#12:第6日 (7) 余計な誘惑
「さて、警備システムのインセキュア保持時間が、予定では30分間であり、タイムテーブル上のその終了時刻は27分30秒後までであるから、2分半の余裕がある。しかし、タイムテーブルはそれぞれの作業の最短時間に基づくもので、実際には作業自体やその合間に多少のロスが発生することが明らかだ。そして、ロスの可能性が最も大きいのが、窓からアタッシェ・ケースを窓から海へ落とす作業だ。これにはアルビナの作った道具を使うのだが」
そう言ってマクシミリアン氏は、テーブルの上から滑車の付いた器具を取り上げた。
「こいつを使って、ロープ・ウェイの要領で降ろすわけだが、50個もあれば一つや二つ、引っかかってうまく落ちない可能性もある。アルビナは一つも失敗するはずがないという自信を持っているがね。そして2分半の余裕時間のうち、この作業のロスに最大2分間を割くことを想定している。さて、
マクシミリアン氏は器具をテーブルに置いて俺の方を見た。みんなの目が俺に集中する。アルビナの視線だけが熱くて、後は冷たい。
「君には3分以内に解錠することを求めている。それにも余裕時間を充てたいのが、残りは30秒だ。君の作業は、アタッシェ・ケースを窓から海へ落とすよりも前だから、君のロスは後の作業の余裕時間の削減に直結する。ただし、前にも言ったが、准教授はインセキュア時間を1分程度は延長できそうとのことだ。結局のところ、君に与えられる余裕時間は1分半、つまり4分半以内に解錠してもらう必要がある。島の金庫室はここより環境が悪く、なおかつ四つの錠を順序どおりに開けるという条件がついている。入念に訓練して準備をしてもらいたい。何か質問は?」
「他の作業で、時間を短縮できるものは?」
「どの作業も余裕時間を含んでいる。うまくいけばさらに1分や2分の余裕はできるだろう。しかし、それを最初から当てにしてもらっては困る」
「俺の作業は、金庫を開ける以外に、ガラスを破ったり、アタッシェ・ケースに搬出器具を取り付けたり、それ使って海にアタッシェ・ケースを落としたりというのがあるが、それはいつ練習する?」
「どれも熟練の必要がない簡単な作業だから、後で少し練習時間を取ればできるようになる。ガラスを破ったことはないのか?」
「ないよ。そういう
「アルビナが道具を用意している。窓枠にガラス切りを設置すれば、後は自動でやってくれる。使い方を習っておいてくれ。搬出器具の取り付け方と使い方もだ」
「教授とブランシュはなぜ現場に来るんだ?」
「拠点を三つに分けると、緊急時の指揮に手間取る可能性がある。教授と、クラッキング担当の准教授が同一拠点にいれば、それだけ対処がやりやすくなるという想定だ」
ブランシュが現場に来る理由は、教授の付き添いということだな。
「根本的なことだが、俺たちが入ろうとする時間にまだ広間に誰かいたり、作戦の途中で入って来たりする可能性は?」
「広間へ入るには警備システムがインセキュアでなければならないので、誰かいるか、あるいは入って来そうかは、システムの状況で判断できる。過去のログを確認したが、夜中の1時から5時までの間に、広間のセキュアが解除された実績はゼロだ」
「それでも万が一、途中で入ってきたら」
「外からにせよ、2階からにせよ、1階に入る時点でまず錠の付いた扉を通る必要がある。この錠はもちろん警備システムと連動しているのだが、広間内をインセキュアにしながら、錠だけをシステムによって開かなくするということが可能だ。開けようとしても開かなかったら、システムに異常があるか調べようとするだろうが、その間の時間が稼げる。もっとも、我々は作業を中断して脱出することくらいしかできなくなるだろう」
「最後の方で、潜水艇にアタッシェ・ケースを積み込む、というのがあったが、潜水艇とはどんなもので、積み込み作業はいつ練習する?」
「実際は潜水艇というほど大袈裟なものではない。ボートを沈めてあるだけだ。それも後でアルビナが見せるだろう。作業は俺とアルビナでやる予定だ。君はアタッシェ・ケースを我々に手渡してくれればいいだろう」
「解った。今のところ他に質問はないが、アルビナやアンナと色々と意識を合わせておく必要がありそうだ」
「そうしてくれ。では、昼食までいったん解散する」
昼食の皿洗いの後、金庫の前で解錠の訓練を始める。もちろん、番号とピンの変更係として、アルビナが付き合ってくれている。
以前の徹夜の時と同じく、金庫の二つのソファーの間において、アルビナと向かい合わせに座り……ということにしたいのだが、アルビナが向かい側のソファーに座ってくれない。寝転がりはしないが、俺の横に座ってもたれかかりながら、タブレットで何かしている。
左側からもたれかかられているので解錠の邪魔にはならないが、単に重たい。そしてたびたび質問を発する。
「昨夜、あなたの部屋へ行ってマッサージしてあげようと思ったのに、どうして戻って来なかったの?」
「アンナにインセキュア時間の引き延ばしがどれくらいできるか相談してた」
「彼女のこと、好きなの?」
「そんなことは言ってない」
「私の横で寝てなかったみたいだけど、どこで寝てたの?」
「このソファー」
「アンナの部屋で寝たんじゃないの」
「寝てないよ。彼女に訊いた?」
「訊いたわよ。彼女も、そんなことしてないって言ってた」
「二人が同じこと言ってるんだから、信用してくれ」
「口裏合わせてるかもしれないじゃないの」
「彼女はそれほど俺に親切じゃないよ」
「朝、どうやって抜け出したの?」
「みんなが寝てる間に、普通にドアから出て行った」
「ソレントの町までどうやって行ったの?」
「走って行った。30分くらいだったかな。ほとんど下り坂だったから楽だった」
「モトはどこで買ったの?」
「昨日、ナポリで。たまたま目に付いた」
「即金で買ったのかしら。案外、お金持ってるのね」
「借りられなかったから、仕方なくローンを組んだ。払いきれないからすぐに売る」
「サレルノで誰と会ってたの?」
「ダイヴィングのインストラクター」
「嘘。
「なら、そう言えばいいのに」
「やっぱりデートしてたんでしょ」
「ダイヴィングを教えてもらったのは本当だ」
「あたしに言ってくれれば教えてあげるのに」
「君のプロポーションが良すぎて、集中できないんだよ」
アルビナは今もまたゆるゆるの服を着ている。昼食の前までは、普通の服だったのに。
マクシミリアン氏とダリー氏は港へ行ってヨットの点検をしているから、別荘には他にアンナとアメリアしかいない。その二人は部屋に閉じこもっているが、いつ何時この部屋に来るかもしれないので、あまり誘惑しないで欲しい。
アンナには見られても構わないが、アメリアには、どうもね。
「見てもいいって言ってるじゃない」
「集中できないのが困るんだよ」
「見続けてればそのうち慣れるわよ」
「それほど時間がないからな」
「ナポリやサレルノへ遊びに行く時間はあるのに?」
「俺はここへ観光に来たんだから、遊びに行くのは最初からの予定だよ。むしろ、遊びの時間を削って君たちに協力してるんだ」
「この仕事が終わればいくらでも遊べるわよ。滞在を延ばせばいいじゃない」
それは無理だって。俺には1週間しかない。君らだって、実はそうなんだぜ。半年前からの記憶を持ってるみたいだけどさ。
「合衆国で仕事が待ってる」
「仕事なんてやめなさいよ。お金がたくさん手に入るんだから」
「合衆国で婚約者が待ってる」
「嘘でしょ。ナポリ観光に、婚約者を連れて来ないなんて、信じられない」
「君だって、恋人も婚約者も連れて来てない」
「まだいないもの。でも、見つけたわ。私、あなたと恋人になるの。二人で組んで、世界中で泥棒して回るのはどう?」
組んではいないけど、世界中で泥棒ってのは既にやってるって。正しくは“やらされてる”んだけどな。
「俺は作戦を考えられないけど、君が考えるのか?」
「難しいわね。だからって、アンナも引き込もうって提案するつもりかしら。美女を二人も侍らせて泥棒三昧の生活? ちょっと贅沢すぎると思うわ」
勝手に想像しておいて、何を言うか。
「彼女は苦手だ。仲間にしたくない」
「彼女の料理上手なところは好きだけど、その他はよく判らないわ。でも、彼女よりあたしの方が、あなたのことを好きなのは確実よ」
どうやって比べたんだ?
「俺は君のことをまだよく知らない」
「これから知り合えばいいのよ。何なら、今からどう?」
抱き付いてくるなよ、解錠の邪魔になる。
「今は解錠の訓練の方を優先したいんだけど」
「2時間くらいなら何とかなるわよ」
2時間も保たないっての。話を逸らそう。まだ聞いてないことが、何かあったはず。
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