#15:第1日 (11) 気になる男

【By 刑事(女)】

 今さらなぜこんなことをしないといけないのだろう、とジョルナイ・ポーラは思っていた。役立たずの二人の警備員、ラコシとガボールへの聞き取りなんて。

 そもそもそれは事件の翌朝にピスティがやったはずだった。発生した手順――騙された手口――を訊いた後で、似顔絵まで描かせた。その絵を見るに付け、“男の警官”の方はどうしても男性に見えないのだ。彼らがそれを“男性”と判断したのは、背の高さと、男性警官の制服を着ていたから、というだけに思える。それで、もう一度確認することになったのだが。

「間違いなく、男でさぁ」

 ラコシは言い切った。既に美術館ムーゼウムをクビになっていたので、自宅謹慎中のガボールの家に呼び寄せて訊いた。さすがに今日は酔っていない。だが、それでもあまり信用できない雰囲気だ。ガボールは自信がないと言った。

「今考え直すと、もっときつい顔つきだったように思うね」

 似顔絵を見せるとラコシは、目つきがどうの、口元がどうのと文句を付け始めた。事件から日が経ったら記憶は変質するので、ポーラはラコシの言うことを信じる気はなかった。

 ガボールはよく憶えてないと言った。嫌なこととして、忘れたがっているように思える。女性警官の方はどうか、とポーラは訊いた。

「顔つきや身長はいいわ。今さら訊いたって無駄なのは解ってるから。それより、身体つきよ。身長以外の特徴は?」

 ピスティはそこを訊いていなかったのだ。なぜだろう、とポーラは疑問に思っていた。男性警官の方は、痩せ型ということが判っている。女性警官は小柄だった、という以外に訊くことはないと思ったのだろうか? 小柄でも太っていたらラコシかガボールがそう言うと考えたのだろうか? 女性の顔以外は、彼には重要ではないのだろうか?

「身体つきねぇ。それが、女の方はあまりよく見なかったんで」

「特徴がないということ?」

「いや、そんなことはなかったな。確か、胸が大きくて……おい、ガボール、お前もそう思わなかったか」

「え? ああ、確かに、胸が大きくて、何というか……」

 要するに、思わず目が行くほどグラマラスエルビュヴォリュだったってことじゃないの。そんなはっきりした特徴があるのなら、あの時言っておいて欲しかった。

 それとも、最近は女性を身体つきで評価すると批判されるから、敢えて言わなかったのだろうか。犯罪者を相手に身体つきをどうこう言ったって、批判されるわけがないじゃないの。

「大きいというのはどれくらい?」

「説明が難しいな」

 ポーラの前だから、ということはないだろう。女性だって、胸の大きさを言葉で表現するのは難しい。手を動かして盛り上がり方を表現するわけにはいかないし。

「でも、はっきり判るほど大きかったんでしょう? 胸にリンゴアルマでも入れてるのかって思ったわけね?」

「ああ、まあ、そう言ってもいいかな。どうだ、ガボール」

「ええと、よく見てなかったんで……」

 嘘つき、とポーラは思った。そっちに目が行ったから、顔をよく憶えてないんじゃないの? それに“男の警官”の方は、顔は女性的に見えたけど胸がないから男性と思った、とかなんじゃないの?

「リンゴ、それとももっと大きいオレンジ?」

「オレンジってほどじゃないな、リンゴだ」

「太ってたわけじゃないのね? ウェストは締まってた?」

「ああ、そう思うよ」

 ガボールも頷いた。私と同じくらいかしらとポーラが訊くと、それにも頷いた。ちゃんと見てるんじゃないの、と思ってポーラは気分が悪くなった。

「お尻は? 大きめと思ったか、小さめと思ったか」

「どうだったかなあ」

「全体的なバランスで思い出して」

「身長の割には大きかったかなあ」

 ガボールも同意した。「もう一度訊くけど、太ってたんじゃないわね?」とポーラが言うと、二人とも頷いた。見てない、憶えてないと言うわりに、そこだけははっきりしているのが気に入らない。

「そういうことは、この前の聞き取りでちゃんと言って欲しかったわ。それと、これからはちゃんと身体つきも憶えることね」

「あんまり見ると嫌がられるんでね」

「それじゃ警備にならないでしょ!」

 きっと警官時代からこうだったのだ、とポーラは思った。ガボールはラコシに余計なことを教えられて、警備の基本を忘れているのだろう。他に何か思い出したら、すぐ警察に連絡すること、と言い残して、ポーラはガボールの家を出た。全く期待はしてないけれど。


 さて、これから第1区警察署へ戻らねばならない。もちろん報告のためだ。その前にいったん第13区にある警察本部へ寄ることにする。ポーラやパタキ主任、ピスティの所属は本来こちらだ。ただ、“鍛冶屋たちコヴァーチョク”にいいようにやられているので、肩身が狭い。当面は国立美術館ネメゼティ・ガレリアの近くの第1区警察署に詰めている方が気楽だ。

 同僚もあまり声をかけてくれない中、自分のオフィスへ行き、回送してもらえない書類などを整理してから、本部を出た。そこで、見知らぬ男性から声をかけられた。

失礼エルニーゼシュト地下鉄メトロの駅はこっちだったかな?」

 ゲルマン系の白人男性で、見かけでは30歳くらい。背が高くて身なりもよく、とにかくハンサムだった。下がり気味だが優しそうな目、その上の細く真っ直ぐな眉、全体的に精悍で、活力に溢れていて、映画俳優のようだとポーラは思った。

「ええ、そこの交差点に駅が。どちらに行かれるんです?」

「ホテルに戻るんだ。ニューヨーク・パレス」

「それなら、デアーク・フェレンツ広場テール駅で2号線に乗り換えて、ブラハ・ルイザ広場テール駅で降りればすぐよ」

「ありがとう。さっきまでシティー・アーカイヴスフューヴァロシュ・レヴェルターラで調べ物をしていたんだ。そっちの建物は警察本部だね。君はそこに用があったの?」

 男性は何気ない感じで訊いてきた。正直に警察官だと言ったものかどうか、ポーラは迷った。必要なとき以外、身分を明かさない方がいいが……

「ええ、ちょっとした用が」

「君はどちらまで?」

 地下鉄駅の階段を降りながら、男性が訊いてきた。

「私もデアーク・フェレンツ広場テール駅で乗り換えるけど、2号線で反対方向のブダペストデリ駅まで」

 第1区警察署はそこから南東に500メートルほどで、ブダ城の丘の西側の麓にある。その中の会議室の一つが、ポーラたちの仮オフィスだ。夜に自宅へ戻ることはあまりなく、ほとんどそこに泊まっている。

「では、途中まで一緒に行って構わないかな?」

「ええ、もちろん」

 男性はクリストフ・ラインハルトと名乗った。ドイツからの出張で、ソフトウェア企業のマクロロジック社に勤めるプログラミング技術者。話し方はとにかく気さくで、笑顔が爽やかで、好印象しかない。

 ただポーラは、その名前に聞き覚えがあった。確か明後日、警察本部に表敬訪問する人物。通達をついさっき見たばかりだ。そしてポーラも犯罪捜査の紹介を行う担当として名を連ねていた。

 ポーラも名乗ったが、仕事は言わなかった。明後日になればバレてしまうことだし、その前にわざわざ言うようなことでもない。

アーカイヴスレヴェルターラで何の調べ物を?」

「もちろん、ブダペストの歴史を調べに。事前に少しは調べたが、詳しいことや古いことは現地でないと判らないからね」

「技術者なのに、どうして歴史に興味が?」

「技術と歴史は直接に関係しないが、歴史を知ることは新たな技術を生み出すことにつながる。簡単な例を挙げようか。技術の発生は必要からだが、技術の進化は欠点の克服と別の用途の追加、この二つによるものなんだ」

「本当にそれだけなのかしら。よく解らないわ」

「簡単な例を挙げようか。例えば道具の進化。道具は木から石、青銅、鉄と進化したが、それはなぜか?」

「それは……石は木よりも硬くて、青銅は石よりも硬くて……」

「そう、硬さは力だ。硬い方が、軟らかい方に勝つ。つまり材料の変化は、欠点の克服だったというわけだ。そうすると、今後はもっと硬い素材が必要とされるだろうと想像できる。それが技術の方向性の一つ」

「別の用途の追加は?」

「刃物を例にしよう。大きく長い剣を作る技術と、小さく鋭いメスを作る技術では、明確な違いがあるだろう?」

「そうね、剣では切る以外に突くための形が必要になるわ。あるいは、折れないための強靱さとか。メスならとにかく鋭利にすることと、後は刃を薄くしても欠けないような……延性というのかしら?」

「そのとおり。一つの素材がその全てを兼ね備えるのは不可能だから、道具の機能に応じて素材を別々に進化させることになるね。そして、どのように進化してきたかの歴史を調べれば……」

「今後のことも予測できるのね。それはプログラミングでも同じこと?」

「同じだよ。プロムラムで実現する機能の進化もあれば、プログラミング言語そのものの進化もある。何を実現したいかによって使う言語は変わるし、アプリケイションの形態も変わるし、開発手法も異なる。開発史を調べれば、今後も傾向も見えてくる。もちろん、この町の歴史とは関係しないが、とにかく歴史を知るというのは興味深いことだよ」

「面白いわ」

 そうすると、犯罪の歴史を知れば、“鍛冶屋たちコヴァーチョク”が『西風ゼピュロス』を盗むのに使おうとしている手口が判ったりするのだろうか。特に、美術品盗難事件の歴史とか。

 そんなに大袈裟でなくても、例えばこれまでの手口を考えると? 最初は強盗という、最も原始的な犯罪形態。次が詐欺。確かに、少し進化した。力尽くではなく、相手を信用させてから奪うという手口。3番目も詐欺だが、個人の信用力ではなく、警察の信用力を使った。ただし、それを行使した相手は冴えない警備員だったから通用したのだろう……

 そうすると、最後には「美術館ムーゼウム全体に信用させる手口」だろうか。館長を始め、学芸員から警備員、警察までも信用させて絵を奪い取る? それは国や大企業の信用力を使うのだろうか。あるいは、もっと進化した別の犯罪形態?

 今のところ最も進化した形態は“サイバー犯罪”だが、絵という“実体”を盗むのには適していない。何かうまい応用があるのだろうか。犯罪学の権威に相談したいところだが、パタキ主任にその考えはないようだ……

 それとも、明後日の機会に、彼、クリストフ・ラインハルトに訊けばいいだろうか。サイバー犯罪を研究している人を紹介してくれとか。まさか、彼がそういう犯罪に詳しいとは思えないし……

 デアーク・フェレンツ広場テール駅で乗り換えるときに、クリストフ・ラインハルトが笑顔で言った。

「地下鉄のことを教えてくれてありがとう。君にはまた会うような気がするよ」

「私も会えると嬉しいわ。さようならヴィソントラーターシュラ

 笑顔がとても魅力的だった。彼とは、明後日よりも前に会いたいような気が、ポーラにはした。

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