#15:第2日 (2) ランニングとスイミング
【By 主人公】
朝6時。
「
睡眠5時間は十分とは言えないのだが、爽やかな
「おはよう、マイ・ディアー・メグ。これからいつもどおり走ってくるよ。そっちは夜中の0時か。次は君が寝る番だな」
「あら、私もそちらの時間に合わせて寝起きすることにしましたから、今起きたところなんです」
一体何をやってるんだ、
自転車に乗り、昨夜同様にマルギット橋の南端へ行く。夜が明けて半時間ほどだが、走ってる人はいる。反時計回りは正解だったようだ。準備運動をして走り出す。レーンは狭いので、追い越すときははみ出さなければならない。
朝のドナウ川は、夜と違ってちゃんと流れているのが判る。昨夜は止まっているかのように見えた。そして対岸にはたくさん船が係留されている。あんなにたくさん船着き場があるのかと思う。そして島側にも時々船着き場がある。といっても木製の簡素な造りで、合衆国なら公園の池にでもありそうな代物だ。
15分ほど走るとアールパード橋に着く。ほとんど真っ直ぐだったレーン――わずかに左に曲がっていた――をここで直角に折れて、橋から降りてきた道路を横断する。道路上のレーンは赤く塗られておらず、両側に白線が引かれているのみだが、それもおおかた消えてしまっている。
島の西側に出て、中年男が釣りをしているのを横目に見ながら、南へ走る。左手に島内のみで使える共有自転車の置き場がある。車輪の径が小さくて、速く漕げないだろう。
テニス・コートは無人、ウォーター・パークも無人。しかし、スイミング・プールは使用中らしく、微かに水音が聞こえてくる。屋内プールの方も使用中だろう。もちろん、覗く気はない。
陸上競技場にも人がいた。トラックを走っている。こちらのコースを走ればいいのにと思うが、何マイルも走るつもりはない、ということかもしれない。
スタート地点に戻った。約30分。もう一周する。今度はさっきよりも人が増えていて、その分たくさん追い越した。
自転車のところへ戻ってきたが、さすがにジゼルはいなかった。整理運動をして、自転車に乗って、ホテルに戻った。
ロビーにはアネータが待っていた。おはようございますと挨拶をして、「お食事の後、お部屋に伺います。8時でよろしいでしょうか」と言う。
「うん、頼む」
「それから、自転車はこの後回収して、夕方までに別のものを用意しておきます」
「傷は付けてないから安心してくれ。ところで、あれって誰のだったんだ?」
「お答えできません」
アネータのその答えでは背筋が
部屋に戻り、シャワーを浴びて着替え、朝食へ。以前の俺ならシリアルかパンと、オレンジ・ジュースくらいにするのだが、結婚してから野菜やフルーツも食べるようになっている、らしい。どうしてこんな記憶が追加されているのだろう。他にもっと大事なことがありそうに思うが。
とにかく、その記憶に一人で苦笑しながら、バランスよく食べる。ただし、以前と同じくそんなに時間はかけない。食べたらさっさと部屋に戻る。
8時になったらアネータがやって来て、今日の予定の再確認。昨夜聞いたのから変わらない。
「今日は講演はしないんだよな」
「ありません。先方の
しかし、なぜ交通局と警察から招待を受けたのかよく判らない。俺の仕事は数理心理学に基づく行動解析だが、交通流の制御が目的ではないし、犯罪者の行動とも関係ない。まあ、直接関係なくても、興味があるかもしれないと思って呼ばれたのだろう。そしてそれもきっとシナリオのうちだ。
「懇親会はキャンセルしてくれた?」
「まだ先方の担当と連絡が取れていませんが、9時にはちゃんと連絡しますので、ご心配なく」
「場所はどこだったんだろうな」
「判りません。キャンセルするのに、どこだったかを尋ねるのも、ちょっと……」
「尋ねなくていいから、今夜の夕食の予約をしておいてくれないか」
「メニューのご希望は?」
「任せる。が、フォーマルではなくカジュアルで。7時から二人で」
「どなたかお誘いになるのなら、連絡も承りますが」
「フォー・シーズンズに泊まってるジゼル・ヴェイユ。経営コンサルタントなんだが、ちょっと相談があってね」
「はあ」
アネータがむずがゆそうな顔をした。言い訳くさいのを嗅ぎ取ったのだろう。メグには言わないでくれると助かる。
【By オペラ
朝6時。
自然に目が覚める。3時間も寝たから十分だろう。シャワーを浴びて、服を着て、ホテルを出る。川沿いに出ると、ちょうど
マルギット橋の、南側の歩道を歩く。北側の歩道を、彼が自転車で走り去るのが見えた。きっと、島へ走りに行くのだろう。
橋の真ん中の横断歩道を渡って、坂を下りる。彼が置いていった自転車を見つけた。街中の、レンタル用の物ではない。なぜ特別な自転車を借りたのだろう。盗聴器は付けないことにする。
市の統一百周年記念碑の建つ広場を抜けて、スイミング・クラブへ。受付の女性は昨日と違っていたが、私が名乗ると会員証をくれた。1週間だけの会員証。
「
「水着やタオルはお持ちですか? それからキャップも」
「ええ、持っているわ」
「
更衣室で着替える。プールは屋内にしようか、それとも屋外か。気持ちのいい屋外にしよう。体感気温は20度を超えたくらい。肌寒いが、水の中に入ってしまえば関係ない。競技用のプールだから、観客席がある。もちろん、今は誰もいない。
準備運動をして、水に入る。飛び込まない方がいい。ゴーグルをして、泳ぎ出す。クロールで、25メートル。ターンする。25メートル。ターンする。25メートル。ターンする……
400メートル泳いでから、水の中で少し休憩する。外に出れば寒くなる。調子はよくも悪くもない。仮想世界の中でも、現実と変わらず泳げることを不思議に思う。
彼は今頃、どこを走っているだろうか。ランニングのコースはプールのすぐ脇を通っているが、観客席やその他の構造物に遮られて、プールの中から見ることはできない。もちろん、彼からも私は見えない。彼の走る姿は美しい。彼が私の泳ぐ姿を見たら、どう思うだろうか。アルテムは、私の泳ぐ姿を見ても、何も言ってくれなかった。評価に値しなかったのだろうか。もう一度、彼に泳ぐ姿を見せたかった。見せたい。
休憩を終えて、また泳ぐ。今度は1500メートル。のびのびと泳ぐことを心がける。他のステージでは、これほど長く泳ぐことはできなかった。とても気持ちいい。少し、水の抵抗が重いだろうか。この世界では抵抗が正しく計算されているのだろうか。あるいは私の体型が変わったのかもしれない。体型を気にせず食べていたからか。しかし、それほど気にすることはないだろう。この世界が終わったときの体型が、現実に反映されるわけではないのだから。
タイムを誰も測ってくれていないが、泳ぎ終えて、自分の体内時計では16分40秒ほどだった。もう少し速く泳いでもよかったか。次はそうすることにしよう。
いつの間にか、観客席に人がいる。男性だ。水着ではないから、泳ぐ気はないらしい。どうやって施設に入ったのだろうか。こちらの方に歩いてこようとしている。話しかけられたくないので、また泳ぎ出す。
また1500メートル泳いだが、先ほどの男性がプール・サイドで待っていたら困るので、もう一度ターンし、ゆっくり25メートル泳ぐ。泳ぎ切って顔を上げると、予想どおり、男性は私がスタートした地点の近くに立っていた。私に話しかけることを諦めて欲しい。しかし男性は、私が休憩しているのを見て、こちらへ歩いてきた。近付いてきたのを見計らって、また泳ぎ出す。
今度は1475メートルだけ泳ぎ、すぐにプール・サイドに上がって、タオルを身体に巻いて、足早に更衣室へ向かった。男性は追い付いてこなかった。ほっとした。
髪を乾かし、着替えを終えて、外に出る。彼はもう走り終わっただろう。男性も待ち伏せてはいなかった。ゆっくりと公園を歩き、マルギット橋へ上がる。車も歩く人も増えていた。橋を渡り、また路面電車に乗って、ホテルに戻った。
朝食を採る。コンチネンタルとアメリカンが選べるが、基本的にビュッフェ形式なので料理は好きなだけ取ることができる。しかし、他の人が困らないよう、控えめにしておく。パンは1種類ずつ計六つ、それとハム、ソーセージ、サラミ、ベーコン、チーズ各種、スモークト・サーモン、エッグ・ベネディクト、野菜各種、フルーツ各種。シリアルは明日にしよう。
マドモワゼル・ジジ・ヴェイユの姿が見えた。目で挨拶して、声を出さずに口だけを動かす。離れた席に座った。そのうち、話すこともあるだろう。どうやら彼女は昨日、彼と少し話したらしい。彼に興味を持つ気持ちは解る。しかし、なるべく介入しないで欲しい。私が彼女を排除するような状況には、ならないでもらいたい。
コーヒーを飲んで朝食を終える。今日はブダ地区を回る予定。南の方から行こう。ゲッレールト温泉、ゲッレールトの丘、ブダ城と
忘れていた。警察に寄っていこう。ブダ城に一番近い警察。第1区警察署だったろうか。名目は何にしよう。友人がいた、というのはいくら何でも不自然だろう。以前来た時に、暴漢に襲われそうになったのを救ってもらったので、お礼を……この方が自然だろう。
一番有力なヒントが得られるのはどこだろう? やはり
昼食はどこにしよう。ブダ地区で名の通った店は記憶にない。無難に、ヒルトンのレストランにしておこうか。あるいは、その辺りで人に話しかけたら、キー・パーソンのいるレストランを紹介してもらえるかもしれない。
昼にもマンガリッツァ豚を食べられるだろうか。さっき、ベーコンをもう少し食べておいた方がよかったかもしれない……
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