#16:第7日 (6) バトン・タッチ

「さて、まだ議論の時間があるが、この先、どうやって進めようか」

 10時まで、あと40分ほど。ちゃんと最後までやった方がいいと思うが、もしかしたらさっさと切り上げて、ターゲットを探しに行く方がいいかもしれない。ただ、そのための情報がないけれども。

「解りません。目を閉じると、あなたのイメージが私を包み込んで、思考ができなくなってしまうので……」

「イメージというのはもちろん写実的リアリスティックイメージだろう」

 肉体的フィジカルと言うとまた余計なことを想像するだろうから、あえて避ける。

「はい」

「しかし、もっと概念的な……記号的なイメージならどうか」

「記号的……それはどのような?」

「記号は記号だよ」

 壁際の書き物机から、便箋を一枚取ってくる。それとペンをハファエラに渡す。まず、人の形を描くように言う。

「記号でいい。よくあるとおり、頭を丸で、身体と手足を一本線で描いて」

「はい……描きました」

「頭の上に、"Artie"と書いて」

「"Artie Knight"でもいいでしょうか。フル・ネームの方があなたをイメージしやすいのです」

 好きにしろ。書いたか? じゃあ、その絵を俺だと思って見ながら、言葉を探してみろ。

「難しいです。この絵が、あなたと思えないのです……」

「思えるように、自分に暗示をかけろ。慣れたら、名前だけでもできるようになるはず」

 ハファエラが眉根を寄せながら、便箋の上の人形ひとがたと名前を睨む。しばらくは何事も起こらない。そのうちに、口元が動き始めた。声は俺に聞こえないが、リズムからして、俺の名前を呼んでいるようだ。

 名前は単なる記号だが、声にすると少し意味が違ってくる。名前を呼び、それが耳に入ることは、イメージの喚起力が大きい。

 たとえば、エクスタシーのときに相手の名前を呼ぶと、どうなるか。あるいは、相手が自分の名前を呼ぶのを聞くと、どうなるか。

 考えればすぐ解るとおり、感情が爆発する。メグはその瞬間、必ず俺の名前を叫ぶ。俺に名前を欲しいらしいが、俺はレヴェルにとどめている。

 いや、そんなことを思い出す必要はなかった。とにかくハファエラには、名前をのをやめさせた方がいいだろう。しかし、最初から人形ひとがたを見て名前を黙読するだけだと、イメージを喚起するのに時間がかかるのではないか。今のところは音読で、慣れたら黙読でするよう指示した方が……

「ウアウ!」

 ハファエラが小さく悲鳴をあげ、便箋から目を離した。顔を上げて俺の方を見たが、すぐに目を逸らした。頬が赤く、息が荒い。またか。

「どうした?」

「驚かせてしまい、申し訳ありません。あなたの名前を口に出していたら、便箋に目の焦点が合わなくなって、頭の中にあなたのイメージが浮かんで……」

 予想どおりのことが起こったようだ。

「イメージが浮かんだのはいいが、それでは目を閉じているのと同じだな。声は出さず、頭の中だけで読む方がいい」

「最初はそうしていたのですが、つい声が……ですが、これで一つ判ったことがあります」

「何だ」

「あなたの名前を呼び続けると、私は胸が苦しくなります」

 当たり前だ。相手を愛し始めたときって、そんなものだろ。髪の毛一筋ですら、愛おしく感じるんだよ。

「その時に俺のイメージが頭に浮かんでいる?」

「はい、もちろん」

「名前をにそうなることが望ましい。残りの時間は、それに専念してみてくれ」

「あと20分ほどしかないのですか……」

 その20分間、俺としたいと思っているだろうが、そのための材料がもうないんだ。君が俺に愛を打ち明けたって、意味ないんだぜ。

 しかし無情にも時間は刻々と過ぎ、ハファエラがついに一言も発しないまま、10時になった。電話がかかってきて、取ると巡査部長だった。下のロビーから。

「ハファエラを迎えに来ました」

「ありがとう。カリナもそこにいるか」

「います」

 二人で部屋まで来てくれるように頼む。ハファエラの持ち時間は2分ばかり伸びたわけだ。


 2分後、ドアにノックがあり、巡査部長とカリナを迎え入れる。二人とも服を着ているが、その下は水着だ。ハファエラと同じ。というか、透けて見えるほど生地が薄いということだ。カリナはともかく、なぜ巡査部長までそんな服を。

「議論は終わりましたか」

「ハファエラはもう少し時間が欲しいようだ」

「いけませんね、時間厳守です。ハファエラ、帰るわよ。プロフェソールは次にカリナと約束があるのだから」

「午後にもう一度、会っていただけませんか?」

 ハファエラが泣きそうな顔で言う。しかし“もう一息”というところまで行かなかったのだから、仕方ないよな。

「午後はe-Utopiaへ行くことになっていて、少なくとも9時頃までは時間がない。その後は合衆国へ帰るために空港へ行かないと」

「ではその移動と、搭乗待ちの間だけでも……」

「ドトール、今夜はアンゲラと会う時間を3時間ばかり取ってらしたのでは?」

 カリナが口を挟んでくる。君、どうしてそれを知ってるんだよ。何時から会うかは、巡査部長にも言ってなかったんだぜ。ただ、その約束は……

「確かにそうだが」

「ですが、アンゲラはあなたと立ち会いのもと、別の方と面会されることになりましたから、2時間ほど空き時間があるのでは?」

 ああ、巡査部長がエンリケ氏にシステムの説明をした後、デートできることになったら、確かに俺の時間は空くな。だけど、ターゲットやゲートを探す時間がなくなるじゃないかよ。さて、どうするか。

「ということは、アンゲラがe-Utopiaへ来るときに、ハファエラを連れてくれば、少しは時間が取れるかもな」

「それでも結構です!」

 ハファエラが立ち上がって叫ぶ。それまでに、さっきの手法で俺を表す言葉を見つけてくればいいわけだ。巡査部長も了解してくれたので――エンリケ氏とデートができなかったら彼女のために時間を使うことになるかもしれないが――姉妹は帰っていった。部屋にはカリナだけが残った。

「昼食と移動込みで、1時までお時間をいただく約束でした。お話をする場所は、ここで結構ですわ」

 カリナはさっさとソファーに座ってしまった。さっきまで、俺が座っていたところだ。もちろん、俺は向かい側でなく、隣に座れと言うつもりだろう。

 しかし、どうして俺が座ってた位置を知っているのか。とはいえ、ソファーの配置から、主客の座る場所というのはだいたい決まっていて、彼女は秘書だからそういうことも知っているのだろうけれども。

「ビーチで護身術の講習会をやった後は、どこにいた?」

 訊きながら、わざとカリナの向かい側に座る。カリナが意味ありげな笑みを漏らす。俺がはぐらかしたのに気付いたが、まだ時間があるから構わない、と思っているのだろう。

「ミラマーへ……アルセーヌのホテルの部屋へ行ってました」

「他の連中と一緒に?」

「いいえ、アンゲラとスサナはヒルトンのスサナの部屋へ行きました。そこでアンゲラのトレイニング方法を教えるということで。セニョール・ハートニーはお仕事があるのでお帰りになりました」

「オーレリーは?」

「ずっと姿が見えないのです。アルセーヌは、そのうち戻ってくるから気にしなくていいと」

「で、君はアルセーヌの部屋で何を?」

「一昨日の夜の続きを」

 続きって……えーと、アルセーヌが疲れて立てなくなるようなことの続き? 朝から? そういえば確かに、カリナの腰の辺りが充実した感じがするな。

「君は疲れなかったのか」

「少しは。でも、まだ体力を十分残していますわ。この後、仕事もありますし」

 仕事って、e-Utopiaまで俺を送って行って、ゲームの準備をして、観戦するだけなのでは。それ以外のことをする体力も残ってるってこと? うーん、何とかしてはぐらかすことはできないものかな。

「俺の方からもいろいろ話したいことがあるんだが、少しだけ時間をくれるか」

「構いませんとも。30分程度であれば」

 時間を切られてしまった。しかし、ターゲットに関する情報を集める最後のチャンスだ。訊くべきことを訊かないと。

「e-Utopiaはプログラマーなどの優秀な人材をどこから集めている?」

「それは今お訊きになるようなことなのですか? 月曜日にいらしたときに、お訊きになればよろしかったのに」

「あの時はゲーム・システムの紹介に感心して、思い付かなかったんでね」

 このステージは、とにかくe-Utopiaが中心だ。競争者コンテスタンツが全員、ゲームに参加して勝ち残っているのがその証左。しかし、e-Utopia内でキー・パーソンと思えるような人物は、カリナとエンリケ氏しか会っていない。門衛はもちろん除く。

 加えて、他の場所でもたくさんのキー・パーソンズと会っている。ならば、それらの人物とe-Utopiaの関係を調べれば、誰が最も重要なキー・パーソンか、判るのではないか。

「大学の卒業生はもちろん採用しています。リオに限らず、他の地域からも。職業学校からも受け入れます。他社から転職してくる人もいますね。ゲームやプログラミングを扱う業種に限りません。マネージメントや間接業務の採用枠もありますから」

「例えば交通局やコムブラテルからは」

「コムブラテルからはたくさんいます。通信の知識があるなら採用率は高いです。交通局はめったにいませんわ」

「警察は」

「過去にはいないと思います」

ABCアカデミー

「少ないですが、いたと思います」

 さて、他にどこがあったんだったか。

「職業学校ということは、ISTイーエステーも?」

「あそこは……過去には多かったはずですが、去年は採用していないと思います」

「どうして? 優秀な人材が揃っているはずなのに」

「実用的な業種へ人材を送り出す方針に変わったからだと思います。ゲームは実用的ではないからでしょう」

「つまり、君たちが採用しないんじゃなくて、先方から求職に来ない?」

「そうです」

 俺もあそこで、研究が役に立たないとか無駄だとか、散々言われたんだった。誰だったかな。ええと、イザドーラ・パリス?

 そういえば、キー・パーソンズの中で、彼女だけが異質だな。徹底的に実用性を求めていた。遊びファンがない。

 しかしターゲットは何か。“イースター・エッグ”。遊びファンだ。彼女と対極にある。しまったな。彼女の“イースター・エッグ”に対する意見を聞くべきだったか。そうすれば何かヒントが得られたかも。

 今さら遅い? 今日は土曜日だからな。いやいや、彼女のことだ。きっとISTにいるに違いない。仕事に熱心なのは、エンリケ氏と並ぶだろう。何とかして連絡を取る方法は……

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