#15:第7日 (7) セイ・ワット?

 フォー・シーズンズへ行く。あまり気が進まない。きっとよくないことが起こるだろうという気がする。

 フロントレセプションで、ジゼル・ヴェイユを尋ねてきたと言うと、名前を訊かれた。答えると、有能そうなフロント係デスク・クラークは「お部屋にいらしてくださいとのことです」と言った。あらかじめジゼルから指示が出ていたようだ。

 部屋番号を教えられ、エレヴェイターで上がる。上層の、高級客室であるらしい。ヴァケイションの時は決まって、そうだよな。部屋が三つくらいあったり、ペントハウスになっていたり。そしてきっと世話係が隣の部屋に控えてるんだろう。とてもハンサムなのが。

 ドアの前に立ち、チャイムを押す。よく見ると、ドアが少し開いている。U字ロックスイング・バー・ドア・ガードを挟み込んで、オート・ロックがかからないようにしているのだろう。何と不用心な。

キエス?」

 ドアの隙間から、ジゼルの気だるい声が聞こえた。こっちへ来ず、部屋の奥から答えているらしい。

「アーティーだ」

「やっと来てくれたんだ! 入って!」

 急に声が大きく、元気になった。ドアを押して入る。U字ロックスイング・バー・ドア・ガードは元に戻しておいた方がいいかな、と思ったら、またジゼルの声がして「ドアはちゃんと閉めておいてね」。閉まったのを確認する。

 廊下は1ヤードもなく、すぐに広く明るいリヴィング・ルームに入った。ソファー、デスク、TV、スタンド・ライトなど、豪華な調度品が置いてあるが、ジゼルの姿はなし。

「こっちだよ」という声が、右手奥の部屋から聞こえる。そっちはたぶん、ベッド・ルーム。嫌な予感しかしない。

 間にドアはなく、戸口から覗くと、キング・サイズのベッドの上にジゼルが座っていた。白いブランケットにくるまって、顔だけを出している。日本の雛人形を思わせる。

「アーティー、愛しい人モナミ! 来てくれて本当に嬉しいよ。朝からずっと君のことだけ考えてたんだ。会いたくて会いたくて、仕方なかった。もし来てくれなかったら、ステージを退出せずに、このまま消えてしまおうと思ってた」

「退出したら他のステージで会えるかもしれないし、もっといい競争者コンテスタントがいるかもしれない。もっと前向きに考えようぜ」

「意地悪なこと言わないで。そんな可能性の低いことは、考えたくないんだよ。それより、こっちに来て。ベッドのそばに。僕のそばに。もっと近くで話したいんだ」

 ジゼルが哀願の声で囁く。表情も今までで一番柔らかくて、女性的だ。でもなあ、何か嫌な予感がするんだよ。そのブランケットの下。もしかして、もしかするんじゃないのか。

 1ヤードずつ近付く。「もっとこっちに」とジゼルが何度もねだる。ベッドまであと3ヤード、2ヤード、1ヤード。

「ベッドに座って。そこの、僕の横に」

 キング・サイズのベッドだが、ジゼルが目で指示する端のところエンゾ・ゾーン座るタッチダウン。彼女との距離はほぼゼロになる。座った瞬間、どうなるかは目に見えている。しかし、断るとそれはそれで大変なことになるだろう。例えば泣き出したりとか。

 女は二つのタイプがある。泣くままにしていい女と、泣かせると後で困る女だ。ジゼルはおそらく後者。

 覚悟を決めて、ジゼルの横に座る。ブランケットが肩から少しずり落ちて、鎖骨の辺りまで見えた。そこが素肌だということは、その下はどうなってるか考えるまでもない。

「マルーシャはもう出て行っちゃったんだ。9時くらいだったかな。朝食は一緒に摂ったんだけどね」

「そうか」

「昨夜はずっと一緒に起きてたんだよ。僕は朝食の後で少し寝たけど、彼女は寝てないんじゃないかな」

「そうか」

「君はターゲットを獲りに行った? マルーシャはたぶん行ったと思うんだ。何も言わなかったけどね」

「行ったが、逃した」

「彼女と会った?」

「一足違いで会えなかった」

「君ともう一度会いたいって言ってたよ。でも僕は、会っちゃダメって言ったんだ。君の残りの時間を、僕に欲しいからって。ほら、こうして!」

 ジゼルが身体に巻いていたブランケットの前を開いて――ああ、やはり中は思ったとおりだった――俺に抱き付いてきた。ブランケットの中に、一緒にくるまれた形になった。ジゼルは少女のように微笑みながら、俺をベッドの上に引き倒そうとする。とりあえず、されるままになっておく。天井が見えて、身体の上に重みを感じる。

 胸にのしかかり、首に手を回しながら、ジゼルが耳元で囁いた。

「アーティー、愛しい人モナミ! 僕のことを抱いてよ。君を満足させる自信があるんだ。マルーシャには劣るかもしれないけど」

 ついに痴女化したか。最初に会ったときは美青年に見えて、怪しい雰囲気が欠片もなかったのになあ。まるで別人みたいだ。

「彼女の抱き心地なんて、俺は知らんよ」

「そうなの? じゃあ、君のメグよりも満足させてあげる」

 いや、それは絶対無理だ。他人には言えないけど、夜のメグは本当にすごいんだぞ。現実世界と仮想世界を合わせても、メグよりも俺を満足させられる女はいないと断言できるね。次にメグを抱けるのは何ステージ後か。

「あまり時間がないんだ。ゲートが遠いところでね」

「大丈夫だよ、2時間くらいだから。その後、時間は十分あるよ?」

 2時間もかかるのかよ。でも、メグもいつもそれくらい、いや、それは置いといてだな。

「今日は世界遺産の残り二つに行くって言ってたよな」

「君と幸せな時間が過ごせるなら、そんなの行けなくてもいいよ。どっちが貴重なのか、考えるまでもない」

「ゲートが、ショプロンなんだ」

 ずっと俺に頬をすり付けていたジゼルが、顔を上げた。やはり、少女のような表情。第一印象との落差が激しすぎる。

「じゃあ、ウィーンへの途中だね。連れて行ってあげる!」

「それを頼みに来たんだ」

「君と残り半日をずっと一緒に過ごせるなんて、何て幸せなんだろう!」

「俺をショプロンで降ろして、君はウィーンへ行かなきゃならないだろ」

「最後の1時間は仕方ないよ。でも、パンノンハルマやフェルテー湖に寄るくらいなら、もう一度ヘーヴィーズ湖へ行きたいなあ。君と一緒に温泉を楽しみたいんだ。とても深くて、足が着かないんだよ。泳げなくても、浮き輪があるから大丈夫。それに広くて、二人きりになれるところもあるんだ」

 そうしてまた俺の身体を触るんだろ。だったら、ここで触るのをやめてくれないかな。さっきから手が、下半身の方にも降りてきてるんだよ。あからさまには触ってこないけど。ああ、触ってきた。始めるつもりか。

「だったら、すぐに出発しないと」

「そうだね。じゃあ、1時間で終わらせるよ」

 君が自信があればあるほど、早く終わるんだ。場合によっては、5分で終わることもあるんだぞ。そこのところが本当に解ってるのか?


 事が終わった後に昼食を摂り、ホテルを出発したのは2時。車はジゼルがレンタルしていたもの。ステアリングを握るジゼルの、嬉しそうなこと。おまけに服装の緩いこと。袖なしスリーヴレスのブラウスを着たジゼルなんて、想像もできなかったよ。

「ヴァケイションって、本当に楽しいんだね。仮想世界に来て、こんなに幸せを感じたのは初めてだよ」

 満足するポイントが間違ってると思うなあ。他の競争者コンテスタントと交流するのは禁じられてないけど、目的でもないはずだよな。それにしても、どうして俺はヴァケイション中の競争者コンテスタントにもてあそばれることが多いんだろう。シナリオに組み込まれやすい性格なんだろうか。

「ステージを出るまでがヴァケイションだよ。遅れないようにしてくれ」

「大丈夫、時間は十分。高速道路があるから、ヘーヴィーズ湖まで2時間くらいだよ」

 いや、スピードを出すのも怖いな。お願いだから「足に力が入らなくて、ブレーキが踏めなかった」なんてことにならないで欲しい。

 さて2時間、何を話そうか。放っておくと、ジゼルはベッドの上のことや温泉の中のことばかり話そうとするに違いない。俺を困らせる、というよりは、自分一人で楽しんでいる感じだが。

「昨夜はずっと起きていたと言ったが、何をしていたんだ」

「もちろん、美術館へ行ってたんだよ」

 何だとセイ・ワット

「泥棒が絵を盗むのを見に行ってたのか」

「うーん、近いけど、そうじゃないね。だって結局、“鍛冶屋たちコヴァーチョク”は来なかったんだから」

「“コヴァーチョク”って何だ」

「英語だと"Smithsスミツ"かな。鍛冶屋スミスの複数形。コヴァルスキの4枚の絵を盗んだ窃盗団を指す、警察内のコード名だよ。コヴァルスキもポーランド語で鍛冶屋スミスの意味なんだって」

 どうしてそんなことを知ってるんだ。刑事と接触してたのか。俺ももっとポーラと接触すべきだったか? しかし、会う機会がほとんどなかったぞ。

「泥棒が来なかったのはそのとおりだ。俺は館長室から、無人飛行機だけを見た」

「うん、僕も見たよ」

「どこから」

「館長室から」

 何だとセイ・ワット

「飛んできたのは2時だぞ」

「そうだよ」

「その時、館長室にいたのは、俺と館長と主任刑事だけだ」

「違うよ」

 何だとセイ・ワット? 運転席のジゼルを凝視する。横顔だが、デートを心の底から楽しむ女のような、うきうきした表情だった。

まさかキャント・ビー

できるよイット・キャン・ビー

 いや、その用法は間違ってる。"It can be"は“かもしれないパッシブリー”の意味で使うんだ。

「館長や、他の二人の刑事が気付かないはずがない」

 主任刑事が、ジゼルの変装だったなんて、そんなことが。いや、身体検査をされたときのあの手つきは、確かにジゼルそのものだったんだが。

「僕は、マルーシャと一緒にいたと言ったよ」

「じゃあ、館長も!?」

 思わず大きな声を出してしまった。マルーシャが、あんなぶっとい中年女に変装を!

 確かに、身長は同じくらいだったはず。しかし、太った女に特有の顎肉の垂れ下がり方とか、まるまると張り詰めた手や腕なんかは、ハリウッドの特殊メイクでもないと再現できそうにないのに。

 ジゼルは前を見ながら、笑いをかみ殺している。笑え笑え。君らの変装に簡単に騙された俺を。

「館長に扮するのは、警備員に気付かれちゃいけないから大変だったはずだけど、近くで見ても本当に中年女性にしか見えなかったなあ。感心するしかなかったよ。それに比べて、刑事の方は簡単だったね。美術館の警備員はよく憶えてないから、楽に騙せたんだと思うよ」

「ということは、二人の刑事も……」

 配役が、ちょうど二人いる。ラインハルト氏と、ミノーラ嬢。背格好は確かに同じくらいだったように思う。それに、俺は暗がりか遠目にしか見なかった。話もしなかった。彼らと話をしたのは、おそらく主任刑事に扮したジゼルだけ。だからバレなかった。

「何でも訊いて。今朝のことは、君よりもよく知ってるはずだから」

 そうだろうな。俺一人だけ、仲間はずれにされてた気がするよ。

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