#17:第1日 (2) 美女の祈り
コーヒーを飲み終えたら、集落の中をまた西へ。さっき来たのとは別の道だが、最初にバスを降りてから通ったような気がする。ステージ開始前の記憶があるというのは何となく気持ち悪いが、第二仮想記憶とやらのせいなので、俺にはどうしようもない。
要塞へ登る階段と分かれて下へ。踏み外したら海まで転がり落ちそうなほど急な階段だ。
しかしそんなことにはならず、延々と階段を下りる。途中で一直線ではなくなり、ジグザグに曲がっていた。見る方角が頻繁に変わる。
ようやく崖の一番下、入り江まで下りてきた。アマウディ湾。切り立つ崖を半円筒状に削ったかのようで、小さな噴火口だったのではないか。周りの建物には新しいコンクリートと古い煉瓦造りのものが混じっていて、古くからここに港があったのだなということが判る。
目の前の護岸は無粋なコンクリート製。そこに波が穏やかに打ち寄せている。
「近くで見ても綺麗な青ね!」
「まあ、あれは?」
遠くへ目を移すと、100ヤードほど向こうに防波堤のようになった船着き場があり、ボートに乗るにはあそこへ行けばいいと判るのだが、
肩までのシャンパン・ブロンドの髪を、潮風に靡かせている。その髪に青い花飾り。さながらさっき見た教会のドームのよう……
「あれは……マドモワゼル・マルーシャでは!?」
え、まさか。また競合? 何ステージ連続してるのか、もう忘れたよ。しかもどうして
なぜ気付いた、と訊こうにも、
仕方ない、ゆるゆると歩いて追いかける。船着き場の女は
俺がそばまで行くと二人は抱擁を解き、マルーシャが俺に向かって
「こんなところでお会いするとは、何という運命の巡り合わせでしょう。そしてこれ以上の喜びはありませんわ。しかも今回はあなただけでなく、私の大好きなリタとも一緒だなんて」
「ああ、そうだな。いつ以来だっけ」
「あなたとは2月にリオでお会いしてからですから、8ヶ月ぶりですわ。あの時のことはリタにもお話しになったのでしょう?」
そうだっけ? いや、リオ滞在中には
「ああ、もちろん」
「リタとはニュー・カレドニア以来ですかしら。あれは去年の2月でしたから、1年と8ヶ月ぶりですね。しかも地球を半周したところでなんて、奇跡のようですわ」
「ああ、確かにね」
答えた後で、
ところでマルーシャも、
「マドモワゼルは、アテネの国立劇場で開催されるオペラのためにいらしたそうよ。そして今日は休日で、日帰りでこの島へ……」
何だ、それは。ヴァケイション・ステージなのか。
いや、違うな。だって彼女のヴァケイションは、俺の一つ前だろ。最近だと、俺がオデッサの時だ。だから今回も普通の
しかしアテネはともかく、クレタ島にオペラ劇場はないだろう。国際会議に出席するはずもないし、どう絡むのかなあ。変装して潜り込むんだろうか。用心はするけど。
「それは奇遇なことだ。でも君のことだから、単に観光で来たんじゃないだろう。何か他の理由があるのでは?」
「はい。私の尊敬するミュージカル歌手の一人に、この島出身のソフィア・カロスという人がいるんです。引退した後、ちょうど昨年の今頃急死したので、彼女を偲ぶために来たのですわ」
墓参りをした後、遺灰の一部を撒いたというこの湾を見に来た? 白いドレスに青い髪飾りは、彼女が出演したミュージカルのと同じ?
「
「いいえ、ちょうど祈りを終えて、海の美しさに心を奪われていたところです。私も余生を送るときはこんな南国の島に住みたいですわ」
永遠に続くかのような美しさを持っていながら、余生なんて言われてもピンと来ないって。
「マイアミもいいところだよ。一度は遊びに来てくれ」
「ええ、もちろん、
「その時は、ぜひ我が家にお泊まりください!」
この後、亡くなった歌手の友人たちに会いに行くので、一緒に観光ができなくて残念だ、とマルーシャは言った。どうせ以前に来たことがあって、隅から隅まで知ってるんだろう。世界中で彼女が行ったことのないところを知りたいくらいだ。
せっかくなので一緒に階段を上がることにした。
しかし二人の尻の、なだらかな曲線美とは対称的な、崖の岩肌の荒々しさもまた素晴らしい。黒く硬そうな岩の壁に、赤くごつごつした柱のような岩塊がへばりついている。どちらも火山特有のものだろう。
特に赤い方は、巨大な煉瓦の壁が風化してボロボロに崩れたかのように見える。超古代文明が作った城壁に見紛うほど。
そしてその上に見える民家の壁の白さ、天に抜けるような空の青さは、この島ならではの特異な光景に違いない。
なのに先を行く二人は楽しそうに話し合っているばかりで、自然の美を見ようともしない。マルーシャは見たことがあるに違いないが、
階段を上がりきったところで、マルーシャと別れた。もちろん、抱き合って挨拶をした後で。
「帰りの飛行機の便が同じなので、空港でまた会いましょうとおっしゃっていたわ」
アーティー・ナイト。今回も彼と競合することは判っていたが、こんなに早く会うとは思っていなかった。ルールにより、この後、
マーガレット・“リタ”……いいえ、“メグ”・スコット・ナイトもいた。彼女を同伴することを、彼が選んだのだろう。予想の範囲内だった。あるいは彼よりも、彼女の方が利用しやすいかもしれない。それとも彼女の方が勘が鋭いから、私の行動の意図に気付いてしまうだろうか?
だとしても、私は彼女を利用するべきだろう。彼と同様、彼女もターゲットのヒントに近付きやすい特質を持っている。ただ、彼女はトラブルに遭いやすい。もちろんこの世界のシナリオのせいで。
彼女の「他人に親切であり、他人と積極的に関わることを望み、他人に対する労を惜しまない」という性格のせいだろう。あらゆるイヴェントに組み込まれてしまうのだ。私が彼女と初めて会ったステージでも、そうだった。
もし彼女がまた災難に巻き込まれるのならば、私は彼女を助けたい。彼はできる限り彼女から目を離して欲しくないが、やむを得ない状況もあるに違いない。その時は私が彼女を守ろう。
彼らのこの後の行き先はクレタ島。であれば、ターゲットには遺跡が関係するのだろう。「アリアドネの糸」。迷宮を脱出する
サントリーニ島に遺跡は? 南部に、アクロティリ遺跡がある。ミノア文明。時代はクレタ島と同じ。では、そこに何か手がかりがあるのだろう。
あるいはフィラにある考古学博物館へも行くべきか。
サントリーニ島は紀元前17世紀に噴火し、島の一部が陥没。エーゲ海の島々に影響をもたらし、アトランティス伝説の元になったとも言われる。
その歴史をもう一度学び直すには、いいきっかけだろう。その中に、ターゲットのヒントがあるかもしれない。
ただ、見ているだけではいけない。ターゲットの“糸”は比喩だ。糸そのものではない。“手がかり”となるもの。
手がかりは往々にして目に見えない。五感を研ぎ澄ませて探し、考えなければならない。耳で、鼻で、舌で、手で、あるいは肌で、そして心の目で。全ての感覚を使って、答えにつながる“痕跡”をたどらなければならないのだ。
“糸”の実体は、いったい何だろうか。迷宮の中でたどれそうな“痕跡”とは……
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