ステージ#15:プレゲーム・イヴェント
#15:ステージ開始21日前
ブダペスト-2039年7月23日(土)
文字盤の12のところで長針、短針、そして秒針が揃った。秒針がすぐに動いて、0時を過ぎた。
グンデル・カーロリ通りに1台の車が停まった。
それでも、1時間は何事も起こらなかった。
その日もラコシは警備室で少しばかり酒を飲んでいた。知り合いの女からの差し入れだった。
扉にノックがあった時、ガボールが出るというのを制して、ラコシが立った。飲んでいても酔っていないところを見せてやろうとしたのだ。しかし、立ったときに2、3歩よろけた。その後はちゃんと真っ直ぐ歩くことができた。短い廊下を歩いて、裏口の扉の前に立った。
「どちらさんで?」
扉は開けず、外のノックの主に呼びかけた。「緊急通報があったんだ。中に入れてくれ」という答えが返ってきた。男にしては少し高い声だった。ラコシは扉の小さな覗き窓から外を見た。警官が二人立っていた。といっても、一人は背が低く、帽子しか見えていない。
「何の通報です? こっちにゃ、何の不具合もありませんが」
「こっちだって、何が起こったのかわからないが、通報があったから来たんだ。とにかく中に入れてくれ」
ラコシは錠を開けかけたが、大事なことを思い出して、手を止めた。閉館して、館長も
「規則で、夜中には誰も入れちゃいけないことになってるんで」
ラコシはドアの向こうに、大きめの声で言った。そうすることで、少しばかり酔いが回った頭が、若干でもはっきりするように感じたからだ。
「そうか、しかし」
警官は何か言いかけてやめた。が、数秒おいてまた話しかけてきた。
「警報がまだ停まってないみたいだ。できれば開けて欲しい。状況を確認するだけなんだ。機械の故障かもしれない」
ラコシには、相手が少し譲歩したかに思えた。どうしても開けろというのではないらしい。考えて、もう一度覗き窓を見た。警官はなかなかハンサムで、真剣な表情をしていて、悪い人間には見えない。話だけでも聞いてみるか、と思い、ラコシは錠を外した。扉を細めに開け、外を窺うと、警官の制服を着た男が二人立っていた、いや、一人は男ではなかった。女だった。
男の警官はラコシよりも少し背が高く、スリムで、警官には似つかわしくない真面目そうな笑みを浮かべていた。女の警官は男より20センチメートルは背が低かったが、身体は驚くほどグラマラスだった。そして妖艶な笑みを浮かべている。二人とも髪は黒く、男は散髪したばかりのように綺麗に裾を刈り上げ、女は肩のすぐ上まで髪を垂らしていた。
「まずは、話を聞くだけで……」
ラコシは二人を戸口のところまでだけ入れるつもりだった。二人は押し入ろうとはせず、ラコシの言うとおりにしようとする様子を見せた。
「館の規則については十分に理解しているが、緊急通報があったのは間違いないんだ。館内では音が聞こえてないんだね?」
男の警官は落ち着いた声で言った。よく考えたら、ラコシが初めて見る警官だった。もちろん、女の方も。
「ええ、何も」
「もう一人、警備員がいるはずだが」
「そいつも何も聞こえちゃいませんよ」
「確認してきてくれないか」
ラコシは言われたとおりガボールのところへ戻った。ガボールは席を立って、警備システムで裏口のカメラの映像を見ていた。
「緊急通報は動作しているか? 動作していたら、何も聞こえないはずはないだろう?」
「もちろん、動作していませんよ。警官ですか?」
「そうだ。緊急通報があったと言って……」
気が付くと、警官の二人は警備室のドアの前まで来ていた。出入口を塞ぐかのように男の警官が立っている。しかし優男だし、押せば吹っ飛びそうだな、とラコシは思った。よくこれで警官が務まる。それに、女の方は小柄だし……
「警備システムを確認するから手伝ってくれ」
男の警官が、さっきよりも少し強い口調で言った。笑顔もなくなっている。少し明るいところで見ると、驚くほどの美男子で、女のように柔和な顔つきだった。
「ええ、そりゃ、構いませんが」
「まず、エントランスの映像」
ラコシが慌てて警備システムを操作し、カメラを切り替える。男の警官は部屋の中に入ってきて、ラコシの後ろ、ガボールの横に立った。代わりに女の警官がドアのところにいるようだ。ガボールはどうやらそっちに気を取られているらしい。あっちは美人でいい身体だからな、とラコシは思った。
気が散っているせいか、ラコシはたびたびカメラの切り替えを間違えた。いや、酔いがまだ醒めてなかったからかもしれない。警官の口調がだんだんときつくなる。
「これじゃあ、システムの異常が判らない。君ら、ちゃんとこのシステムに通暁しているのか?」
「ええ、そりゃ、もちろん……」
間違えたのは酔っているせいで、とはとても言えなかった。それにガボールはまだ新米で、操作にあやふやなところがあるはずだ。そう考えていたら見抜かれたのか、警官はガボールにもシステムを操作するよう要求した。思っていたとおり、ガボールは何度も操作を間違えた。ラコシは間違いを指摘できないことすらあった。
「君ら、本当に警備員なのか。身分証明を見せてみろ」
男の警官が、不機嫌そうな表情になって言った。もちろん、ラコシたちは本物の警備員であるから、証明書は見せられる。手渡すと、警官はそれらを疑い深そうな目つきで見てから、女の方に渡した。女の警官は証明書を持って姿を消した。外ではなく、館内の方に行ったから、どこかへ電話でもかけるのだろう、とラコシは思った。しかし、こんな時間へどこにかけるのか? 警備会社か、警察か。
警備会社なら、身分を疑われたことで、今後の待遇に影響が出るかもしれない。おまけに、酒を飲んでいることがバレたら。いや、もう何度かバレたことがあって、そのたびにもう飲まないと誓約させられているのだが。
「確認ができるまで、君らを拘束させてもらう」警官が冷たい目で言った。
「拘束と言うと……」
警官は手錠を出してきて、素早くラコシの右手にはめた。ラコシはひどく驚いたが、暴れることも、文句を言うこともしなかった。なぜだか、黙って受け容れなければならぬ気がしたからだ。弱みがいくつもあったことが、影響しているだろう。警官は手錠をガボールの左手にもはめた。ラコシとガボールはつながってしまった。しかし、まだ自由に歩くことはできる……
女の警官が、ドアのところに戻って来た。何も言わず、手で「来い」の仕草をした。
「まあ、待て。もう一度確認しておこう。本来、緊急通報があったら、警察への非常通報ボタンを押す。そうだな?」
男の警官が言った。ラコシは「そうです」と答えた。ガボールも頷いた。
「その二つの通報は連動していない。そうだな?」
ラコシはまた肯定し、ガボールは頷く。
「そして館内のどこの装置が作動して、緊急通報が発報されているのかも、警察には判らない」
「そうです」
「館内の警報装置を切るにはどうする?」
「主制御スイッチを切って……」
それだけではなく、決められた時間内にもう一つの保安装置を、暗証番号を使って切る必要があった。ラコシは実演させられた。
「いいんですか?」
「構わない。確認の手続きに必要なんだ。切れたな?」
「切れました」
それを示すのは制御盤のLEDが消えることだった。点灯していて、緑なら動作中で異常なし、赤なら異常ありだ。さっきまで、赤になっているものはなかった……
「よし、二人とも、こっちへ来い」
男の警官は手錠を持ってラコシとガボールを引っ張った。二人は仕方なく付いて行った。非常灯がところどころ点いているだけの廊下を歩き、展示室とバックヤードを仕切るドアを通り抜け、中央階段まで来た。展示室はうっすらと見えるだけだ。
警官はガボールの右手にも手錠をはめ、反対側を階段の手すりにつなげた。二人は手すりとつながってしまった。もう移動することもできない。
「しばらく、待て。10分ほどで済むだろう」
「何が?」
「確認だ」
男の警官はそう言うと、
「すぐに終わるんですよね?」
去りゆく警官に向かってラコシは聞いた。警官は温和な笑みを見せながら「もちろんだ」と答えた。
しかし10分経っても、二人は戻ってこなかった。それどころか、ラコシとガボールが朝まで待っても、そのまま何も起こらなかったのだった。
夜が明けて、
すぐに館内が調べられ、たった1枚だけ、絵が盗まれていることが判明した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます