#12:第7日 (3) 仕掛けられた罠

錠前師セッラトゥリエーレ! 返事をしろ! 何があった?」

 前からずっと疑問だったんだが、どうしてマクシミリアン氏は、俺のことを名前で呼んでくれないんだ?

「金庫の扉を開けたら、弾が飛んできた」

 エレヴェイターのかごに入り、天井の穴から上を覗きながら言った。マクシミリアン氏の、さほど心配そうでもない顔と、その向こうにアルビナの呆然とした顔が見える。

 天井からは簡易縄梯子がぶら下がってる。こんなものを用意してたのか。

「弾だと?」

「やけに簡単に錠が開いたんで、扉を開くときに用心したら助かった。ついでに報告すると、金庫の中は空っぽだ」

 金庫の前の床に埃が積もっていて、足跡もないというのが不自然すぎた。しばらく開けたことがないんじゃないかという感じだったので、解錠する前から用心してたら、この仕打ちだよ。

 扉の陰に隠れながら開けて、正解だった。覗き込んでたら大変なことになってた。

「無事で良かった。上がって来い。エレヴェイターの釣合錘コントラッペソの代わりに、金塊入りのアタッシェ・ケースがぶら下がっていた。そいつを運び出す」

 ほう、それはそれは。さっき、エレヴェイターに乗った瞬間、そういうこともあるかと頭に降って湧いたんだが、まさかそっちまでボナンザだったとはね。

 しかし、片手で縄梯子は登りにくいな。そうだ、こいつは下に結びつけておこう。



「運がいいわね。アルマンなら怪我するか、下手したら死んでたかも」

 運転席で、メフラウ・ローゼンガッターが呟く。彼が危険な目に遭ったことを、特に気にしていないようだ。

 金庫がダミーだと知っていたのだろうか? ヘル・マクシミリアンは気付いていたようだ。おそらく、教授から何か示唆されたのだろう。

 セニョリータ・ゴディアは、エレヴェイターの中で初めてその話を聞いたみたいだった。であれば、メフラウ・ローゼンガッターは、いつそれを知ったのだろう?

 彼女は出発前に、ヘル・マクシミリアンと同じ部屋にいた。その時に、何か聞いていたのかもしれない。しかし、それならなぜセニョリータ・ゴディアは、もっと後に聞いたのだろう?

 そして、金庫がダミーである可能性は、なぜ彼に教えられていなかったのだろう?



 かごの“屋根”に上がると、マクシミリアン氏とアルビナがアタッシェ・ケースを運び出しているところだった。釣合錘バランス・ウェイトは、さながら5段の本棚で、そこへ本の代わりにアタッシェ・ケースが収められていた。大した仕掛けだ。

 かごの屋根は、真ん中に鋼鉄のケーブルが取り付けられているものの、その他は平坦な“床”になっていて、普通に歩くことができる。通常の屋根の上に別の床を張ったのだろう。高さも、広間にぴったりだ。

 ところで、金庫は時間内に開けたものの、その後色々とトラブルがあったものだから、既に1分ほど余計に時間を食っている。しかし、既にアタッシェ・ケースの運び出しは始まっているから、俺が手伝えば少しは遅れが取り戻せるだろう。

 重いアタッシェ・ケースを持って急ぎ足で歩くと、“床”が上下に振動して、気持ち悪くなりそう。大急ぎで全てのアタッシェ・ケースを運び出したが、時間の遅れはあまり取り戻せなかった。せいぜい15秒ほどか。

「50個しかないぞ。宝石はどこだ?」

 マクシミリアン氏が、ケースに搬出器具を取り付けながら呟いている。それはそうだろう。棚は5段で、各段にケースが10個ずつ入っていた。足りないに決まっている。

 しかし、こう考えれば解りやすい。金塊のアタッシェ・ケースは、エレヴェイターのかごが下の階にあるときに取り出せるようになっていた。ならば宝石は、かごが上の階にあるときに取り出せるところにあったのではないか。

 さて、それはどこか? 答えはいつ発表すればいいだろうか。

「アルビナ、エレヴェイターの原状復帰は必要ない。宝石のアタッシェ・ケースを探してくれ」

 全てのケースに搬出器具を取り付け、アルビナが窓からロープを設置した後で、マクシミリアン氏が言った。「了解!」と言ってアルビナがエレヴェイターの中に入って行ったが、そこで声をかける。

「ヘイ、アルビナ、縄梯子を回収してくれ。宝石のアタッシェ・ケースはその先にぶら下げてある」

「何ですって!」

 アルビナが叫んだ。声が大きいって。窓際にアタッシェ・ケースを運んでいたマクシミリアン氏が、飛ぶように戻って来た。

「どういうことだ?」

「そのアタッシェ・ケースは、ピットの中の簡易金庫に入れてあった」

 ピットというのは昇降路シャフトの底の穴のこと。通常、事故でかごが落下したときに備えて緩衝装置が設置してある。

 かごが降りていたらピットには入れないが、途中までしか降りていないときに覗いてみたら、分電盤のようなボックスがあった。こんなところに電源があるわけないので、他の物を入れているに違いない。ボナンザというわけだ。

 少々精巧なディスクタンブラー錠だったが、金庫のものよりは簡単だったんで、15秒で開けてやった。

でかしたぞブォン・ラボロ! アルビナ、そいつに搬出器具を付けておいてくれ。エレヴェイターは扉を閉めておくくらいでいい」

「了解! アーティー、あなたってやっぱり冴えてるわ!」

 やっぱり? 案外じゃなかったっけ。まあ、いいや。

 マクシミリアン氏と共に、ロープでアタッシェ・ケースを海へ落とす。自由落下ではなく、途中から一定速度で降りていくのが面白い。なかなか冴えた仕掛けじゃないか。

 ところで、このロープは少し沖に向かって斜めに張ってあるが、いったいどうやったんだ? ひょっとしてロープ・ランチャーで打ち込んだのかね。



 足音が近付いてきた。サイド・ミラーを見る。アントゥアサル・ダリーだった。予定どおりの時間に、戻ってきたらしい。運転席の窓をノックする。メフラウ・ローゼンガッターが窓を開けると、「どういう状況?」と訊いてきた。

「トラブルがあって、少し遅れてるわ。今、アタッシェ・ケースを海に落としているところ。ここで何もなければ間に合うかもしれないけれど」

「トラブルって?」

「金庫がダミーだったの。金塊と宝石は、他のところに隠してあったのよ」

「まさか!? それでよく見つけられたな。ちょっと待っててくれ。着替えてくる。その後で話を聞くから」

 メフラウ・ローゼンガッターが後ろのトランクを開ける。アントゥアサル・ダリーはそこから服を取り出して――見えなかったが、おそらくそうして――、“ヴェルデ”の陰で着替え始めた。

 ヘル・マクシミリアン氏からは、特に何も連絡がない。アタッシェ・ケースの投下は順調に進んでいるらしい。

 もっとも、途中まで何も問題がなくても、最後の一つで引っかかることもある。しかし、たぶん――彼のシナリオ進行の運の良さを持ってすれば――うまくいくのだろう。



 アタッシェ・ケースを全て投下完了。すっかり軽くなった荷物を持ち、テラスへ出る。アルビナがフランス窓に処置をしているが、「エレヴェイターがあんな状態なのに、これって今さら必要あるのかしら」と苦笑している。

「やらないと非常ベルが鳴り出すんだろ」

「エレヴェイターのかごが上がってないっていうだけで、鳴る可能性があるのよ?」

「確かにそうだ」

 マクシミリアン氏からアンナに訊いてもらう。余計な時間を使うようだが、逃げるときの用心のためでもある。今、ゼロ時より28分を過ぎたところ。余裕時間が2分半あったおかげで、何とか30分以内に収まりそうというところだが。

「非常ベルは鳴らないが、セキュア状態に戻った直後に、警備会社が異常を検知するそうだ。30分前とエレヴェイターの状態が違っているから、という理由だ」

 なるほど、警備システムとしては、一瞬でエレヴェイターが動いたように見えてしまうわけだ。誤検知の可能性も含めて原因調査に何分かかけるだろうが、先に屋敷に一報が入ってくる可能性もある。引き延ばしをするかどうかは、教授とアンナの判断に任せるか。

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