#16:第6日 (21) 夜の女性警察官

 車に乗り、後部座席にマヌエラと並んで座る。さて、何から話そうか。とりあえず、昼の続きからかな。

「やりたいことは何か考えたか」

「何のこと?」

「昼に訊いたろ」

 まさか、忘れたわけじゃあるまい。ゲームを見ながら、ずっと考えてたに違いないのにさ。思うに彼女は、熱心な姿を他人に見られるのが嫌いなんだな。いつも冷めた感じでいたいんだ。ただ何かきっかけがあって、ある種の状況に入り込めば、この前みたいな熱意のある“騎士”になると。

「やっぱり何もないわ」

「じゃあ、フットボールの話の続きをしようか」

「どうしてそうなるのよ」

「聞いてるうちに何か思い付くかもしれないだろ」

 オレンジ・ボウルの話にするか。でも20分だと前半しか話せないな。まあいい。二つ前の試合で先発QBスターティング・クォーターバックが怪我をして途中出場したところから、オレンジ・ボウルへ向けての練習までを軽く話す。しかし、それだけで10分過ぎてしまった。

 ただよく考えたら前半はずっと負けていたので、話してもつまらないだけだ。後半での逆転カムバックに向けて、何を考えながらハーフ・タイムを過ごしていたか……いや、それだけでまた10分経ってしまったじゃないか。もうすぐホテルに着く? どうしようか。

「ビーチで二人きりでお話しなさったらいかがです?」

 カリナが提案してくれた。なるほど、巡査部長との約束の時間までは、まだ15分ほどある。既にマリオットのロビーに来ている可能性があるが、通り過ぎてしまえば何ということはない。

「どうする、マヌエラ?」

 問いかけると、マヌエラがびくっと肩を震わせる。何をそんな過剰に反応しているんだ。

「ふ、二人きりってことないでしょ! この時間、まだビーチにはたくさん人がいるわよ!」

 だったら安心じゃないか。何をそんなに怒ってるんだ。まさか、本当に二人きりになりたいわけじゃあるまい。……いや、そうなのか?

 マリオットの少し手前でカリナが車を停め、マヌエラと降りる。道路を渡ってビーチへ行くが、歩道沿いのあちこちにライトが灯っていて、白い砂が照らし出されている。その光の届かないところに、男女のペアがたくさん……

 しかしマヌエラは、暗がりへ連れて行かれるのを警戒するかのように、ライトの近くで勝手に座り込んだ。俺は別にどこだって構わないので、その隣に座る。続きを話そうとしたら、マヌエラの方から口を開いた。

「あんた、どうしてそんなにフットボールが好きなのよ」

 いや、まだオレンジ・ボウルの話は終わってないんだぞ。

「好きなことに理由なんかないって言ったろ」

「そんなはずないわ」

「君は何か理由がないと、人を好きにならないのか」

「もちろん」

「じゃあ、オリヴィアたちのことはどうして好きなんだ」

 すぐに答えは返ってこなかった。マヌエラは膝を抱えて、海の方を見つめている。しかし海は見えず、波の音しか聞こえないので、視線がそちらへ向かっているというだけだろう。

「別に、好きなんじゃないわ。昔から近くに住んでいて、仲がいいだけ。もっと好きな人ができたら、彼らと友達でいるのをやめるかもしれない」

「もっと好きになれる人が、どこかにいると思ってるかい?」

「判らないわ。いないかもしれない。いても、相手が私のことを好きになってくれないかも」

「君がそいつのことを好きなだけじゃ、なぜいけないんだ?」

 このステージはそういう女ばっかりだぜ。もちろん、この仮想世界はそうなりやすいんだけど、今回は特に強引な女が多いんだよ。こんなにデートが詰まったのは初めてだ。最終日に空き時間がほとんどない。

「私の気持ちが伝わらないと悔しいじゃない。当たり前のことよ」

「一方通行だって十分楽しいさ。人じゃなく、スポーツだってね。フットボールをやっていれば、負けることだってある。それは自分の気持ちや努力が報われないことだが、だからといってフットボールを嫌いになることはない」

 それに、メグへの気持ちは通じたぜ。仮想世界だってのにさ。

「私とあんたじゃ、考え方が違うのよ」

「それもまた楽しいことじゃないか。同じ考え方をする奴は、この世に二人もいらないからな」

「そんなこと解ってるわよ」

「君のアタヴァーが騎士なのも、それに関係してるのかね。騎士から主への思いは、対等ではないし、一方通行のこともあるからな。主従の関係が理想なのではなく、一方通行に慣れようとして騎士を選んだか?」

 マヌエラが、膝に顔を埋めて黙り込んだ。泣いているのかもしれない。泣かすつもりはなかった。しかし成り行き上、しようがないだろう。さて、どうやって慰めようか。というか、時間がないなあ。

「通じると信じていた思いを、裏切られたことがあるんだな」

「誰だってあるに決まってるじゃないの」

 そうだろうな。同じことを言った奴がいるんだろう。さすがにちょっと陳腐な意見だった。

「それには金が関係してる?」

うっさいカリ・シ……」

 力ない反発。図星か。

「金があれば、思いを取り戻せるかもよ」

「お金で愛情を買ったって、嬉しくないわよ!」

「世の中は0と100じゃないんだぜ。0だから失ったものも、1さえあれば通じたかもしれない。それを100で買えとは言わないさ」

うっさいカリ・シ!」

 そろそろ時間切れだ。心を開くまでには至らなかったか。

「続きは明日にしよう。1時から事前の打ち合わせだが、その前に何分か時間をくれるかい」

「5分だけよ」

 マヌエラが立ち上がったが、俺に顔を見せようとしない。泣き顔を見られたくない、ってところかな。女にはよくある心理だ。

「5分で契約に至るかね」

「暗示をかけてくれればいいわ」

 さっさと行って、と言うかのように、マヌエラがホテルに向かって手を振る。歩き出すと、後からとぼとぼと付いてきた。あくまでも顔を見られたくないと。

「この前と同じ暗示を?」

「効かないかもしれないけど」

 それじゃ困るんだがね。その時までに、心の準備をしてきてくれることを期待するか。


 ホテルへ戻り、マヌエラをレストランへ送り届けてくれるよう、カリナに頼む。「明日10時に」と言い残してカリナが去る。ハファエラと鉢合わせするかもしれないが、まあいいだろう。

 ロビーに入ると、艶やかな女がソファーから立ったのが見えた。巡査部長なのだが、白いシー・スルーのロング・ドレスで、警察官のイメージは微塵もない。しかもドレスの下は面積の小さい下着だけというのまで判ってしまう。ただ、コパカバーナ・ビーチで見る水着よりも十分に大きい気がする。でも、それがディナーの服なのか?

こんばんはボア・ノイーチ、プロフェソール。ディナーにお誘いいただいて、大変嬉しく思います。昨夜から楽しみで、寝不足になるほどでした」

 いや、本来は議論が目的で、夕食はそのついでなんだぜ。それにしても、よく似合ってるな。ショート・ヘアなのに十分にセクシーだ。もちろんそれは、身体のプロポーションによるものであることは明らか。じろじろ見てはいけないと思いつつも、つい目が行く。

 もっとも、相手は見られることを意識してこのドレスにしたのだろうから、視線に対して寛容だ。むしろその立ち方で、プロポーションのよさを、とくに胸の大きさを、誇示しているように見える。

「こんばんは、巡査部長サージャント。約束の時間どおりに来てくれてありがとう。ところで、ディナーの間は君のことを名前でアンゲラと呼びたいが」

「もちろん構いません。私もあなたのことをアーティーと」

 巡査部長が甘ったるい笑みを見せる。名前を呼ぶだけでずいぶん興奮しているように感じられるんだが、気のせいか。

 フロントレセプションで、アイリスが予約してくれたレストランを訊く。『ペルグラ』? それはこの前、スサナに連れて行ってもらったところだな。様子が判っているのはちょうどいい。ついでに、レジーナからのメッセージも受け取る。これは後で読むことにしよう。

 ホテル前に停まっていたタクシーに乗って……え、何だ?

「大変失礼ですが、あなたの服装が私のドレスと合っていません。ディナー用の服に着替えていただけますか」

 まあ、そうだよな。女がドレスなのに、男がポロシャツにジーンズじゃねえ。

 いったん、部屋へ戻って着替えることにする。けど、どうして巡査部長まで一緒にエレヴェイターに乗ろうとしてるんだ。

「後で、あなたのお部屋を議論の場所として使うと思っていますので……先に見ておこうと」

 それ、必要なのか。何の仕掛けもない、普通の部屋だぜ。そりゃ、マルーシャが盗聴器を仕掛けたりしてるかもしれないけど。しかし、断るほどでもないので、連れて行く。

「広くて素敵なお部屋ですね。出張でこんなところに泊まれるとは羨ましい限りです」

 部屋に入ると巡査部長が感嘆の声を上げる。ホテルの部屋を見て嬉しそうにするなんて、子供のようだな。身体は全然子供じゃないのに。

「プレジデンシャル・スイートだ。俺はもっとランクの低い部屋がいいんだが、財団に対してホテル側が勝手に気を利かせるらしくてね」

「ベッドも大きくて寝心地がよさそうです」

 なぜそんなところを見る。そこに君は寝かさんぞ。勝手に寝た女はいるけどな。

 着替えのために、ベッド・ルームから巡査部長を追い出す。服は……この前の、スマート・カジュアルでいいだろう。

 さっさと着替えて、リヴィング・ルームへ戻る。巡査部長はソファーに座って何か飲んでいる。ワイン? ミニ・バーから勝手に出してきたのか。これからディナーだというのに、そんなものを飲んで。

「失礼しました。あなたのお着替えに時間がもっとかかると思って」

「ワインが好きなのか」

「はい、とても。休日とその前夜にはよく飲んでいます」

「では、ディナーのときにも飲もう」

「ありがとうございます」

 エスコートして部屋を出るが、巡査部長が腕を組んでくる。そして俺の肘を自分の胸に押し付ける! 残念ながら、肘にそれほどの神経が通っていないので、柔らかいのかどうかは感じ取れない。もっともドレスの変形度から、かなりの弾力があるということだけはよく判る。

 あと、そんな恍惚とした表情にならないでくれるかな。まだレストランへ行く段階だぜ?

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