#12:第7日 (13) 二つ目のメッセージ

 もう一方のマリーナへ行ってみる。こちらも閑散としていた。11時40分の、アマルフィ経由ポジターノ行きが出航したところだった。

 次の出発便は1時、到着便は12時20分までない。クリシュナンが乗っていそうな船もない。

 フェリーのチケット売り場の係員に、見慣れない船が泊まっていたか訊いてみたが、そんなことはよくあるという答えが返ってきた。ここは町の中心に近くて便利なので、別のマリーナに泊めてある船が、ここへ迎えに来ることも多いらしい。

 そういえば、彼は5時に船で待ち合わせると言っていた。その船はどこにあるのだろうか。

 クラウディア・パレッティの船だろうか。彼女か、デメトリア・パレッティが、あらかじめどんな約束をしていたのか判れば、彼の手紙の意図も判るかもしれない。

 しかし、そろそろ12時で、ゲートの通告がある。どこか、人目に付かないところへ入った方が良さそうだ。

 マリーナの目の前にあるホテルに入ることにする。適当な空き部屋を見つけて、錠を開けて入り、12時を待つ。

 時刻になると、周りに幕が下りてきた。そして男の声が降ってくる。

「ステージを中断します。裁定者アービターからハンナ・イヴァンチェンコへの連絡です。ステージ終了まで12時間を切りましたので、ゲートが開きました。ゲートの場所は、“海の門ポルタ・デッラ・マリーナ”です」

 裁定者アービターの声は好きではない。しかし、好きになる必要もない。好きにならない方がいいと思うからこのままでいい。

 “海の門ポルタ・デッラ・マリーナ”はイタリア語だった。もちろん、それは固有名詞だからで、アマルフィに実在する。バス・ターミナルのあるフラヴィオ・ジョイア広場と、聖堂の前のドゥオモ広場を結んでいる。

 そしてそれは、ターゲットを入手していない競争者コンクルサント用のゲートだろう。

「この後、こちらから呼び出しはできる?」

「できません」

「ターゲットがロストしている可能性は」

「ありません」

 他に、何か訊いておくことがあっただろうか。そう、あれは……

「私と共同作業スピヴプラチャをしている競争者コンクルサントは、誰と認識されている?」

「現時点では、誰とも共同作業をしていないという認識です」

 であれば、現時点より前には――7時間ほど前には――彼と共同作業していると認識されていたのだろう。しかし、彼はもはやいない。

「現時点以降で、共同作業をする競争者を変更することは可能?」

「定義から申し上げると、ターゲットを入手する瞬間に共同関係にあった競争者どうしが、退出時において同時に退出を宣言する場合に、両名に対しターゲットの獲得が認められます」

 つまり、共同作業をしてもターゲットの入手に失敗したら、その後で相手を変えても構わないということになる。もちろん、誰かと組まず、一人でターゲットを奪いに行っても問題ないはず。

「了解。再開して」

「ステージを再開します」

 ホテルを出て、居酒屋オステリアへ向かう。場所は判っているし、近いので歩く。

 店は開いていた。昼食を摂りに来た客が、何人かいる。彼は来ていなかった。ウェイターに訊いてみた。

「ベッレ・シニョリーナ、その男の代わりに、僕と一緒に昼食はいかがです?」

「彼がいないのなら、料理人クオーカのシニョリーナ・デメトリア・パレッティを呼んで」

「彼女は今日は休みです。ああ、ベッレ・シニョリーナ、もしかしてお名前はシニョリーナ・マルーシャ・チュライ?」

 何か言伝てがあるのなら、相手に名前を言わせなければならない。彼の方から名前を出すのは少し不用心。でも、こちらのことを気に掛けてくれているのだから、仕方ない。

「ええ、そう」

「でしたら、料理人クオーコの一人が手紙を預かっています。しばらくお待ち下さい、ベッレ・シニョリーナ」

 ウェイターが奥へ引っ込み、すぐに料理人クオーコを伴って出て来た。料理人クオーコは笑顔で駆け寄ってきた。

「ようこそ、シニョリーナ・マルーシャ・チュライ! こんなにお美しい方とは思ってもみませんでした。天国からいらっしゃったのですか? お手紙をお渡ししますので、お手をどうぞ。本当に美しい手ですね」

 そして私の右手を取って、折りたたんだ手紙を掌の上に置いた。なかなか手を離してくれない。

 構わず、左手で手紙を取り上げ、表書きを見た。"My Dear Mariya Churai"。彼の筆跡だった。

 左手だけで手紙を広げ、中を見る。"Please come to the marina.(マリーナへ来られたし)"。さっきと同じだった。

 彼は私の立ち回り先を予想して、同じ手紙を色々なところへ残したのだろうか。

「昼食をどうぞ、ベッレ・シニョリーナ。あなたがお越しになったらごちそうするよう、その手紙の主とデメトリアから言われました。僕は同席できなくて残念ですが、その分、料理を作る方で頑張りますから」

 どうやら手を握ったままでいるのは、私に何も食べさせないまま帰してはいけないと思っていたからのようだ。

 朝食の後ですぐに仮眠を取ったので、それほど空腹ではないが、次にいつ食べられるか判らないときは、機会があれば食べることにしている。

「ありがとう。いただくわ。何か注文すればいいの?」

「いいえ、一皿物ピアット・ウニコを出すように言われました。僕が一番得意な料理をたくさん盛り合わせることにしています。よろしいですか?」

 承諾し、席に案内してもらった。近くの席から男が来て、一緒に座っていいかと訊いてきたので、断った。

 先ほどの手紙について考える。彼が書いたのは間違いない。だが、これがいつ私の手に渡ることを想定していたのだろう。

 彼は、島に盗みに入った後、裏切り者を追って、サレルノへ来ることを予想していたようだった。行き先がフェリー・ステーションであることも。

 であれば、彼の行方が判らなくなったときに、その手がかりとして、この手紙を残したのだろうか。ホテルにも、この店にも。

 彼の意図が全く判らない。もはや、手遅れなのではないだろうか。また男が寄って来た。相席を断った。

 料理が運ばれてきた。早いのは、昼食用に用意していたものだからだろう。大皿に、スパゲティをたっぷりと敷き詰め、トマト・ソースで煮込んだ牛肉とオリーヴとマッシュルームを掛けて、その周りに香草を散らし、さらにロゼッタ・パンとパルマ・ハムとブッラータ・チーズが置かれている。

「申し訳ないけれど、料理人クオーコを呼んで」

 ウェイターに言った。

「やはり多すぎましたか、ベッレ・シニョリーナ? 彼は、たくさん出すように指示された、と言っていたんですが」

 ウェイターはすぐに料理人クオーコを連れて来た。

「もしや一緒に食べるために呼んで下さったのですか、ベッレ・シニョリーナ?」

「あなたが私に手紙を渡すように言われたのはいつ?」

「昨日の昼ですよ、ベッレ・シニョリーナ。店に来たら、料理人クオーカのデメトリアのメッセージと一緒に置いてあったのです」

「ありがとう。おいしそう、いただくわ」

どうぞ召し上がれブオナペティート、ベッレ・シニョリーナ!」

 料理はおいしかった。彼のシナリオに登場するレストランは、おおむねどこもよい味を提供する。

 食べ終えて、調理場へ行って料理人クオーコに礼を言い、再びマリーナへ向かう。次の出発便を待つ客が集まり始めていた。

 彼が二つも手紙を書いて私をここへ導いたからには、何かあるのだろうと思う。ターゲットよりも、彼の意図を探し回っている自分自身が滑稽だ。

 男の二人組が一緒にアマルフィへ行かないかと誘ってきたので断る。思い付いて、チケット売り場に入った。さっきは訊かなかったことがあった。彼か、デメトリア・パレッティか、クラウディア・パレッティの名前でチケットが予約されていないか。

「はい、ございますが、お客様のお名前は?」

 女性の係員が笑顔で言った。名前を告げると、1時発のポジターノ行きのチケットが出て来た。

 それを受け取ったが、頭が混乱している。彼は、私に何をさせたかったのだろう?

 時刻表を確認すると、この便はチェターラ、マイオーリ、ミノーリ、アマルフィと、途中の全ての港に泊まる。このうちのどこかに行けということだろうか。

 チケットの裏を見ても、メッセージらしきものはない。船に乗って船長に訊くのか、それとも他の乗客が何か言付かっているのか。

 そもそも、この便に乗ることの意義は? ターゲットを諦めて、アマルフィの“海の門”へ行って退出しろということだろうか。

 しかし、彼がこのチケットを用意したのは、ゲートが“海の門”であると判る以前のはず。

 彼とパレッティ姉妹は、昨夜の電話で直接は話さなかった。だからこれらを用意していたのなら、昨日の朝だろう。その時にはまだ、計画の詳細が判っていなかった。

 それなのに彼が色々と準備していたなんて、恐るべき洞察力と讃えるしかないが、私には彼の意図が読み切れない。

 このステージで、私は教授とクリシュナンだけでなく、彼にも負けたのだろうか。もっとも、彼と教授は私の共同作業者であって、勝ち負けを競う相手ではないのだが。

 まもなく船が出航する。決断しなければならない。ターゲットを追うのか、それとも彼のメッセージを追うのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る