#14:第1日 (5) リタ・スコット

 搭乗までまだあと少し時間があるので、パン島イル・デ・パンのことを聞く。グランド・テール島の南東50キロメートルに位置する小さな島で、面積は約152平方キロメートル。

 距離はどうでもいいとして、面積を平方マイルにするにはだいたい40%の値にしてやればいいので、60平方マイルくらいだろう。

 島の形を形容するのは難しいが、おおよそ楕円形に近いと思っていて間違いない。“楽園に最も近い島イル・ラ・プルス・プロシュ・ドゥ・パラディ”と呼ばれるらしい。カナック名はクニエ。住民のほとんどはカナック。

 珊瑚礁が発達しており、砂浜は白く綺麗で、浅瀬が多くてダイヴィングなどのマリン・レジャーが充実している。グランド・テール島同様に動植物とも固有種が多く、ヤモリの世界最大種がいる。パン島イル・デ・パンにのみ生息するカタツムリがいて、これは名物料理として食べられるそうだ。しかもパン島イル・デ・パンでしか食べられないらしい。

 泊まるホテルは島の東部のオロ集落にある、ル・メリディアン・イル・デ・パン。それは最初に聞いたぞ。だいたいこんなところで、もっと詳しいことは世話係ケアテイカーが教えてくれるらしい。

 搭乗時間になったが、その世話係ケアテイカーは現れない。他の客を差し置いて搭乗口に向かっていると、ジルベルトのモバイルフォンに電話がかかってきた。

「買い物が終わったので、飛行場へ向かうそうです。出発直前に着くが、搭乗手続きは終わっているので問題ないと。ですから、先にご搭乗いただいて、機内でお待ちください」

 なかなかスリリングな世話係ケアテイカーだな。

「わかった。ジルベルト、エティエンヌ、今日は半日だが大変世話になった。感謝する」

「ご満足いただけてよかったです」

 満足はしてないけどね。二人と握手をし、搭乗口をくぐる。現地人と思われる客室乗務員キャビン・アテンダントが待っていて、俺の鞄を取り上げると、タラップまで案内してくれた。搭乗して席に座るとその鞄を荷物入れオーヴァーヘッド・ビンに詰めてくれたりする。

 すぐに他の客が入ってきた。70人乗りくらいなので、大混雑ということはない。入ってくる客の顔をじっと見ていると不審に思われるので、座席前のポケットの機内誌などを読む。

 ほとんど座席が埋まったようだが、俺の隣には誰も座らない。しばらく客が途切れた後で、最後の一人が乗り込んできたらしく、客室乗務員キャビン・アテンダントがドアを閉めた。

「隣に座ってよろしいですか?」

 見ると、ブルネットのショート・ヘアでとびきり可愛らしい顔の美女ダイムが俺に向かって微笑みかけている。そんな、まさか……

「君は……おっと!」

あらマイ! お立ちにならないでください、すぐに離陸ですから」

 驚いて思わず立ち上がろうとしたが、シート・ベルトを締めていたので立ち上がれなかった。もし立ち上がっていたら、荷物入れオーヴァーヘッド・ビンで頭を打っていただろう。

まさかキディング……」

「いいえ、ここは私の席なんです」

 美女ダイムは嬉しそうに言って隣の席にちょこんと座った。タイト・スカートの腰のあたりにシート・ベルトを締めながら、ニコニコと俺に微笑みかけている。自己紹介をしないということは、俺が知っているはずだと思っているということか。

「メグ……」

はいイエス・サー!」

 その声も、その笑顔も、俺が知っているメグで間違いなかった。15年後のメグではない。のヴァイケション・ステージからほとんど変わりのない姿だった。

 若返り手術をしたのか。いや、そんなことで15年若返るはずがない。それとも、若返りの泉の水でも飲んだのか。フロリダのセント・オーガスティンにあるけど、あれは偽物だぜ。

「どうして……」

「1年ぶりにお会いできて、本当に嬉しいです」

 1年ぶり? どういうことかよく判らない、15年ぶりではないのか?

「去年に引き続いてポート・ダグラスにお越しいただけると思ってお待ちしていたのですが、こんなことになってしまって。いいえ、解っています。カンタスのストライキのせいですね? 先週から、海外のお客様はみんなキャンセルになってしまいましたから。あなたの行き先がニュー・カレドニアに変更されたのが解ったので残念に思っていたのですけれど、マリオット・インターナショナルの本部から私に直接指示があったときには驚きました。でも、あなたにお会いできると思って、大喜びで飛んできたんです! ストライキの余波でエア・ニュー・ジーランドのスケジュールまで乱れてしまったので、今朝には間に合わなくて、大変残念でしたが……」

 話の途中で機内放送が入って、聞こえにくくなったが、去年に引き続き、とメグは言った。すると、このステージはメグにとって、前回のヴァイケション・ステージの1年後という設定なのだろうか。

 そういえばビッティーは、仮想世界を作るときに、関係ない時代からでも適切と思われる人物を集めてくる、と言っていた気がする。そもそも、俺自身がいろんな時代を行き来してるじゃないか、同じ姿で。

 だとしたら、あの時のメグが、2002年の記憶を2016年にすり替えてここに現れたとしても、何の不自然もない、ということになる! さすがは仮想世界……

「どうしてそんなにぼんやりなさっているのでしょう? それとも、お世話係ケアテイカーは他の者の方がよかったでしょうか?」

 メグが微笑みを崩さずに聞いてくる。そんな顔をして、俺を困らせようとしてるんだな。そういう可愛い女にはお仕置きだ。

「君が本気で、君以外の誰かに俺の世話係ケアテイカーが務まると考えているのなら、仕方ないから俺の方からマリオット・インターナショナルの本部に申告して、交替してもらおう」

「あら! 申し訳ありません、先ほどの私は言葉が過ぎました。私以外の誰かに、あなたのお世話係ケアテイカーを務めさせるなんて、二度と考えないでいただきたいんです!」

 メグは期待どおりの困り顔を見せてくれた。なんて可愛いのだろう。さすが俺のメグだ。

「もちろん、俺がそんなことを本気で考えるわけがないだろう。ところで、シェラトンとル・メリディアンはどちらもマリオット・インターナショナルだったのか?」

「はい、去年まではスターウッド・ホテルズ&リゾーツでした。ですが、ブランドを超えての人材起用なんて、普通は考えられないことです。財団からの特別なご指示があったのかと」

「もちろん、俺は希望したけどね。でも、通るかどうか解らなかったんで、君が現れたときに驚いたんだ」

「代理の者から私のことはお聞きにならなかったのですか?」

 あの二人、知ってたのか!

 いや、待てよ、メグの名前は本当に知らなかったかもしれないが、サプライズ人事だということは聞かされていて、それで黙っていたのかもしれない。つまり犯人はル・メリディアン・ヌーメアの支配人だ。謎は全て……まだ解けてないか。

「名前はR・スコットだと聞いていたんだが……」

 あいにく、飛行機が滑走路走行を始めてしまい、騒音で声が聞こえなくなってしまった。顔を近付ければ話せるに違いないが、そんなことをするとメグの耳元にキスをしたくなるかもしれないので、今はやめておく方がいい。

 離陸して、飛行が安定してきたところで「R・スコット」をもう一度言う。

「スコットは私の結婚前の名字ファミリー・ネームです」

 結婚前がスコットで、結婚後がハドソン。スコットに戻ったということは……そして彼女がマドモワゼルと呼ばれていたということは……離婚女性ディヴォーセイ

 つまり、独身。メグは独身。メグは独身。重要なことだから、もう一度頭の中で復唱しようか。メグは独身!

 さりげなく、膝の上で重ねている左手を盗み見る。薬指に指輪をしていない。よし、独身確定。

「名前のRは?」

「つい先日まで、パリのル・メリディアン・エトワールに半年間、研修に行っていました。その時には、リタというニックネームを使っていたんです。ですから、ル・メリディアンで仕事をするときにはリタ・スコットになります。リタとお呼びいただければすぐに仕事モードに入ります」

「ヘイ、リタ」

はいウィ、ムッシュー・ナイト」

「ヘイ、メグ」

はいイエス、ミスター・ナイト」

「本当にそれだけで切り替わるのかな」

「そうなるように意識付けしましたから」

 そうか、メグはここではル・メリディアンのスタッフなんだ。俺の恋人として旅行に付いて来てるわけじゃない。

「そうすると、ホテル内で君を呼び出したいときは、リタと言わないといけないのか」

「そうですけれど、そんなことにはならないと思います」

「どうして」

「だって、私は常にあなたのおそばにいて、お世話係ケアテイカーを務めるんですもの。ポート・ダグラスの時を思い出していただきたいですわ。あの時は隣の控え室にいて、電話でのお呼び出しに応じていました。今回は同じお部屋の中にいます。それだけの違いですから」

 はあ、なるほどね。いや、待て、今、とても重要なことを聞いた気がするぞ。「同じ部屋の中にいる」だと?

「イル・デ・パンではバンガロー・パノラミック、ヌーメアではスイート・ディプロマティックと聞いています。どちらもベッド・ルームとリヴィング・ルームがあって、私はリヴィング・ルームに常駐します。ベッドもソファーを使う予定です。もちろん、しばらくの間、外に出ていて欲しいとか、お使いに行って欲しいとか、そういうご要望は受け付けますが……」

 俺がメグに出て行けなんて言うわけないだろ。それより、錠も掛けられない隣の部屋にメグを寝かせて、俺が何もせずにいられると思うか?

 いや、今までのステージでは、女から迫られたときしかしてないけどさ。でも、今回はメグだぞ。重要なことだからもう一度頭の中で復唱するけど、今回はメグが隣の部屋で寝るっていうことなんだぞ?

「今回もなるべく君に手間をかけないようにするよ」

「いいえ、たくさんお世話させてください!」

 ヴァケイションでゆっくりしに来たのに、そんなに頼むことがあるわけないだろ!

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