#14:第1日 (7) 新婚旅行

 静かな部屋にひとりぼっちで無為な時間を過ごしていると、予告どおり8時10分前にメグが戻ってきた。

「申し訳ありません、お相手が見つかりませんでした」

 予想どおりだな。何しろ、ここに一人で来ている女なんているはずがない。1%くらいの確率で、大富豪の未亡人が一人で泊まりに来ているかもと考えないではなかったが。

「じゃあ、君が代役を務めてくれるんだな?」

「はい、許可ももらってきました。ですが、お出掛けになる前に、お着替えなさってください。レストランのドレス・コードはカジュアルで、そのままでも結構ですが、パンツをもっとゆったりしたものに替えられた方が動きやすいと思います」

「スラックスの方がいいか」

「いいえ、軽いアンクル・パンツを買って参りましたから、それをお召しになってください。それから履き物はスポーツ・サンダルに」

 またそうやって俺で着せ替えを楽しむつもりか。メグはスーツ・ケースを開けてパンツとサンダルの入った袋を取り出し、俺に手渡す。俺のパンツのサイズとか……憶えてたんだろうなあ、きっと。

「ベッド・ルームをお使いになってください。私はこちらで着替えますから」

 着替える……メグが。ここで。その白いブラウスと、グレーのミニ・スカートから、着替える!

「あなたのお召し物に合わせないといけませんから」

 それは解ってるけど、リヴィング・ルームとベッド・ルームの間の扉に錠はないんだぞ。しかも折り戸フォールディング・ドアで、閉めたって細い隙間が空いてるんだぞ。それに俺が着替え終わって扉を開けたときに、君がまだ着替えていたらどうする。いや、無断で開けたりはしないけど。

 メグがスーツ・ケースから自分の着替えを取り出しているのを横目に見ながら、ベッド・ルームへ行き、折り戸を閉める。ベッドはキング・サイズのが一つだけ。天蓋とカーテンが付いている。その上にアンクル・パンツを放り投げ、靴と靴下とジーンズを脱ぐ。床がひんやりとして気持ちいい。脱いだ衣類をどこへ置こうかと思ったが、隣がバス・ルームだったので、そこのクローゼットに置いた。

 ベッドの脇に戻ってアンクル・パンツを穿くと、ぴったりだった。仮想世界の中だから体型が変わらないのだろうが、メグは今の俺の姿を一目も見ずに買ってきたのに、合うことの方が不思議だ。

 さて、メグは着替え終わっただろうか。なるべく折り戸の方を見ない方がいいだろう。隙間から、何か動いているのが見えたりしたら、覗きたくなるに違いないから。

「お着替えは終わられましたか?」

 メグの方から声をかけてきた。着替えが早いな! 俺が下だけ穿き替えるのと同じ時間で全部着替える? いや、俺がバス・ルームをうろうろして時間がかかったのか。

 折り戸を開けると、メグが笑顔で立っていた。白地に青で花柄がちりばめられた、袖なしスリーヴレスでロング・スカートのドレス。その色に合わせたであろう、トルコ石ターコイズのネックレス。足元は青い編み上げストラップ・アップサンダル。おしゃれなバッグまで提げている。リゾート中の貴婦人といった感じだ。

とても似合うよルック・グレイト、メグ。でも、そういう服もちゃんと用意してるんじゃないか」

「ええ、1%くらいの確率で、こういうこともあるかと思って、買ってきました」

 予想精度が悪いな。100%に決まってるだろうに。ともあれ、こんな美女ダイムと一緒に食事に行くのだから、カジュアルとはいえ、エスコートしなければならない。右肘を差し出すと、メグがにっこり微笑んで手を絡めてきた。

 部屋を出て、レストランまで暗がりの道を歩く。途中、夕食を終えたのであろう男女のペアと何組かすれ違ったが、そのたびになぜか勝利の実感を得てしまう。もちろん、相手は負けたと思ってないに違いない。

 レストランはラ・ピローグという名前で、これはフランス語でカヌーのことであるらしい。中と外の席があるが、風が気持ちいいので外にした。

 メニューを渡されたが、無理にメグを誘った立場であるので、俺が決める。前菜アントレは海老のクリスピー揚げ、スープは野菜のポタージュ、魚料理ポワソンはブダイのグリル、ソルベは無し、肉料理ヴィアンドは牛フィレのステーキ、デザートデセールはチョコレートのアントルメ、最後はコーヒーにマカロン。

「ずいぶんたくさんお召し上がりになるのですね。ポート・ダグラスではお夕食でも少なめだったように思いますけれど」

 灯りが少なくても、向かい側に座っているメグの顔は美しかった。見ているだけで幸せな気分になる。

「今日は特別だからね」

「何が特別なのですか?」

「君にに会えた記念日だからだ」

 俺にとっては6週間ぶりなのだが、1年に近いくらい待ちわびたと言っていい。その間、何人もの女の誘惑から逃れてきた。逃れきれなかったことも何度か……何度もあるが。

「嬉しいです」

 メグの笑顔が明るく輝く。この笑顔を見るために、6ステージ頑張ってきてよかった。孤島に流されたこともあれば雪山を歩かされたこともあり、カジノで働かされたり強盗団の仲間になったり。どこでも美人と会うには苦労しなかったが、相手をするのに苦労したことが多いなあ。メグの相手は本当に心が安まる。

「パリへ行って何をしてきたんだ? 君みたいに優秀なコンシエルジュでも、留学して研修しなきゃいけないことがあるのか」

「パリはオーストラリアよりも色々な国の人が訪れますし、目的もたくさんの種類がありますから、そういった方々に案内する経験を積むためです」

 なるほど。しかし、その経験がオーストラリアに戻ってきて役に立つかというと、少々疑問だな。英語と日本語ができればたいていは用が足りるだろう。

 だからそれは建前で、前の夫と距離を置きたかったのが真の理由じゃないかなあ。留学のために離婚したんじゃなくて、離婚するために留学した。仮想世界のシナリオで、ここまで凝る必要があるのかと思う。

「語学や知識はともかく、客への気遣いについては、君の方が上回っていることが多かっただろう」

「そんなことはございません、まだまだたくさん習うことは多いと感じました。でも、あなたから学んだおもてなしホスピタリティーの気持ちを実践していたら、お客様からも好評でしたし、他のスタッフからも注目されました」

 俺が何を教えたんだっけ。ああ、メグからの手紙に書いてあった、勝手に勘違いしてる件か。

 思い返せば彼女が、俺の“目”の効果とやらにはっきり影響された最初の例だよなあ。それ以前は単に、競争者コンテスタントはキー・パーソンと仲良くなりやすいものだと思っていただけだから。

「それは元から君が持っている魅力だよ。他のところで、君以上に俺をもてなしてくれたスタッフはいない」

「ありがとうございます! 今回もあなたに快適に過ごしていただけるよう努力します」

 もちろんそうして欲しい。しかし、この1週間だけで終わって欲しくないのだが、どうすればいいだろうか。

「あちらに高齢のご夫婦がおられるのがご覧いただけますか?」

 建物の中の窓際に、確かに年寄り夫婦がいる。ちょうど食事を終えて、席を立とうとしているところだ。

「彼らが何か?」

「オーストラリアからお越しになったご夫婦ですが、今年で結婚50周年、金婚式を記念してのご旅行だそうです」

 おそらく、食事に誘う女を探して、宿泊客を調べているときに見つけたのだろう。彼女は一時的にではあるがここのスタッフの一人なので、宿泊客のことは頭に入れておかないといけないわけだ。

「それは素晴らしい。ここが新婚旅行先だったのかな」

「ニューカレドニアの離島をいくつか回られたそうです。その中でもこの島が一番気に入られたので、2週間ご滞在の予定だそうです。前回はこのホテルがなかったので、別のところにお泊まりになったそうです」

「君は結婚していたんだから、新婚旅行にも行ったことがあるんだろう。どこへ行ったんだ?」

「国内旅行でした。西オーストラリアです。当時はメルボルンに住んでいたんですが、パースまで飛行機で行って、そこからは車を借りて、北のブルームという町まで走りました。満月の時にビーチから見える『月への階段ステアケイス・トゥ・ザ・ムーン』という現象が有名なんですが、それが見たくて」

 ローバック湾に昇ってくる満月から、月の幅と同じくらいの“光の帯”が、砂浜へ向かって一直線に――若干途切れ途切れに――伸びてくるように見える現象だという。その現象が見られそうな日には、ビーチに市が立つほどの人気らしい。

 ブルームはパースから片道2500キロメートルほど。二人で交替で運転して、約3週間の旅だったそうだ。なかなか雄大なものだ。

「パリへ行くのに合わせて、国際免許証を取得しました。ですから、ここでも車を運転してあなたを観光へ案内することができます」

「それは助かる。俺はモトの免許証しか持ってないからな」

 これが取得したはずもない国際免許証なんだなあ。

 ところで、メグは細身ながらもよく食べる。俺の好みのプロポーションは、メグよりももっと肉付きがいいタイプだ。他のステージの女で喩えるとメキシカン・クルーズのノーラとか、オデッサのイリーナとか。

 しかし、メグの魅力は身体ではなくその精神にある。もちろん、顔はとても綺麗で――年上とは思えないほど若々しくて――大好きだけれど。

 そして、これほど目を見ながら話したくなる女はあまりいない。もしかしたら、メグも“目”の効果を持っていて、俺自身が催眠術にかけられているのかもしれない。お互いに催眠術をかけ合う、という妙なことになっている気がしないでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る