#12:第7日 (7) 行き着く先は

「ところで、そのウェット・スーツはいつ脱ぐの」

 セニョリータ・ゴディアの心に余裕ができたようなので、他愛のない会話を続ける。彼女をより落ち着かせる効果があるはず。

「え? ああ、でも、シートが濡れるのなんて、気にしてられないわ」

「きつそうだから、脱いだらっていう意味」

「そうね、そうするわ。下は水着だし」

 セニョリータはシート・ベルトを外し、座ったまま器用にウェット・スーツを脱ぐと、丸めて助手席の足下へ押し込んだ。

 水着だと、ウェット・スーツで車に乗っているよりは、違和感が少ない。それに彼女のプロポーションは、水着を着るのに理想的だ。スーツを脱いだときに、ずれてしまった水着の位置を直しながら、セニョリータが呟く。

「アーティーはあたしの水着姿を見ても、何も言ってくれなくて残念だったわ。やっぱり、あなたが近くにいると、あたしが霞むのかしら?」

「彼に私の水着姿を見せたことがないから、判らない。でも、あなたはヘル・マクシミリアンの指示で彼を見張っていると思っていたけれど」

 主に、私と彼が勝手に話をしないように。

「そうよ。最初は、勝手に別荘の中を歩き回って、秘密を探らないようにするためにね。彼を初めて見たときは、好きでも嫌いでもない、どっちでもいい男って思ってたわ。でも、彼が解錠するときの目がかなりセクシーだって気付いて、それからは彼のことを見てるうちに、だんだんといい男って思うようになってきたの」

 やはり、彼の目は女性を引き付けるらしい。私の目には、同じような効果はないのに。

「アーティーは婚約者がいるって言ってたけど、あなたじゃないの?」

「違うわ。私は、彼に好かれていない。警戒されている。一度、ひどい目に遭わせたことがあるから」

「じゃあ、婚約者のこと知ってる?」

「知らない」

 メキシカン・クルーズで彼の裁定者アービターのアヴァターは、従妹だった。仮想世界に入る前に、本当に婚約者がいたのなら、その婚約者のアヴァターを使うはず。だから、現実世界に婚約者はいないだろう。

 ステージ内の女性キー・パーソンからの執拗な誘惑を避けるために、架空の婚約者を捏造したのだろうか。恋人がいないことにしておく方が情報が得やすいはずなのに、なぜそんな、自ら不利になるようなことをするのだろう。理解しがたい。

「あなたは彼のこと好き?」

「いいえ。彼とは深く関わりたくないの」

 私が彼に関わると、きっと彼を不運と危険に陥れる。私が姿を変えていてすら、そうなのだ。

 ただ、今回のステージでは、共同作業をする相手を見つけなければいけないから、やむを得なかったというだけ。

「そのわりに、彼に色々と便宜を図ろうとするのね。サレルノまで送り迎えしたり、モトを買うディーラーを探してあげたり」

「いろいろと借りがあって、頼まれれば断れないから」

「彼が、モトをあんなところに隠していたのも、あなたが手伝ったんじゃないの?」

「いいえ、あれは全く知らなかった」

 モトを売りに行ったディーラーで、彼が少し不審な動きをするのは見た。店員に、メモと金を渡していた。メフラウ・ローゼンガッターがそれに気付かないように、さりげなく話しかけて注意を逸らした。

 しかし、あんなところへモトを運ぶのを頼んだとは、思っていなかった。廃工場の片隅に隠してあったとは。

 だが、なぜ彼はあの場面で、モトが必要になるということを予想していたのだろう? 私の知らない何かを、知っていたに違いない。

 彼は優秀だから、何か小さなヒントを得て、気付いたのだろう。アントゥアサル・ダリーとマドモワゼル・ブランシュの関係を。

 もしかしてそれは、サレルノで、だろうか? 彼らの行き先を考えると、そうなる……

「アーティーがもう追い付きそうね。あたしたちはどんどん離されてるのに」

「やはり運転を代わった方がいいかしら」

「これだけ前が詰まってたら、あたしでも無理。だから代わらなくていいわ」

 だけど、どこかで代わってもらわなければならない。最後は、私がとどめを刺すことになるはずだから。



 よっしゃガッチャ、追い付いたぜ!

 最後の1台、黒い車を路側から躱し、緑のルノーの後ろにぴったりと張り付く。CBコーナー・バックが、俊足のWRワイド・レシーヴァーにマン・カヴァーで追い付いたときの気分だ。

 もっとも、車で走った距離は5万ヤードを越えている気がする。そこまで走らないと追いつけないんじゃ、何本TDタッチダウンを取られたことか。

 さて、ここはどの辺りだ、カーヴァ・デ・ティッレーニかな。とすると、サレルノはもうすぐだろう。

 運転してるダリー氏は、俺のことに気付いてるか。モトが後ろに付いていることは気付いてるだろう。あおってやがる、うっとうしい、早く追い越せ、くらいにしか思ってないかもしれない。

 さて、俺だと気付かせるには、どうしたらいいか。横に並びかけて、ドア・ガラスをノックしてやるか。それはちょっと危険かも。幅寄せされたらこっちが転倒する。

 なら、まずはライトを点滅させる。そして指で銃の形を作って、リアヴュー・ミラーを狙い撃ち!

 よし、気付いた。助手席の肥満女は、わざわざ振り返ってこっちを見ている。加速して逃げようにも、前に車が詰まっている。

 車体を左右に振り始めた。こっちは追い越そうとしているわけでもないのに、何やってるんだ。

 右に寄った!? まさか、下道に降りるのか。

 降りた。どこへ行くつもりなんだ。サレルノへ行くと思っていたのに。こっちだとヴィエトリ・スール・マーレに行くぞ。

 山をどんどん下りていく。この先は下りのヘアーピン・カーヴだ。急に減速した。危ない、ぶつかる! 急ブレーキで危機一髪。こりゃ、ぶつけようとしたんだろうな。

 カーヴを曲がって、まだ降りる。加速力で負けているが、速度制限のある一般道だ、すぐに追い付く。

 追い付いた。S字カーヴを曲がって、車が右に曲がって!? スピンした!

 しまった、このH字型の合流でターンして、サレルノへ行くつもりだったんだ。この前までは、もっと先のランプでA3を降りていたが、こっちの方が奴らの“目的地”に近いのか。気が付かなかった。

 急ぎ、ターンして隣の道に入り、追いかける。幸い、間に車は入っていないし、一本道だ。すぐに追い付いてやる。

 大きく左に曲がると、右の眼下にサレルノの港が見えてきた。しかし、ここはまだ崖の上の道。もっと降りなければならない。

 東の空が、うっすらと明るくなっている。まだ5時前だが、夜明けが始まったようだ。ああ、君よまさに見ゆるかオー・セイ・キャン・ユー・シー曙の早き光にバイ・ザ・ドーンズ・アーリー・ライト。これは前のステージでも唄ったな。

 ルノーが見えた。追い付くぞ。いや、また減速した? え、右折!?

 そうか、この前、バスに乗って登ってきた道は、反対方向の一方通行だったんだ。いかんな、さっきから道路に翻弄されている。

 ルノーを追いかけて、右折。そしてまた右折。今度は港が左手の下に見える。この下り坂の先は、またヘアーピン・カーヴ。そこでようやく港と同じ標高になる。

 そのカーヴを、車体をぎりぎりまで傾けて回る。この先で、差を付けるのはもう無理。それに、奴らがどこへ行くかも知っている。

 しかし、油断は禁物。交差点を通るときに、横から車が突っ込んでくるかもしれない。ただ、交差点なんて、この先のフェリー・ターミナルの前しかないと思うけど。

 コンテナ・ターミナルの前を通り過ぎ、右手にマリーナが見えてきた。海にヨットの帆柱が林立している。

 その向こうに、見憶えのあるフェリー・ステーションの建物が見えてきた。まだ灯は入っていない。当たり前だ。こんな早い時間に出発する船はない。

 フェリー・ステーションの方へ行く交差点を、ルノーがタイヤをきしらせながら高速で右折する。こちらも負けずに高速で回る。

 一瞬だけ、正面から左手に過ぎ去っていくのは、これまた見憶えのあるクレセント・ムーン・ホテル。その少し先を左に折れると、正面にフェリー・ステーションが見えてきた。

 さあ、終点だ。おっと、ルノーが加速した!? 海へ突っ込むつもりかよ!

 いや、桟橋の手前でスピンして、急停止した。こっちもフル・ブレーキング!

 間一髪、ルノーの前で停止した。いや、バンパーに前輪が当たった。このまま俺を轢くつもりか?

 違う違う違う! 奴め、180度ターンして、ヘッド・ライトをこちらへ向けて、目潰しをしようとしたんだ。

 しかし、残念だったな。そんなこともあろうかと、ヘルメットの中にゴーグルを着けたままにしておいたんだ。途中の道が、暗くて見えにくくて大変だったけどさ。

 ドアが開く音がした。走る足音が遠ざかっていく。逃がすものか。少しバックして切り返し、走る二人を追う。

 車で桟橋の入口を封じたつもりだろうが、モトが通るには幅1ヤードも要らない。車の脇をすり抜けて、桟橋に入る。

 逃げる二人の姿を、ヘッド・ライトで照らす。遅い、遅すぎる。肥満女め、無駄に太ってるから、肝心なときに走れないんだ。そんなんじゃあ、40ヤードに15秒かかるぞ。

 ライトを点滅させると、二人が振り返ってこっちを見た。恐怖の表情してんじゃねえ! 誰がお前らなんぞ轢くものか。マシーンがけがれる。

 ぎりぎりまで近付いてから、急旋回で躱す。追い越して、スピン・ターンして、真正面からライトで照らしてやった。追いかけっこは終了だ。

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