#17:第1日 (2) 美女の祈り

 コーヒーを飲み終えたら、集落の中をまた西へ。さっき来たのとは別の道だが、最初にバスを降りてから通ったような気がする。ステージ開始前の記憶があるというのは何となく気持ち悪いが、第二仮想記憶とやらのせいなので、俺にはどうしようもない。

 要塞へ登る階段と分かれて下へ。踏み外したら海まで転がり落ちそうなほど急な階段だ。我が妻メグが嬉しそうに手をつないでくる。落ちそうになったら抱き止めてやればいいだろう。

 しかしそんなことにはならず、延々と階段を下りる。途中で一直線ではなくなり、ジグザグに曲がっていた。見る方角が頻繁に変わる。

 ようやく崖の一番下、入り江まで下りてきた。アマウディ湾。切り立つ崖を半円筒状に削ったかのようで、小さな噴火口だったのではないか。周りの建物には新しいコンクリートと古い煉瓦造りのものが混じっていて、古くからここに港があったのだなということが判る。

 目の前の護岸は無粋なコンクリート製。そこに波が穏やかに打ち寄せている。

「近くで見ても綺麗な青ね!」

 我が妻メグがいたく感激している。確かに水が青いが、上から見るより透明度が上がって、水底まで見えている。そして強い潮の香り。ボートがいくつも浮かんでいて、あれに乗って沖へ出たら、景色よりも海の底を覗きたくなるだろう。

「まあ、あれは?」

 遠くへ目を移すと、100ヤードほど向こうに防波堤のようになった船着き場があり、ボートに乗るにはあそこへ行けばいいと判るのだが、我が妻メグは別のことに目を奪われている。船着き場に立っている、我が妻メグと同じような白いドレスの女だ。ただしスカートは我が妻メグよりも少し長め。胸はかなり大きめ。

 肩までのシャンパン・ブロンドの髪を、潮風に靡かせている。その髪に青い花飾り。さながらさっき見た教会のドームのよう……

「あれは……マドモワゼル・マルーシャでは!?」

 え、まさか。また競合? 何ステージ連続してるのか、もう忘れたよ。しかもどうして我が妻メグが目ざとく彼女を見つけるんだ。

 なぜ気付いた、と訊こうにも、我が妻メグは俺をほったらかして、一目散に女の方へ駆け出していた。俺よりマルーシャの方が大事なのかよ!

 仕方ない、ゆるゆると歩いて追いかける。船着き場の女は我が妻メグに気付き、両手を広げて笑顔で迎えようとしている。ああ、確かにマルーシャだね。いつもなら俺には見せない愛想のいい笑顔だけれど。

 我が妻メグが彼女の名を呼び、二人の女が船着き場の上でしっかりと抱き合う。周りの観光客やボートの船頭が、美女二人の抱擁をまるで美術品を見るかような目で眺めているのが判る。我が妻メグが早口に何か言っているが、聞こえない。しばらくしてマルーシャが俺を見る。どうしてその時だけ目が冷たくなるんだか。

 俺がそばまで行くと二人は抱擁を解き、マルーシャが俺に向かってお辞儀レヴェランスをしてから言った。

「こんなところでお会いするとは、何という運命の巡り合わせでしょう。そしてこれ以上の喜びはありませんわ。しかも今回はあなただけでなく、私の大好きなリタとも一緒だなんて」

「ああ、そうだな。いつ以来だっけ」

「あなたとは2月にリオでお会いしてからですから、8ヶ月ぶりですわ。あの時のことはリタにもお話しになったのでしょう?」

 そうだっけ? いや、リオ滞在中には我が妻メグに話さなかったはずなんだよ。それでも彼女が知ってたのなら、フロリダに帰ってから話した、ということになってるんじゃないかなあ。

「ああ、もちろん」

「リタとはニュー・カレドニア以来ですかしら。あれは2月でしたから、1年と8ヶ月ぶりですね。しかも地球を半周したところでなんて、奇跡のようですわ」

「ああ、確かにね」

 答えた後で、我が妻メグの顔を見る。“奇跡”を喜んでか、この上なく嬉しそうな表情を見せている。俺と旅行するよりマルーシャと出会う方が嬉しいのか。

 ところでマルーシャも、我が妻メグのことを「リタ」って呼ぶのを、そろそろやめてくれねえ? 紛らわしいんだよ。

「マドモワゼルは、アテネの国立劇場で開催されるオペラのためにいらしたそうよ。そして今日は休日で、日帰りでこの島へ……」

 何だ、それは。ヴァケイション・ステージなのか。

 いや、違うな。だって彼女のヴァケイションは、俺の一つ前だろ。最近だと、俺がオデッサの時だ。だから今回も普通の競争者コンテスタントとして、俺と競争するはず。

 しかしアテネはともかく、クレタ島にオペラ劇場はないだろう。国際会議に出席するはずもないし、どう絡むのかなあ。変装して潜り込むんだろうか。用心はするけど。

「それは奇遇なことだ。でも君のことだから、単に観光で来たんじゃないだろう。何か他の理由があるのでは?」

「はい。私の尊敬するミュージカル歌手の一人に、この島出身のソフィア・カロスという人がいるんです。引退した後、ちょうど昨年の今頃急死したので、彼女を偲ぶために来たのですわ」

 墓参りをした後、遺灰の一部を撒いたというこの湾を見に来た? 白いドレスに青い髪飾りは、彼女が出演したミュージカルのと同じ?

 へえアー・ハア。本当かね。口から出任せじゃないのか。彼女が言うと、何でも信用したくなるけどさ。

我が妻マイ・ワイフが君の祈りの時を邪魔したのなら申し訳ないことだ」

「いいえ、ちょうど祈りを終えて、海の美しさに心を奪われていたところです。私も余生を送るときはこんな南国の島に住みたいですわ」

 永遠に続くかのような美しさを持っていながら、余生なんて言われてもピンと来ないって。

「マイアミもいいところだよ。一度は遊びに来てくれ」

「ええ、もちろん、いずれ近いうちにエニー・ティック・オヴ・ザ・クロック

「その時は、ぜひ我が家にお泊まりください!」

 我が妻メグが嬉しそうに言うが、その“我が家”ってどんなところなんだろう。仮想記憶の中に入ってないんだけど。もちろん、客間くらいはあるんだよなあ? 一度くらい、マイアミに帰らせてくれないものか。

 この後、亡くなった歌手の友人たちに会いに行くので、一緒に観光ができなくて残念だ、とマルーシャは言った。どうせ以前に来たことがあって、隅から隅まで知ってるんだろう。世界中で彼女が行ったことのないところを知りたいくらいだ。

 せっかくなので一緒に階段を上がることにした。我が妻メグとマルーシャが並んで話しながら、先を行く。俺は二人が落っこちないように殿しんがりを守る。二人とも、尻の形が美しいので目の保養になる。特に我が妻メグのは、他の男には絶対に見せたくない。

 しかし二人の尻の、なだらかな曲線美とは対称的な、崖の岩肌の荒々しさもまた素晴らしい。黒く硬そうな岩の壁に、赤くごつごつした柱のような岩塊がへばりついている。どちらも火山特有のものだろう。

 特に赤い方は、巨大な煉瓦の壁が風化してボロボロに崩れたかのように見える。超古代文明が作った城壁に見紛うほど。

 そしてその上に見える民家の壁の白さ、天に抜けるような空の青さは、この島ならではの特異な光景に違いない。

 なのに先を行く二人は楽しそうに話し合っているばかりで、自然の美を見ようともしない。マルーシャは見たことがあるに違いないが、我が妻メグは俺が指摘してやらないと気付かないんだろう。こっそり写真を撮っておいて、後で見せてやろうと思う。親切なんだか意地が悪いんだか、俺自身も判らない。

 階段を上がりきったところで、マルーシャと別れた。もちろん、抱き合って挨拶をした後で。

「帰りの飛行機の便が同じなので、空港でまた会いましょうとおっしゃっていたわ」

 我が妻メグが嬉しそうに言う。頼むから、それまでマルーシャのことは忘れてくれ。この後の観光が楽しめなくなる。



 アーティー・ナイト。今回も彼と競合することは判っていたが、こんなに早く会うとは思っていなかった。ルールにより、この後、裁定者アービターに頼んでも名前や職業を変えられなくなる。少しやりにくい。しかし、彼をうまく利用できなければ、私に勝ち目はない。何とか考えよう

 マーガレット・“リタ”……いいえ、“メグ”・スコット・ナイトもいた。彼女を同伴することを、彼が選んだのだろう。予想の範囲内だった。あるいは彼よりも、彼女の方が利用しやすいかもしれない。それとも彼女の方が勘が鋭いから、私の行動の意図に気付いてしまうだろうか?

 だとしても、私は彼女を利用するべきだろう。彼と同様、彼女もターゲットのヒントに近付きやすい特質を持っている。ただ、彼女はトラブルに遭いやすい。もちろんこの世界のシナリオのせいで。

 彼女の「他人に親切であり、他人と積極的に関わることを望み、他人に対する労を惜しまない」という性格のせいだろう。あらゆるイヴェントに組み込まれてしまうのだ。私が彼女と初めて会ったステージでも、そうだった。

 もし彼女がまた災難に巻き込まれるのならば、私は彼女を助けたい。彼はできる限り彼女から目を離して欲しくないが、やむを得ない状況もあるに違いない。その時は私が彼女を守ろう。

 彼らのこの後の行き先はクレタ島。であれば、ターゲットには遺跡が関係するのだろう。「アリアドネの糸」。迷宮を脱出する道標みちしるべ。あるいは困難を解決する手がかり。

 サントリーニ島に遺跡は? 南部に、アクロティリ遺跡がある。ミノア文明。時代はクレタ島と同じ。では、そこに何か手がかりがあるのだろう。

 あるいはフィラにある考古学博物館へも行くべきか。

 サントリーニ島は紀元前17世紀に噴火し、島の一部が陥没。エーゲ海の島々に影響をもたらし、アトランティス伝説の元になったとも言われる。

 その歴史をもう一度学び直すには、いいきっかけだろう。その中に、ターゲットのヒントがあるかもしれない。

 ただ、見ているだけではいけない。ターゲットの“糸”は比喩だ。糸そのものではない。“手がかり”となるもの。

 手がかりは往々にして目に見えない。五感を研ぎ澄ませて探し、考えなければならない。耳で、鼻で、舌で、手で、あるいは肌で、そして心の目で。全ての感覚を使って、答えにつながる“痕跡”をたどらなければならないのだ。

 “糸”の実体は、いったい何だろうか。迷宮の中でたどれそうな“痕跡”とは……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る