#12:第7日 (11) 空疎な心
「……では、アルマンが!」
驚かざるを得ない。准教授の進言により、アルマンを切ることを決定したのは教授だった。それでいて、実は密かに彼を登用し続け、最後の見張りに仕立てたということなのだろうか。
「しかし、彼は一度、アルノルドのところへも行っています」
「それは私の指示だ。アルマンが、我々から切られた腹いせに裏切ったと、アルノルドや他の者に思わせるには、それが一番だからな」
「では、彼の行方が判らなくても、心配ではなかったのですか」
「私にはきちんと連絡を入れてくれていたからな。それに、君が毎日の報告で、どこを探す予定かを言ってくれるので、行方不明になるための行き先を彼に教えるのが容易だったよ」
まさか自分の報告が逆用されていたとは、アロイスには思いもよらないことだった。
「しかし、なぜ彼はそれほどまでに信頼が置けるのです?」
「それが判らぬということは、君はよほど男女の機微に疎いようだ」
「というと……」
「アルマンはアルビナに惚れ抜いている。アルビナがいる限り、彼は裏切ることはないのだよ。アルビナをなるべく別荘から出させず、アルマンの世話を焼かせたのは、そのためだ」
「畏れ入りました。全く気付いておりませんでした」
「その分では、自分のことも気付いておらんのだろうな」
「何ですと?」
「君が撃たれたときに、最初に声をかけたのは、誰だったかね」
アロイスにはどうしても思い出せなかった。アントニーが裏切ったことに気が動転して、それだけで頭がいっぱいだったのだ。他のことを考える余裕は全くなかった。
一体、教授は何を見ていて、俺は何を見ていないのだろう?
「さて、アントニーとブランシュにしかるべき処置をして、それからカプリ島へ向かうとしよう。8人だったのが5人になった。分け前が増えるが、私への追加報酬は、あの准教授のような、若い絶世の美人ということにしてくれても構わんがね」
アロイスはもはや、言うべき言葉を持たなかった。
何から何まで、裏切られてばかりだ。この上、女にまで弱みを握られることになったら、俺はどうすればいいのだろう。
心の中が空疎に感じる。ターゲットを入手できなかったときに、同じ気持ちを味わったことがある。しかし、頭を働かせ続けなければならない。
教授は宝石を奪われたと思わせたかったろうが、実際はまだ保持しているに違いない。アントゥアサル・ダリーが裏切りそうなことは、教授にも判ったはず。だから、そのための対策を持っていたはず。
その教授の裏を掻いて、宝石を手に入れることはできるだろうか。
考えるために、まずは一人になれるところへ向かおう。アレキ城がいいだろう。この時間なら観光客はいないだろうし、海を眺めながら落ち着いて考えられる。
マリーナへ来たのとは逆の道筋をたどり、途中の合流でアルフォンソ・ガット通りを直進。クローチェ州道の曲がりくねった上り坂を駆け抜けて、アレキ城に着いた。
もちろん、まだ開館していない。しかし、城の外から海を眺めることはできる。
駐車場にモトを停め、ヘルメットを脱ぎ、石段を登る。入口の方へは行かず、小さな石門をくぐり抜けて、城壁の隙間から海が眺められるところへ来た。
ここには以前、一度だけ来たことがある。見晴らしが素晴らしいのをよく憶えている。眼下にサレルノ湾が弧を描く。ちょうど正面に、先ほどまでいたマリーナがある。記憶の中の光景から、変わっていなかった。
空は澄み渡り、風は優しく、そして海は青く凪いでいる。沖の船は数えるほど。その絵画的な風景を見ても、私の心は透明にならなかった。ターゲットを奪うための思索も進まなかった。
彼はどこにいるのだろう。あの海の底に沈んでいるのだろうか。クリシュナンはどこにいるのだろう。そしてもう一人の女……
「
その女が現れて、声をかけてきた。レベッカ・フォンテイン。マリーナの近くから車で追ってきていたことには気付いていた。
冷たい笑みを浮かべている。赤い髪だからといって偏見を持つわけではないが、彼女の表情には俗物特有の嫌らしさがある。
私は彼女のことを好かない。彼女が
「
「その発音だと、イングランド人みたいに聞こえるわね。ウクライナ人だと聞いていたけれど」
「私はあなたがイングランド人であることしか聞いてない」
「初対面なのに話が早くて助かるわ」
「用件は?」
「これを返しに来たのよ。あんたたちにつかまされた偽物をね」
ミズ・フォンテインがレモン色の物体を投げつけてきた。顔に当たりそうになるのを手で受け止め、一瞬だけ見てみる。ディアマンテ・アル・リモーネのレプリカだった。
粗悪な品質で、一目で誰でも偽物と解るだろう。私はもっとましなレプリカを持っている。それを使って本物とすり替える計画は、まだ実行できていないけれど。
「返す相手が違っているわ」
「あんただって、あの窃盗団の計画の一翼を担ったんでしょう。だったら違ってないじゃないの」
このレプリカを用意したのは、たぶんヘル・マクシミリアン。それを指示したのは教授。この二人のいずれかへ返すべきと思うが、ミズ・フォンテインの屁理屈も解らないではない。
おそらく、私のところへ八つ当たりに来たかったのだろう。とりあえず、そのレプリカをバッグの中に入れておく。持っていれば、何かの時に、目くらましに使える。
「他に何か?」
「聞いていたとおりの、嫌味なまでに冷静な女ね」
私は何もおかしなことを言っていない。しかし、それを指摘すればまた嫌味と言うつもりだろう。非理性的な会話はしたくない。
「他に何か?」
「もう一人の男はどうしたのよ。逃げられたの?」
「知らないわ」
「あんたが薄情だから、きっと逃げたのよ」
「クリシュナン・シュリニヴァーサは?」
私の方から訊いてみた。ミズ・フォンテインは不機嫌な様子を隠さなかった。
「マリーナに泊めた船で待ってるわよ」
「私がターゲットを持っていたら、奪ってこいと言われたのかしら」
「あんたが持ってないのは判りきってるのよ。宝石が入ったアタッシェ・ケースに、触れたこともないじゃないの」
それが判っているのなら、ここへ来るはずがない。レプリカを返しに来たというのなら、もう済んだのだから立ち去ればいい。
私が何か巧妙な手段を使って、ターゲットをすり替えたとクリシュナンが考えたのだろう。彼女は指示を受けて、それを確認するために来たのに違いない。半信半疑ながら。
「私は持っていないわ。これからもう一度奪いに行くために、作戦を立てていたところ」
「作戦なら他で考えなさいよ。こんな人目のあるところですることじゃないわ」
しかし、周りには彼女以外誰もいない。ここはこの時間帯、確かに人目のないところなのだ。
ようやく理解した。彼女は、私が彼とここで待ち合わせをしているのではないかと考えたのだろう。いや、クリシュナンの考えだろうか。
いずれにしろ、その考えは間違っている。私はここに、一人になりに来たのだ。
しかし、確かに彼女の言うとおり、他で良かったかもしれない。例えば、まだ私が部屋を使っていることになっている、ナポリのエクセルシオール・ホテル。あるいは、もっと近いところなら、彼が部屋を取っていたプラザ・ホテル。
後で、そこへ行ってみよう。彼女との会見が終わってから。
「では、お薦めに従って、別の場所へ行くことにするわ。他に何か?」
「本当に嫌味な女ね」
相手に一度毒づくと、止められなくなるという気持ちは理解する。私には無縁の感情だけれど。
「他に何か?」
彼女は何も言わず、私の前に立ったままだった。何かを待っているのだろうか。あるいは誰かを待っているのだろうか。クリシュナンだろうか。
「あれは、クリシュナンの船?」
マリーナから出ていく船が見えた。彼女はそちらの方を見なかった。
「そんなこと言って、目を逸らそうったってダメよ」
「そんなことは考えていないけれど。用がないなら立ち去ってくれないかしら」
「あんたがどこかへ行きなさいよ」
「それでもいいけれど、おかしな動きをしたら撃つから、そのつもりで」
バッグから銃を取り出し、彼女に見せた後、銃口を下へ向けたまま、歩いて彼女の横をすり抜けた。彼女は銃を持っていなかったようだ。
たぶん、アントゥアサル・ダリーに与えたのだろう。どうやって回収するつもりなのか。それとも、私のように、他にいくつも持っているのか。
石段を降りるときに、銃をバッグに戻し、モトに乗った。彼女は追ってこなかった。
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