#13:第7日 (15) 心の目
答えるコニーの目は、笑っている。
「今、あなたに否定されるのが嫌だから」
何なんだろう、その理由は。もうしばらく恋の夢を見ていたいということなのか。いわゆる“
そういうのなら、しばらく付き合ってやるのも悪くない。困るのは、俺の方がコニーを忘れられなくなることだから。
「じゃあ、聞かないでおこう。さて、過去の話は置いといて、君の今後のことを聞かせてくれないか」
「あら、私はあなたのことがもっと聞きたいわ。ケイティーと知り合いになったのって、財団の仕事が関係してるんでしょう? 何をしたの?」
どうしてそんなことに興味を持つ。
「さっきそこまでは触れなかったのに、もしかすると君は断片的に知ってるのでは?」
「身体の動きを計測する装置を使って何かしたっていうことだけ」
「ラーレに聞いたのか」
「いいえ、いろんな人から」
手首に装置を着けて、身体全体の動きを計測して、それを解析して、フィードバックして、という一連の流れを話す。ケイティーだけではなく、シモナにも同じことをやったと話しておく。
「もしかして君も興味があるのか。モデルはランウェイでポーズを取るけど、あの時の動きを解析してみたいとか?」
「あれは服によって動きを変えなきゃならないし、同じ動きをすることはまずないから、そういう意味では解析の必要はないわ」
「じゃあ、どういう観点から興味がある?」
「ユーリヤのデータも取ったんじゃないの?」
「財団では取ってないよ。今朝見たのは別の研究団体だろ」
「じゃあ、ユーリヤには何のアドヴァイスをしたのよ」
なぜユーリヤをそんなに気にする。というか、他の女との関係を詮索してるのか? 財団を通じて何かしたのかって。
「俺が知ってる筋力トレーニングを紹介しただけだ」
「代わりに彼女からスローイングのアドヴァイスをもらったの?」
「それと直接の関係はないな。スローイングの件は、肘の動きを修正したらと言われたけど、最終的には俺の動きを計測したデータを、俺自身が見て修正した。だが、その礼としてトレーニングを教えたわけじゃあない」
「じゃあ、彼女とあなたの関係って何かしら」
まさか何か気付いてるんじゃないだろうな。
「同じホテルに泊まって、トレーニングを通じて知り合った仲」
「本当にそれだけ?」
本当はベッドを共にした。
「それだけだ。どうしてそんなことを気にする?」
「あなたとずいぶん仲が良さそうだったから。私ももう少しあなたと会っておけばよかったと思って」
そういえばコニーとは一度も顔を合わせなかった日があった。ユーリヤは会話こそなかったが、ランニングかジムの時に毎日見た。
「俺も休暇で来たつもりが、次々に人と会う用ができてね。研究所にも付き合わされたし。君をもっとジムに誘えばよかった」
「私もたくさんの人と会ったわ。
「話の内容が薄かったか」
「いいえ、話じゃなくて、あなたに私をもっと“見て”欲しかったの。あなたはデートしていても、私のことを直視するのを避けていた気がするわ。どうしてかしら?」
「確かに、そのとおりかもしれない。俺は自分が見られることに、あまり自信がないんだ。だから他人のこともよく見ない。特に、君のように、容姿に自信がありそうな女性はね。何かしら欠点や自信のない部分を隠そうとしていると、そこに目を付けたりするけど」
これもフットボールをやってる弊害か。
「でも私は、自分の顔やプロポーションが完璧だとは思ってないわ」
「それはファッション・モデルとして? それとも一人の女として?」
「両方。説明したいけど、ここじゃ無理だわ。どこか二人きりになれるところへ行きましょう」
ついに部屋に誘われるのか。覚悟はしてるんだけど。
「どこでもどうぞ」
バーを出て、エレヴェーターに乗る。コニーの部屋は一つ下のフロア、俺の部屋は更にその下のフロアだが、どちらにも止まらず、1階に着いた。
外へ出て、ビーチに行った。砂を踏みながら歩く。湖なのに、波が打ち寄せる。いや、ここは海なのだ。それほど大きい波ではないけれど。
半分に欠けた赤い月が、水平線のすぐ上に浮いている。ついさっき出たばかりのようだ。最初はコニーの影しか見えなかったが、目が慣れると顔の造形がうっすらと見えてきた。
「二人きりになったのに、君の姿が見えにくい」
「
コニーが手をつないできた。さて、
「あいにく、
「心理学者なのに」
「数理心理学だよ」
「だったら、
測る? どうやって。触ってみろって? それが暗闇へ連れ出した理由か。
コニーの顔はすぐ近くにあるので、見えている。夜目にも白い肌が、月明かりで輝いている。
まず髪を撫でてみる。色はもちろん判らないが、心の目には綺麗な金髪が浮かぶ。見た目以上にさらさらの手触りだ。
次に指先で額に触れる。しっとりとして柔らか。指を下ろし、眉をなぞって、こめかみから頬へ。つややかで滑らか。
少し内側へ入って、唇の端へ。ルージュを落とさないように、軽く下唇に触れると、コニーは口を少し開いて、指に息を吹きかけてきた。
顎のラインをなぞり、首筋から肩へ。そして鎖骨をたどって内側に戻る。そこでいったん指を止めた。
「ここから先は……」
「測ってもいいのよ、服の上から」
こんな誘い方をするのか、と思いながら逡巡していたら、不意にコニーが手を放し、俺のそばを離れた。かがみ込んで何かを……靴を脱いだのだろうか。
「やっぱりあなたは強引にできない男なのね。だったら、私が理由を作ってあげるわ」
いや、一応心の準備はしてきたのだが。コニーの影が離れていく。砂を踏んで、月の方へ向かって。そっちは海……まさか!
「ヘイ、コニー!」
「一緒に来て! 水遊びをしましょうよ」
何というわがまま。しかし、何の理由を作るつもりだろうか。コニーは膝の辺りまで水に浸かっている。溺れるつもりはないらしいので、靴を脱いでからゆっくりと追いかける。
いきなり、水が夜空を舞った。コニーが靴ですくって振り撒いたのだ。飛沫に月の光が乱反射する。コニーの髪にも月の雫が光っている。横顔のシルエットは明るい微笑みだった。それもさっきまでとは少し違う。気取らない、素直な笑顔。
「飲み過ぎたのかしら? 子供の頃みたいに遊びたかったの。湖に連れて行ってもらって、こんな風にして遊んだわ。やっぱり楽しいわね。髪も服も濡れてしまって。この服、もう着られないんじゃないかしら! でも、いいの。この服は、今夜あなたとのデートで着るためだけに買った服なの。何て贅沢な買い物なんでしょう! 選ぶのにあれだけ時間をかけて、一夜限りしか着ない服なんて……」
言いながら、コニーは何度も水を跳ね上げた。本当に楽しそうだ。
そしてたぶん、これが彼女の真の姿。普段は常に人に見られるために、“ファッション・モデル”でなければならない。洗練された服を選び、それを完璧に着こなす。立ち居振る舞いももちろん、服と共に自分を美しく見せる。
その制約を解き放ったのが今の姿。ニュシャと比べるのはやめようと思っていたけれど、ニュシャと同じように、“ありたい自分”でいられないというジレンマを持つ。コニーもまた“ありたい自分”を見せる相手を望んでいたのだろう。
そしてようやく、何の“理由”を作りたいかが解った。“服を脱ぐ理由”だ。
ファッション・モデルは、服を着ることで評価される。では、“服を纏わないコニー・イサク”にどんな存在価値があるのか?
俺が“脱がせたくない、ずっと着ていて欲しい服”を買えと言ったときから、彼女はそのことについて考えたのかもしれない。
いや、以前から考えていて、それを指摘した俺に対して「その存在価値を確かめてみて」と言っているのだろう。それが、出掛ける前に彼女が言おうとしていた“わがまま”だったのに違いない。
しかし、それを確かめる相手が、本当に俺でよかったのだろうか?
「君の部屋へ行こうか、コニー。その服はもう着ていられない」
「ええ、もちろん」
コニーはようやく水遊びをやめた。両手に靴をぶら下げたまま俺の方へ歩いてきて、見上げながら楽しそうに微笑んだ。月明かりに照らされた、屈託のない、天使のような笑顔。
「ただ、まだ一つ迷っていることがあるんだ」
「何を?」
「君を脱がせるとき、灯りを消した方がいいのか? それとも点けたままがいいのか?」
「もちろん、点けたままがいいわ。私もあなたの身体を見たいもの。あなたがビーチを走るのを、初めて見たときからそう思ってたの!」
私も? やっぱり何か知ってるんじゃないのか。まあ、いいか。
コニーの手を取って、ホテルへ戻る。ロビーに入るときは、コニーの濡れた姿を背中に隠しておいた。
エレヴェーターに乗り、エグゼクティヴ・スイートへ行く。部屋の中には、まだ他の服が散らばっていた。
コニーの痣は、左の太股の内側にあった。脚の付け根のすぐ近くに。
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