#12:第5日 (2) ノルウェイの真実 (4)

「エルラン教授がクレヴァスに落ちなくて良かった」

 マルーシャの“魔性イーヴァル”を知っていて、可能な限り近付かなかった慎重さによるものだろう。でも俺は彼女に“接触”したことさえあるのに、なぜ不幸に襲われないんだ。

「彼は、私のスキー板を使ったんだと思う。あれは、クレヴァスに降りる前に脱いだから。十字クロスに縛って背負っていれば、クレヴァスに落ちても板が引っかかって、奥まで落ちずに、自力で上れる可能性が高くなるわ」

 そういう安全装置もなしにクレヴァスに近付いて無事でいたなんて、俺は本当に悪運が強いな。

 車は急激なヘアピン・カーヴを描いて南へ折り返した。A3からソレントへの枝道に入ったようだ。

「今回は俺も十分注意しておこう」

「注意だけでは済まないかもしれないのに」

「君がどんな“魔性イーヴァル”を発揮しようとも、幸か不幸か、俺は見ていないし、巻き込まれてもいないんでね。君には1回殴られただけだ」

「それでも、あなたを特別扱いしているわけじゃないわ。だから、組むのを断られると思っていた」

「それが嫌で、さっきケーキで買収しようとしたんじゃないのか?」

「いいえ、最後の晩餐になるかもしれないと思っただけ」

「そういえばスピテルストゥレンでも一緒に夕食を摂ったな。あれも最後の晩餐のつもりか」

「ええ」

「じゃあ、参考までに、俺がガルフピッゲンの頂上へ12時までに到達していたら、どういう作戦を採る予定だったか、聞かせてくれ」

「特に大きな違いはないわ。あなたと教授の対応によって、細部が違うだけ」

「俺が先に下山する列に加わっていても、君は襲撃してきた?」

「ええ」

 ただし……救助隊に付いて行くのが一人だと、途中で隙を見て、誘拐犯からターゲットを奪うことができるだろう。しかし、二人だと難しい。互いに牽制し合うからだ。

 それに、途中でスノーモービルに強制的に乗せられて、先にユーヴァスヒッタに連れて行かれてしまう可能性が高い。教授一人だから、うまく取り入って、徒歩の一行に加わらせてもらえたのだ。

 だから、教授は作戦を変える。第1の作戦は、俺をマルーシャと一緒に頂上に残るよう仕向けること。俺に何らかの取引を持ちかけてきたかもしれない。

「その取引には乗れないかもしれないな。教授だけが一行に加わる理由がない」

「私もそう。ただ、もしあなたが私と頂上に残ることになったとしても、私はあなたを山小屋に閉じ込めて、さっき言った襲撃を実行していたと思う」

「暴力は振るわないって約束したのに?」

「暴力でなくても、あなたを不意打ちして足止めするくらいの方法は、いくらでもあるわ」

 本人を目の前にしてそれを言うかね。しかも、今回はこの後、共同作業コラボレイションが待ってるんだぜ。

「色仕掛けが一番効くと思うね」

「いいえ、純情な女を演じるのが一番効果的だと思う」

 しかも、その考えは当たってるし!

「それはいいとして、第2の作戦は」

「頂上に3人で残って、話し合いをして、ターゲットの獲得に挑戦する順番を決める。これは、共謀に当たらない」

「話し合いなんかで決まるもんか。コイン・トスで決めたって、俺は納得しないぞ」

「当然。だから、第3の作戦。レディー・ゴーの合図で、ターゲット獲得レースを開始する」

「教授が一番不利だ。頭はいいかもしれないが、体力で負けるだろう」

「第4の作戦。レディー・ゴーの合図は、私たちがスピテルストゥレンに着くまで保留とするよう、協定を結ぶ。氷河における危険を回避するため。そして3人で何事もなく下山する。これも共謀には当たらない」

「その間に教授は色々と作戦を立てそうだから、俺は拒否したいところだが、君もそうだろうな」

「もちろん」

「第5は?」

「ないわ。私が考えたのは四つだけ」

「教授なら考えていたかもしれないが……」

 少なくとも今の四つの作戦はどれも、教授にとって特に有利なものではない。むしろ不利が多い。

 実際には、俺が頂上に12時までに到着しなかったのだから、これ以上想像を巡らせてもあまり意味はないだろう。

「つまり、教授にとっては、俺が遅れて来ることが、一番有利だったわけだ」

「そのために、セルベルグ准教授を使って、あなたの出発を遅らせたんだと思うけれど」

「そうなのか?」

「残酷なことを言うようだけれど、彼女はあなたの時間を最も多く奪うキー・パーソンとして設定されていたと思う。最も効率がいいのはモード・ウルリヒセンだったはず」

 それは確かにそうだ。カーヤは紙幣の暗号の謎を解いてくれたのはいいけど、夜中の1時過ぎまで俺を拘束したし、朝食の時も時間を取って出発が遅れた。モードは本を探す協力をしてくれたりして、なるべく俺の時間を使わないように……

 いや、ちょっと待て。どうしてマルーシャはカーヤが俺の時間をたくさん使ったことを知ってる? それに、教授も知ってたってことだよな。

 それって、俺の行動が、二人に完全に見抜かれてたってこと? マルーシャは盗聴してたんだろうけど、教授は計算で? 数学で人の行動が解るのかよ。それこそ、数理心理学だろ。

「逆に、君にとっては、俺が早く来ることが一番有利だった」

「有利とは思わないけど、一番穏便な策が採れたと思うわ」

「変なことを訊くようだが、俺が一番有利になる作戦ってあったのかな」

「スピテルストゥレンの山小屋に私を足止めしていれば、あなたが一番有利になったはずだわ」

「足止めする方法が思い付かない」

「今、思い付いても仕方ないわ」

「それに、足止めとかはフェアじゃない」

「でも、教授はあなたを足止めしたのよ。たとえそれが1時間でも。それに、私は移動先のヒントをいくつかあなたに与えた。それは、ヒントを得る機会をあなたから奪うのはフェアじゃないと思っただけじゃなくて、あなたを利用すれば、私が有利になる状況が生み出せるはずと思っていたから」

「それは共謀じゃないのか」

「あなたに相談はしていないし、あなたは合意もしていない。私が一方的にあなたを利用するのは、共謀じゃない」

 確かに、そうだ。フットボールのスクリーン・プレイは、相手のディフェンスを呼び込んで、その後ろにパスを通してゲインする。言うなれば相手の力を利用して、自チームが有利になるようにしている。しかし、それは相手を利用しただけで、共謀ではない。

「そして今回も俺は、君に利用されようとしている」

「断っても、構わないわ。あなたとの貸し借りには関係ない」

「君に貸しなんかあったっけ」

「メキシカン・クルーズのときの借りがあるわ」

「あれは“今後、暴力を振るわない”でチャライーヴンにしたはずだ」

「そんな物では釣り合わないほど大きい借りなの」

「自発的に返すことはしないんだな。いや、この前は自発的に返してくれたんだったか」

「いいえ、あれもまだ、私の借りのまま。私がクレヴァスから脱出できなかったら、ターゲットはロストしていた。あなたはそれを防いだのだから、ターゲットはあなたに帰すべきものだった。だから、私が保持したまま退出しても、没収されていたと思うわ。バックステージで申請した理由は、無理矢理の後付けでしかない」

 長いトンネルを抜けて、ソレントの市街地まで戻ってきた。1時近くでも、まだ街の中は明るい。スペインやイタリアなどの南欧は、夜の時間が遅くから始まる。

「あなたには、好きなタイミングで借りを返す要求する権利がある。そのことは、憶えていて」

「このステージではターゲットを君から譲ってもらうことはできないし、もしターゲットを獲得して、君が七つ揃えてゲームを終えてしまったら、もう返すタイミングがないな」

「ターゲットを譲渡する以外の返し方もあるわ。例えば、あなたの命が危なくなったときに、私の命に替えても守るとか」

「君はあのとき、命以外なら何でも、と言ったはずだ」

 船室でのティー・パーティーの後で。

「いいえ、前回、あなたは私の命を救ったの。だから、私はあなたに命を要求されても従う心の準備があるのを、憶えておいて」

「俺は君の命運を握る神ザ・フェイトというわけだ」

「ええ」

 運命の女神ザ・フェイツは三姉妹なんだがなあ。

「しかし、俺には帝国騎士インペリアル・ナイトって肩書きもある。騎士は主君のために命をも厭わない存在であって、淑女レディーから命を守られるものじゃない」

「私はあなたの主君ミストレスでもないし、淑女レディーでもない。ストック・キャラクターの“邪悪な女ダーク・レディー”だわ」

「邪悪でも淑女レディーなら、危機のときに俺が守る必要がある」

「そんな肩書きは捨てればいいのよ。どうせ架空のものなのに」

「捨てられんね。何せ、俺の名字ファミリー・ネームは元々ナイトだからな」

「いいえ、今回だけでも、捨てて。対等の関係でないと、共同作業コラボレイトできない」

「却下だ。今回に限らず、競争者コンテスタントどうしは元々対等の関係のはずだ。借りだの貸しだの言ってるのは、君だけだぜ。君が俺の行為を貸しだと思っていようが、俺の知ったことじゃないな」

 隠れ家に着くまで、マルーシャは何も言わなかった。

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