#15:第2日 (3) 朝食と会社訪問
【By 盗賊】
窓際の席に、外国人の男が座っている。明らかに外国人。ゲルマン系。精悍な顔つきだった。スポーツ・プレイヤーのように意志が強そうで、それでいて学究のような知的さを窺わせている。その男が、ディアナを手で呼んだ。メニューを見た様子もないのに。
「ご注文?」
男は親しげな笑顔だったが、ディアナは無愛想に訊いた。ハンサムであることは間違いないが、完璧すぎて気に入らない。しかし、ダフネやドリナは気に入るかもしれない。もっとも、気に入ったからといって手を出すわけにはいかない。大事な目的を果たすまでは。
「朝のお薦めは?」
なんだ、注文は決めてないのね。
「コーヒーとシュトルーデル」
「シュトルーデルの種類は?」
「アップルとチェリー」
「
「ないわ」
「トプフェン・チーズも?」
「ないわ。どっちもオーストリア風ね。ここにはないのよ。他の店ならあるかもしれないけど」
前に勤めていたレストランにはあった。カフェへ行けばもう少し種類があるだろう。ここは夏季限定なのでメニューの種類が少ないのだ。
「じゃあ、
「コーヒーは?」
「豆の種類が選べるのか」
「いるかどうかを訊いてるのよ」
「もちろん、いるよ」
「しばらくお待ちを」
ゲルマン系だからか、注文するだけでも細かい。そもそも、旅行者らしく見えるのに、朝からなぜ外のカフェに来ているのだろう。泊まっているホテルのレストランへ行けばいいのに。目の前のヒルトンだって中にカフェがあるはず。
注文の品ができあがって、テーブルへ持って行くと、男がじっとディアナの顔を見た。見つめ方が完璧すぎて気に入らない。
「君、マジャール人じゃないのか。ポーランド人?」
「だったら何? たぶん、先祖はそうだけど、他にもそんな人たくさんいるわよ」
もちろん、自身がポーランド人であることは、ディアナにはわかっている。だが、そのことは隠して、“今はハンガリー人”ということになっている。しかし、何だってこの男は人種のことを訊いてきたのだろう。
「それは失礼した。しかし、ポーランド系の顔は特徴的だし、整っているね」
「あら、そう。でもあたしはゲルマン系の顔って、あんまり好かないんだけど」
ゲルマン系というか、ポーランド人は基本的にドイツ人のことを嫌っている。顔の造作の問題ではない。過去に国土をドイツに占領されたことに由来する。ロシアともたびたび対立したため、ロシア人も嫌いだが、ドイツ人嫌いはその数倍に及ぶ。
しかし、暗に嫌いなタイプだと言ってやったにもかかわらず、男は爽やかに笑っている。そしてディアナにチップを差し出してきた。もちろん、受け取る。嫌いだが、何かと信用が置けるのもドイツ人だから。
しばらくすると、エメシェが来た。朝に来るのは珍しい。
「
「コーヒーとチェリーのシュトルーデルをお願いするわ」
朝でも昼でも注文するのはだいたいいつも同じ。シュトルーデルはアップルとチェリーをほぼ交互。そして、窓際の男の方にふと目をやった。いつもはディアナの顔ばかり見ていて、よそ見をすることはあまりないのに。
「あら、あの人……」
「知り合いかしら」
「いいえ、知り合いじゃないけど……」
エメシェは慌ててディアナの顔を見て、否定した。誤解されるとでも思ったのだろうか。
「……たぶん、この木曜日に
「木曜日なのに、もう来てるの。気が早いわね」
「おそらく、仕事で来ていて、他のところへも行くんだわ。今週は、なぜかそういう人が多いのよ。“財団”からも研究員が一人来ているし。でも、不思議ね。技術者や研究者が美術に興味を持つなんて」
「時間が余ったから観光するだけなんじゃないかしら」
言っておいて、ディアナはいったん下がった。エメシェの言うことには納得できない。技術者や研究者だって、美術に興味を持つ人がいてもおかしくないし、いるに違いない。そして
エメシェのところに注文を届けた後で、ゲルマン系に呼び止められた。さっきからずっと行動を観察されているようにディアナは感じた。
「追加のご注文かしら?」
「そう。
「コーヒーは?」
「いや、シュトルーデルだけだ」
男のくせに、朝から甘いものをよく食べるわね、とディアナは思った。それとも、ドイツ人はシュトルーデルが好きなのだろうか。オーストリア人が好きなのは知ってるけど。
シュトルーデルを持って行くと、ゲルマン系は「君の名前を訊いていいか?」と言った。
「ノヴァク・ヤナ」
もちろん、偽名だ。ノヴァクはポーランドで最も一般的なファースト・ネーム。ヤナもよくある名前だ。
「憶えておくよ」
「忘れてくれた方がいいと思うけど」
どうせ、すぐに他の女に目移りして、こっちのことなんて忘れるに決まってるんだから。それに、憶えられていたら“大切な仕事”がやりにくくて敵わない。少なくとも、今週の間は。
【By 主人公】
9時半にロビーに降りると、迎えが来ていた。男だった。そういつも、女が担当になるわけではないだろう。ようこそ、初めましてと挨拶を交わし、外へ出たが、車がない。はてさて。
「じつは、交通統括会社のオフィスはすぐそこでして。歩いて行きます」
なんと、ここから徒歩5分らしい。ホテル東側の広場を横切り、地下鉄駅へは行かず、カーロイ通りを横断する。道路の真ん中に
道路を渡りきった先がキラーイ通りで、車は反対方向の一方通行。狭い歩道を歩き、ルンバッハ・セバスチャン通りとの交点に建つルンバッハ・センターがオフィスだった。本当に5分で着いた。そのうち、カーロイ通りの信号待ちが半分を占めていた気がする。こんなに早く着くのに、視察が10時からってどういうことだ。
「まずは副社長の挨拶から……」
ああ、まあ、そうなるんだろうね。8階までエレヴェイターで上がり、応接室に入ると男が3人ばかり待ち構えていた。左端の、背が高くて禿げている男が一番偉い奴だろう。当たっていた。他の二人はがっしりした方が技術顧問で太っている方が営業顧問。
ようこそ、初めましてと再び型どおりの挨拶をし、名刺を交換する。今回は俺も名刺を持っている。"Artie NIGHT, Ph.D."と、
しかし、それ相応の記憶を追加されてるので、聞けば何でも答えられることだろう。名刺には財団のマイアミ研究所の住所や電話番号が書かれている。俺が電話を架けたいくらいだ。
ソファーに座って、コーヒーをサーヴしてもらいながら、
色々と説明は聞くのだが、数理心理学との関係性は見えてこない。まあ、副社長のは概説だから、気楽に聞く。
それにしても、俺の方が奴らの半分くらいの年齢なのに、よくここまで下手に出てくれるものだ。それだけ財団の権威が高いということなのだろうが、その権威と肩書きに向かって敬意を払われるのは好かないなあ。
概説の後は、俺の方の簡単な自己紹介。例によって数理心理学の概要を話す。技術顧問が、環状都市の交通ネットワークに関する俺の論文に興味を持った、と言った。今回はそのタイトルを聞いただけで、
「なるほど、ブダペストも道路網としては円環と放射が組み合わさっているから」
「そう、もっとも、町の中心部がペスト側に偏っています。そのため、
「話が始まったばかりなのに、さっそく結論まで飛んだなあ」
「これは失礼。では、そろそろ時間ですので、技術側のプレゼンテイションから始めましょう」
技術顧問が笑いながら立ち上がり、連れられて応接室を出る。別のフロアの、管制室に案内された。三方の壁に巨大なパネル・ディスプレイが設置され、そこに路線図、そしてバスや電車の現在地が表示されている。それぞれの移動体の位置はGPSや路側センサー、あるいは軌道回路からの情報に基づいているそうだ。
こういうのはよくあるシステムで、TVなどでもたまに紹介されているのだが、俺としてはもちろん初めて実物を見る。しかし、微かな記憶として「どこかで同じようなのを見たことがある」となっている。まるで二人の人物の記憶を持っているかのようで、すこぶる不快だ。もし俺がもっと潔癖な性格だったら、二重人格を悩んでノイローゼに陥ってただろう。
説明員として若い男が出てきた。今日はあまり女に縁がない日のようだ。
「計算機の設計は科学アカデミーの計算機科学部門、システムの製造はヴィデオトン社が担当しました。車両の位置情報検出システムはガンツ社です。
男は得々として解説し、オペレイターに画面を切り替えさせたりする。
「運行支障が発生したときの運転整理システムは実装してる?」
「補助的なもの……提案機能のみです。整理用にあらかじめパターン化された運行ダイアグラムから、時刻と状況によって適切なものを選び出し、あとは手作業で補正ダイアグラムを作成するようになっていまして……」
「プログラムの設計も科学アカデミーがしたのかな」
「はあ、本当ならそれを担当した研究室の者を朝から呼ぶはずだったのですが、急に都合が悪くなってしまいまして、申し訳ないことです」
何となくだが、その研究者がキー・パーソンではなかったかという気がする。西風と計算機がどう関係するのか全く判らないが、神話と電子技術というのは対極にあるだけに、却って意外なつながりが見出せる可能性がある。しかし、都合が変わったというのはおそらく他の
ちなみに、目の前のシステムに何か名前はついていないか訊いてみたが、「運行管理システムです」という答えだった。ゼフュロスです、という答えを期待したのだが、外れた。システムに対して固有名を付けたがるのは、一部の国だけなのかもしれない。もっとも、このシステムを盗めと言われたらお手上げなのだが。
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