#13:第7日 (3) 先入観

 ニュシャを残してジムへ入る。すぐにユーリヤが気付いて「ハイ、アーティー」と声をかけてくる。周りの3人もこちらを見たが、全員が一様に胡散臭い人物を見る目つきなのはどうにかならないものか。

「やあ、遅くなった。君の友人たち?」

「いいえ、連盟ザ・リーグのメンバー。あたしのトレーニング方法について調査したいんだって。昨日は相談で終わったけど、今日は別件」

「そうか、じゃあ、俺は必要ないか」

「本当はあなたにも見ていて欲しいけど……」

 マシーンの動きを止めてユーリヤが言った。テニス・ウェアの男はユーリヤから目を離さず、美女はラップトップから目を離さない。確かに何かの計測をしているようだ。ただし、デヴァイスを着けているようには見えない。

 ペイズリー・シャツの、顔の長い男だけが俺の方を向いた。ただし、視線は合わさない。

「ご友人との交流の時間を奪って申し訳ないが、パンナ・ドブレヴァに協力してもらってたくさんのデータを取らなきゃならないんで、今日のところは遠慮してもらえれば」

 穏やかだが有無を言わさぬ雰囲気を漂わせている。もちろん、どうしてもユーリヤを見ていなければならないという理由もないので引き下がることにする。

「そういうことなら今日は遠慮しておこう」

「夜のトレーニングには来てくれるんでしょう?」

 夜の……いや、それをやるとまた怪しい雰囲気になって、夜中まで付き合うことになりそうなんで、どうしたものか。しかも今夜は色欲ラストのキー・パーソンの相手をしなきゃならない可能性もあるのに。

「今夜は遅くなるから、無理かもしれない。明日の朝、またビーチで会おう」

「そうなの。残念だわ」

 だから、そういうしおらしい表情をするなって。昨夜はその表情にやられたようなものなんだぜ。俺も予定が詰まってて、やりくりが苦しいんだよ。

 ジムを出て、ロビーの方へ行く。もちろん、ニュシャも付いて来る。

「見てのとおり予定が空いたが、どこか行きたいところがあるのか?」

「あなたのお部屋に行って、お話がしたいわ」

 ダメだ。まだシーツを取り替えてないはずだ。色々と形跡が残ってる。

「話ならロビーでもレストランでもできるよ」

「あなたと二人きりになりたいのよ」

 そういうことを言う女は警戒しないといけない。

「じゃあ、上のバーへ行こう」

 ホテルの6階に、半戸外セミ・オープンエアのバーがある。もちろん、こんな時間から酒や料理は出て来ないが、席に座って海を眺めることくらいはできるはずだ。

 いったん部屋へ戻り、すぐに着替えるからと言って廊下でニュシャを待たせる。服の用意はしていたので1分で着替えられた。

 バーへ行ってみると、他にも数組の客がいたが、海に向かって並んでいるシートの一つを占めることができた。ニュシャは遠慮なく俺にもたれかかりながら座る。

 オレンジのドレスの胸元は今日も大きく開いていて、その無防備ぶりには驚きを通り越して感心してしまう。小動物になって、この谷間に棲んでみたい気がする。

 それはさておき、彼女の痣はどこにあって、どんな罪を犯したいと思っているのか。

「それで、何の話をしようか」

「私はあなたの恋人になれそう?」

 何の話をしてるんだよ、いきなり。

「君には恋人がいるんじゃないのか。チョコレート博物館へ行くときに、誰かが噂していたと思うが」

「あら、それは本当に単なる噂なのよ。いろんなところでゴシップを書き立てられるの。ギリシャの大富豪とか、アラブのシークとか、ハリウッドのスターとか」

 その中にスーパー・ボウルMVPは入ってないのか。

「どれも君の恋人にふさわしいように思うね」

「でも、恋人として付き合った人なんて、誰もいないのよ。パーティーで出会って、次に一緒に食事をしたりすると、プレスが写真を撮って、恋人にしてしまうの。有名な人からお誘いがあったら断れないし、一緒にいるときは楽しんでもらいたいから、ずっと笑顔でいるだけなのに」

 それは君も有名人だからだよ。義務みたいなものだろ。俺ですら、アリーナ・フットボールのプレイヤーとして一部のファンに顔が知られているから、迂闊な言動ができないんだぜ。

「他にもたくさん出会いがあったんじゃないのか」

「ええ、たくさんの人を紹介してもらったけど、みんな私のことを知っている人ばかりだったわ」

「それが何か問題でも?」

「そういう人は、私に何かのイメージを持っているのよ。私は、その人が考える私のイメージに合わせなきゃいけないの」

「そんなことする必要ないのに」

「ええ、私もそう思うわ。でも、ダメなの。他人の前では、どうしても“私”を演じてしまうのよ。オペラの影響なのかしら。でも、あなただけは違ったわ」

 もたれかかるだけでなく、右腕に抱き付いてきた。XLエクストラ・ラージサイズのメロンが腕を圧迫する。

「初めて会ったとき、あなたは私のことを知らなかったでしょう? それに、私がオペラ歌手だと知った後でも、特別扱いせずに、普通に接してくれたわ。だから昨日の私は、ありのままの自分をあなたに見せることができたの。これからも本当の私を知って欲しいし、本当のあなたのことも知りたいの。そういう関係が本当の恋人どうしだと思うの」

「先入観を持たずに君と接してくれる人なら、他にもいるだろう」

「いいえ、ほとんどいなかったわ。初対面では私のことを知らなくても、次に会った時にはいろいろ調べてくるの。そのせいで、その人の中では違う私のイメージができあがってしまうのよ。それは嫌なの。この1週間だって、私に声をかけてくる人はみんな言うのよ、『あの有名なオペラ歌手のアントニーナ・エイヴァゾワですね』って。それに、他にも気になってることがあって」

「何を?」

「有名な人ほど、自己紹介するときに、自分の仕事がどれほど世界に貢献しているかを自慢するの。仕事に自信を持っているのは素晴らしいけれど、私がお話を聞いて自分で評価したいから、先に自慢して欲しくないの」

 なるほどね。先入観を持つことがひたすら嫌なんだな。理性的で、詐欺やジゴロに騙されにくいタイプだから、好ましくはあるが、そういうのを嫌う男もいるはずだ。叙情的なことを言えば女は喜ぶだろう、と思ってるような。

 で、結局、彼女はどういう先入観を持たれたくないんだろう。それは七つの罪源に関係があるとして、貪食グラトニー? 強欲グリード? それとも色欲ラスト

「俺が仕事の話をしなかったから、いい印象を持ってくれてるのか」

「そうよ。あなたの仕事のことは、これから少しずつ知っていきたいの。きっと私には難しくて、すぐには判断できないもの。それよりも、仕事以外のことをもっとよく知りたいわ」

 仕事の話をしなかったのは、俺が本物の研究者じゃないからなんだけど。論文も俺が書いたものじゃないし、何の役に立つのか俺もよく解らないし。ただ、内容的には面白そうだから、それでいいと思ってるだけでねえ。

「じゃあ、君と恋人どうしになれそうかどうかは、俺も今の時点では判断できない。君のことをもっとよく知ってからにしたいから」

「ええ、もちろん。じゃあ、恋人になれるかもしれないのね。断られなかっただけで嬉しいわ。夕方までしか時間がないけれど、お互いのこと、たくさん知り合いましょうね」

 素直でいいなあ。それなのに、何らかの罪を犯させなきゃならないんだぜ。こっちが罪悪感にさいなまれそうだよ。

 さて、たくさん知り合いたいけど、何を話せばいいだろう。フットボールの話は昨夜のうちにたいがい話したし、彼女の生い立ちも聞いたし。訊いてないのは趣味くらいか。

「園芸が趣味だったんだけど、公演で家を空けることが多いから、最近はできないの」

「木や花に興味があるのなら、戦勝記念公園にでも行こうか? それとも植物園。確か、どこかにあったはずだが」

「あら、いいえ、広い庭園が好きなんじゃないのよ。プランターで育てるくらいがいいの」

 市立公園やパレ・ロイヤル公園でも広いのか。

「買い物は?」

「服を買うのは好きよ」

「じゃあ、ちょっと見に行くか」

 強欲グリードを確認する必要があるので、コニーとは反対の戦略を採ってみる。

「あら、買ってくれるの?」

「君が気に入って、どうしても欲しいというものがあればね」

「嬉しいわ。でも、高級な服が好きなわけじゃないから、心配しないで」

「高い服でも別に構わないが」

「いいえ、理由は……後で話すわ。どこに連れて行ってくれるの?」

 服といえば“ガレリャ・アフィナ”でいいと思う。女と行くのは3度目だが、別に問題ないだろう。店員だって、俺のことなんて憶えてないに違いない。

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