航路のシミュレイションよりも、港湾内の設備利用をシミュレイションする方が面白い」

「なるほど、設備利用のスケジューリング、それに陸運との連携か」

「メリーランド州港湾局の依頼でやったシミュレイションが参考になると思うので、興味があれば進呈するよ」

「ぜひお願いしたい」

 名刺をもらってしまった。俺も渡しておく。気配を感じて振り返ると、我が妻メグが忍び寄っていた。どうしたんだ。

配偶者パートナーかね」とクロニス氏が目ざとく反応する。

「そうだ」

 我が妻メグを紹介する。クロニス氏は俺に挨拶をするときよりも嬉しそうな表情になり、厚かましくもビズまでしている。ヘイ、メグ、君はそんな魅力的な笑顔を見せなくていい。全く、人が多いところに来るとこれだから。

技術テクニカルツアーのことを言及していたが、君は参加する予定かね」

「そのつもりでいる」

配偶者パートナーも?」

「そう」

「私が主催者として同行するので、そのときにもぜひ話を聞かせてくれたまえ」

 ツアーに同行? オーナーがわざわざか。ひょっとしてキー・パーソン? しかし、嫌な予感しかしないんだが、どうしてかな。例えば我が妻メグを取られそうな。

 お偉方の講演が終わりそうになると、「あちらにも挨拶をしないといけないので」と言ってクロニス氏は去っていった。

「とても立派な方ね!」

 我が妻メグが目を輝かせている。やっぱり嫌な予感がする。

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