#12:第7日 (10) 騙し合いの結末

「さて、准教授、アントニーから宝石を受け取った人物は、船で去ったということだったが、どこからだった?」

「正確には、船の音を聞いただけです。このフェリー・ステーションの、向こう側から聞こえました。朝の5時過ぎに出る便などないはずですので、船で去ったのだろうと推論しました」

「それは可能性が高いだろう。その時、船をちらりとでも見ていてくれたらありがたかったが、アントニーを放っておくわけにもいかんかったろうし、致し方ない」

「お力になれず、申し訳ありません。私がいただくことになっていた報酬は、辞退します」

「それとこれとは話が別だ。宝石は失ったが、金塊はある。もっとも、まだそれも手元にはないが」

「それでも、辞退します」

「君の尽力は非常に大きかった。それに対する我々の感謝の言葉は、辞退しないでもらいたい」

「ありがとうございます」

錠前師セッラトゥリエーレはどこへ行った」

「私がアントゥアサル・ダリーに発砲した直後から、姿が見えなくなりました。彼は錠前師が海に落ちたと言っています」

 教授たちが来るまでの間、セニョリータ・ゴディアと二人で海の中を覗き込んだ、辺りを探したりしてみたが、何も見つけられなかった。海に潜るのは装備がないので諦めた。

 セニョリータは半泣きになっていた。よほど彼のことが心配なのだろう。私が心配していないように見えるので、私が何かを知っているのではないかと疑っていた。

「彼の尽力も少なくなかったので、放っておくわけにはいかんな。アルビナに潜らせてみよう」

 教授たちが乗ってきた“ロッソ”にはダイヴィング用具やその他の装備が積んであった。ただ、は積んでいなかった。どこか安全な場所に隠してきたのだろう。

 これで私が宝石を奪うチャンスは小さくなった。可能性はゼロではないけれども、彼らとはもう数時間で別れなければならない。それに、教授は警戒を続けるだろう。私のことを、まだ疑っているだろうから。

 セニョリータが再びウェット・スーツに身を包み、彼が落ちたとおぼしき場所とその周辺を、30分に渡って調べてくれたが、やはり何も痕跡はなかった。

 周辺の桟橋を、私とヘル・マクシミリアンで調べたが、彼の姿はなかった。数人に聞いてみたが、目撃情報も得られず。

 7時前になり、フェリー・ステーションに人が集まり始めたので、これ以上大がかりな捜索はできなくなった。

 セニョリータには、彼を探してくれた礼を述べた。彼女は着替えるときに、車のトランクの中から彼の服や持ち物を見つけ、「プラザ・ホテルへ持って行った方がいいかしら」と言ってまた泣いていた。

 本当に、彼はどこへ行ったのだろう。もう帰ってこないのだろうか。

「では、これで失礼します」

 最後に、教授に別れの挨拶をした。

「どこか適切な場所まで送らせよう」

「いえ、それも辞退します。代わりに、あのモトを使わせていただければ」

 私がモトの方を見ると、教授とヘル・マクシミリアンもつられてそちらを見た。乗り手を失った美しいシェイプのマシーンが、朝日を受けて燦然と緑に輝いている。

「もちろん、構わんとも」

 教授とヘル・マクシミリアンに握手をし、モトにまたがった。あと少し車体が大きかったら、脚がペダルに届かないところだった。

 セニョリータが、控えめな別れの仕草をしてくれた。同じ仕草を返し、彼が残してくれていたヘルメットを被り、走り出した。ただ、行く当てはない。



 准教授の姿が見えなくなって、十分に時間が経ってから、アロイスは教授に尋ねた。

「なぜ、彼女には真実を言わなかったのです?」

「アロイス、彼女も我々から宝石を奪うつもりでいたのだよ」

「では、それであのような指示を……」

 一昨日の夕方、アロイスが教授から受け取った指示書には、二つの内容が記載されていた。一つは、防弾仕様のウェット・スーツを用意すること。もう一つは、盗むのと同じ型のアタッシェ・ケースを別途用意すること。

 アタッシェ・ケースは、宝石と同等の重さの物を詰めて、上陸予定地点の海中に忍ばせ、海から上がってくるときに、盗んできたものをそれと交換して持ってくるようにと。

 防弾仕様のウェット・スーツについては、上陸地点の付近で待ち伏せしている何者かによる襲撃の対策であると予想が付いた。ただ、実行組のアルビナと錠前師に、同じ指示を出さないのは不可解だったが、二人はアタッシェ・ケースを持たないので狙われることはないと解釈することにした。

 そしてアタッシェ・ケースの“交換”については、襲撃されて奪われることへの対策であることは明らかだった。奪われたらそのまま逃走させ、その後で改めて海に潜り、本物を取り出してくればよい。襲撃がないのが確定しても、同じことをするまでだ。

 その襲撃者がアントニーであったことは意外だったが、彼はまんまと騙されて、偽のアタッシェ・ケースを奪って逃走したのだった。

「気を悪くするかもしれんが、私は他人を100%信用するということがない。意図的に裏切らないまでも、悪気なく失敗して結果的に裏切ることになる場合もあるからだ。6人のうち、君のことは最も信頼していたが、他は誰が裏切っても……もちろん、それが二人でも、取り返しが利くように計画したつもりだ。各人に、少しずつ違った指示を出すのはそのためだった」

「いえ、気を悪くするなど。むしろ、感服しました」

「裏切る可能性が高いと思っていたのは、准教授、錠前師セッラトゥリエーレ、そしてアントニーだ。新入りの二人については言うまでもない。アントニーは外へ出て情報を収集するという役割の特性上、他人から干渉を受けやすい立場だ。しかも彼は功名心が強いわりに、意志が弱い。私や君よりも強い立場の人間が現れて、うまい話を持ちかけられたら、そちらになびきやすいと見ていた。ブランシュはそのための重しだったが……」

「ブランシュが? しかし、彼女はあなたの……」

「アントニーのためだ。私はそんな嗜好は持っておらん。君らにはそう思わせただけだ。アントニーのような女好きカサノヴァが、アメリアやアルビナという美人の仲間がいながら、そのどちらとも深い仲になりそうもないということについて、君は疑問を抱かなかったのかね」

「それは……確かに、不思議に思わないでもありませんでしたが」

 ということは、アントニーは肥満嗜好なのだろうか。任務とあらばどんな女にでも声をかけて誑かすことが得意だが、時折、美人に声をかけるのを嫌がることがあった。准教授の時もそうだ。

 だからといって、その真逆のタイプが好みであるとは、想像もしなかった。

「ブランシュがいれば裏切ることもなかろうと思っていたが、一緒に逃走を企てることも考慮のうちに入れておったし、結果としてブランシュがまさに彼の“重荷”になって捕縛できたのだから、皮肉なことだ」

 教授の用意の良さに、アロイスは舌を巻くばかりだ。この分では、全てを明らかにしてもらうのに、数日かかっても終わりそうにない。

「まだ一つ、気になることがあります。クリシュナンは我々の計画の全貌を知っていたのではないかと思いますが」

「おそらくそうだろう」

「そうすると、金塊を運んだ先に、我々よりも先回りして、横取りするということも考えられますが」

「先回りはするかもしれん。しかし、先回りしたからといって、金塊が容易に回収できないところにあれば、無駄足になるだけだ」

「どういうことです?」

「そこに監視の目があるということだよ。人目が多すぎて、陽のあるうちにはとても入れそうにない場所だ」

「それは、つまり……」

 潜水艇の行き先はカプリ島の沖であると思っていたが、そんなところは“人目が多い”とは言わない。その人目というのは、観光客の目ではないのか。カプリ島の近辺で観光客が集まるところといえば……

「青の洞窟!?」

「そういうことだ」

 美術館に飾られた宝物が、開館時間中には盗みにくいというのと同じことか。

「しかし、あそこへ観光客が来るのは9時からです。それまでは人目がない。クリシュナンは5時過ぎに船でここを出たということは、急げば7時前には向こうへ着きます。それまでは、どうなります?」

「我々の仲間が見張っている」

「仲間? しかし、准教授と錠前師セッラトゥリエーレ以外は皆ここにいますが……」

 まさか、この場にいない錠前師が見張りをしているというのだろうか。撃たれて海に落ちたというのに? しかも、教授は彼が裏切る可能性が高いと言っていたではないか。

「いや、もう一人いる。その男は、君に次いで信頼が置けるのだよ」

「それはつまり……」

 アロイスの頭の中を、もう一人の、姿を消した仲間の顔がよぎった。

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