ステージ#16:第2日
#16:第2日 (1) アスレティック・トレイナー
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我が妻メグの優しい声を聞いて眠り、爽やかな声を聞いて起きる。なんと幸せなことだろうか。たとえ仮想世界の中のことであっても、現実のはかない夢よりはずっと嬉しい。
ちなみにリオのタイム・ゾーンはブラジリア標準時で夏時間なし。ブラジル内に三つあるうちの一番東側で、俺の自宅があるはずのマイアミ・東部標準時より2時間進んでいる。
俺は昨夜12時過ぎに寝て今朝7時に起きたが、メグは現地の夜10時に電話して、朝5時にまた電話してきたというわけ。彼女が早起きなのはいつものことだが、俺にモーニング・コールをするためだけに、5時前から起きるとは!
しかしおそらくは昨夜電話した後すぐに寝て、4時半頃から起きていたに違いない。それが彼女にとって楽しいことなのであれば、俺が止める必要はない。
さて、夜明けは6時40分頃なので、もう日が出てしまっている。仕事は10時からとアイリスは言っていたが、ランニングをするなら今頃からの方がよい。もっと日が高くなると暑くなる。トレイニング・ウェアに着替え、顔を洗って部屋を出る。
朝の空いている道路を横断して、ビーチへ。コパカバーナ・ビーチは長さ約4キロメートル、即ち2マイル半。1往復すれば5マイルで、まずまずというところだろう。マリオットがあるのは中央から少し西寄り。先に西へ行くか東へ行くかは、気分次第だ。
入念に準備運動をしてから、走り始める。夜が明けてすぐだが、ビーチには意外に多く人がいる。歩いている女もいれば、走っている女もいて、波打ち際でストレッチをしている女もいれば、泳いでいる女すらいる。
おかしい、どうして女しか目に入らないのか。男も視界に入るには入るんだが、目に映っても何をしようとしているのかが、頭の中で解釈できない。不思議な状況だ。
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若くて綺麗でプロポーションのいい女が、すれ違いながら挨拶してくる。ピンクのTシャツに黒いスパッツの女もいれば、
いや、走ってる男がほとんどいないからだよ。男はみんな散歩してる。あるいは海に向かって何か投げている。そして俺に声をかけてこない。女は、立ち止まっていても散歩していても、みんな「
西へと走ると、曲がったビーチのことゆえ、次第に方向が南へ変わる。左手奥に、砲台のある岬が近付いてくる。昨日のスタート地点となった、ビーチの端へ来たら、折り返す。こんな時間なので、もちろん引ったくりはいない。
北向きからまた方向を変えて、北東、そして東へ。マリオットの前を通り過ぎる。さらに東へと走ると、砂浜が尽きて、前に岩山が迫ってくる。コパカバーナからレメという地区に移っていて、岩山にはポンタ・ド・レメという名が付いている。頂上に登ることができて、そこにもやはり砦と砲台跡がある。だから眺めはきっといいだろう。しかし、ポン・ヂ・アスーカルほどではないはず。
岩山の裾野にカフェがある。さすがにこんな朝が早いと閉まっている。砂浜から低い土手を上がったところに、銅像が座っている。詩人の像のはずだが、名前は憶えていない。しかし、ビーチの西にも銅像があった。あれも詩人のはず。ブラジルでは、詩人には海が似合うということになっているのかもしれない。
土手の手前で折り返す。東側からの、ビーチ全景を見る。弓なりの浜に沿って、ビルディングが建ち並び、その向こうに岩山が三つ四つ突き出している。そして広い青空。独特の眺めだ。
波打ち際にいる女に声をかけたり、ビーチに座って海を眺めている女に声をかけたり、もちろん走っている女を追い越しながら声をかけたりする。いかんなあ、どうして今回はこれほどまでに、綺麗な女が目に付くのだろう。それはこの中の誰かが、キー・パーソンであるからだという気がするのだが、違うのか。そのわりに、声をかけても笑顔と挨拶をくれるだけで、話しかけてこようとする女はいな……
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ひときわ大きな声で、女に挨拶された。後ろから。いや、走ってる俺に追い付いたのか? どれだけのスピードで走ってたんだよ。
「
胸が大きいのにさほど揺れていないのは、イエローのスポーツ・ブラでしっかりと押さえつけているからだろう。谷間がすごい。いかん、胸を見ているのを気付かれたか。
「どこまで走るの?」
よかった、気付かれなかった。
「マリオットの前までだ。あと1マイルと少し」
「一緒に走っていいかしら?」
こういうことを言った女は何人かいるが、だいたいみんな途中でへこたれた。しかし、この女なら一緒に走るかもしれない。
「
「
「いや、
「私、
「アーティー・ナイトだ」
「いい名前ね!」
「ありがとう、君もな」
リモンは英語のレモンだろう。名前だけで唾液が口の中に溢れる。走っているときは喉が渇きがちなのでちょうどいい。
スサナはその後、話しかけてこず、俺とぴったり並んで走っている。失礼ながら女とは思えないスピードだ。そしてビーチにいる女や男に「
結局スサナは、俺と同じペースを保ったまま走り、マリオットの前まで戻ってきた。大した脚だ。いや、別に触りたいというわけではない。
「あなた、速いわね! こんなに速く走ったの、久しぶりだわ。何のアスリート?」
おまけに息はさほど切れていなくて、もちろん汗は掻いているが、笑顔で話しかけてくる余裕がある。
「アスリートじゃないが、
「フットボール? ああ、最近は合衆国でもフットボールの人気が高いものね」
「勘違いさせたかもしれないが、アメリカン・フットボールだ。アソシエイションじゃない」
「ああ、フットボール・アメリカーノ! 解ったわ、だからあなた、上半身も鍛えてるのね。とてもバランスのいい筋肉だわ」
言いながらスサナは、俺の腕や胸や背中を触ってくる。「触ってもいいかしら」と一言くらい断ってくれてもよさそうなものだ。それにまだ息が荒いんだから、傍目から見たら何やら怪しいことをしているのではないかと勘違いされたらどうすんのさ。朝のビーチだというのに。
「俺はボールを投げるので、身体のバランスを考えてまんべんなく鍛えてるんだが、アソシエイションでも一流プレイヤーはちゃんと上半身を鍛えてるんじゃないの」
やはり身体のバランスを考えるのと、コンタクトの時に競り合いに強くなるため、と聞いたことがある。
「そうね。でも、ボールを投げるための筋肉となると、アソシアシオンのプレイヤーとはやはり付き方が違うわ。ボールを投げてくれると、もっとよく判るんだけど」
それはボールを投げろと言ってるのか。投げているところを見たいと言う女は、久しぶりだな。ウクライナで何人もいた気がするが。
「ボールを持ってきてない。ホテルに戻ればあるけどね」
「投げるふりだけでもいいわよ」
だから、見たいんだな? どうしてそんな、見たくてたまらないって顔をするんだよ。何のフェティッシュなんだ。そんな女も確かウクライナに。
「それは君の興味として? それとも……」
「ああ! 詳しい自己紹介を忘れてたわね」
スサナがサングラスを取った。思ったとおりの美形。サングラスの
「アスレティック・トレイナーの資格を持ってるの。合衆国に留学して取ったのよ。NATAは知ってるでしょう?」
「うん、もちろん」
ナショナル・アスレティック・トレイナーズ・アソシエイション。北米のあらゆるスポーツ――プロと大学はおろか高校も含む――でトレイナーかセラピストとして働くには、その資格が必要だ。もちろん、セミプロであるAFLのチームにすら、資格者が何人もいる。
元は合衆国の組織だが、2050年代に世界的組織が、といっても北米とヨーロッパだけだが、できたはず。このステージは2045年だから、彼女は合衆国に来て資格を取ったわけだ。
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