ステージ#12:第5日
#12:第5日 (1) ノルウェイの真実 (3)
第5日 2038年6月28日(月)
「君のことを好きなのか嫌いなのか、正直なところ、俺自身もよく解ってないんだ。君の話を聞くと、それがはっきりするってことか」
「ええ」
「しかし、君が想定していた事象は起こらなかった。頭の中で考えただけで、実現しなかったことなのに、それをもって好きになるとか嫌いになるとか、判断できることじゃないと思うがね」
「合衆国民らしい、現実的で前向きな思考ね」
「そういう風に刷り込まれたからな、子供の頃から。それに君は、俺に嫌われそうだから話したくない、隠しておきたいと思ってるのか?」
「いいえ、あなたが聞きたいのなら話すわ」
「聞かせてくれよ。俺は君の正体が知りたい」
夜中だというのに、反対車線にはヘッド・ライトが列をなしている。低い峠を越えると、カーヴァ・デ・ティッレーニの街の灯りが見えてきた。小さな街のはずだから、あっという間に通り過ぎるだろう。
「それを聞いて、君がたとえ悪女のように、いや、最低の女だとしか思えなくても、俺の力で君を更生しようとか、そういう甘ったれたことは考えないから、安心してくれ」
「まず、山頂の状況」
マルーシャと教授は11時半頃に山頂に到着。もちろん、一緒に登ったのではなく、マルーシャは教授の跡を付かず離れず追っていたらしい。教授はきっと、迷惑そうな顔をしていただろう。
山頂付近には既に10人以上の男がおり、マルーシャと教授は彼らから「山小屋に近付かないでくれ」と言われた。山岳救助隊だった。遭難者を救助中とのことだったが、マルーシャの見立てでは、明らかに“山小屋に立てこもった誘拐犯を説得しているところ”だった。
「もちろん、そいつが“ターゲット”を持っている女をそそのかして、山頂まで連れてきたんだろうな」
「ええ」
予想どおり、“ロキ”が“黄金の林檎”を持っている“イズン”をたぶらかした、という筋書きだったようだ。二人の名前が知りたいくらいだな。
12時頃になってようやく男の“救助”に成功。要するに説得に成功したというか、投降させたというか、そういうことなのだが、山岳救助隊はあくまでも救助と言いはっていたらしい。
しかし、山小屋から連れ出された男は、犯罪者よろしくロープで救助隊の二人につながれていた。女の方は担架で担ぎ出されていたが、マルーシャの観察では「薬で眠らされていた」。
直後に山頂と山小屋は開放された。教授は素早く山頂を見に行き、すぐに戻ってきて救助隊に「ユーヴァスヒッタの方へ降りたいので、同行させて欲しい」と頼んでいた。
氷河越えのルートがあるからだが、救助隊は“遭難者――ということになっている誘拐犯――と怪我人”を連れているので、渋っていた。
だが、教授はあの軽やかな話しぶりで救助隊をうまく丸め込んでしまい、一緒に降りることになった。
救助隊の一人はマルーシャに、一緒に降りるかと訊いてきたが、彼女はスピテルストゥレンの方へ降りると言って断った。そして彼女は山頂へ登ったり、山小屋を見に行ったりした。もちろん、救助隊を先に降りさせるための時間稼ぎとして。
隊が降りてしばらくしてから、マルーシャは密かに跡を追った。時々、前の様子を双眼鏡で窺うと、隊は先導一人、担架6人、誘拐犯を連れた二人、しんがり一人の列になって降りていた。教授はしんがりと話をしていた。
岩場を過ぎて氷河に入るとスノーモービルが5台置いてあった。担架を担いでいた6人はそれに分乗し、怪我人と共に先に降りていった。
残されたのは救助隊4人、誘拐犯、そして教授の計6人。誘拐犯をスノーモービルに乗せなかったのは、3人乗りのものがなかったからに違いない。普通の遭難者と違って、二人乗りの後ろにおとなしく乗っているわけがないから。
隊はついでに、教授をスノーモービルに乗せて先に降ろしてしまいたかったろうが、また教授に言いくるめられたのだろう。教授はターゲットを奪うのが目的で同行しているのだから、先に降りてしまうわけにはいかない。
そしてこの6人がロープでつながり、一列になって氷河を降り始めた。隊員二人、誘拐犯、隊員一人、教授、隊員一人という並びだった。
マルーシャは氷河の入口でスキー板を履き、追跡と“襲撃”の準備を整えた。
「スキー板なんて担いで登ってたのか」
「折りたたみの、ショート・スキー。本来は逃走用に用意したものだけれど」
「君がクレヴァスに落ちた現場の近くには、スキー板なんて落ちてなかったけどな」
「後で説明するわ」
スノーモービルが遥か下に降りてしまい、徒歩の一団が氷河の4分の1ほどにさしかかったところで、マルーシャが“襲撃”を開始。
スキーで滑走し、一行に接近して、銃で列の先頭の隊員を狙撃した。「かすり傷しか負わせないように狙った」らしい。
隊員たちは慌てふためくが、応戦する術を持っていない。雪面に伏せて襲撃を躱すくらいしかできないが、ここで誘拐犯がロープを外して、逃走した。もちろん、それがマルーシャの計算。
隊の後ろ二人は誘拐犯を追いたいが、教授とつながってしまっている。もたもたしているうちに、マルーシャはそれを追い抜いて誘拐犯を追走。
しかし、前を行く男の姿が、突然消えた。クレヴァスに落ちたのだ。
あの雪原の光景は、脳裏に鮮やかに蘇ってくる。見渡す限り真っ白な世界。今、フロント・ガラスの向こうに見えているのは真っ暗な夜の世界。ヴェスヴィオ山の影が、地平線に近い星空を遮って、黒く浮かび上がっている。
「それで、君は?」
「後を追ってクレヴァスに降りた」
降りた? 落ちたんじゃなくて? まさか、そんなことまでするとは……
「彼はまだターゲットを身に着けているはずだから。救助隊員たちは、彼を誘拐犯としか思っていなかった。それは、山頂で男の表情を見たときに、想像が付いたわ。そして、襲撃したときに逃げ出したのが、その傍証」
ターゲットを取り上げられていたら、逃げる必要がない、ということか。
「それに、彼は5メートルほど……17フィートほど下の、狭くなったところに引っかかっていた。だから、助け上げることができるかもしれないと思った」
「助けるつもりだったのか」
「ええ、可能性は低いけれど。でも、彼は顔面に大怪我をして、気絶していた。ターゲットは防寒着の内ポケットに入っていた。抜き取るときに、バランスを崩して落ちそうになったけれど、その時はまだ無事だった」
その後、救助隊員二人がクレヴァスの上に来て、声をかけてきた。マルーシャは男の下に隠れて、返事をしなかったが、すぐにザイルが降りてきた。それを気絶した男の身体に巻き付け、引き上げられるようにしてやったのだが。
「引き上げようとした瞬間、彼の身体のバランスが崩れて、私の上に落ちてきた。ぶつかられて、下に落ちて、怪我と骨折をして。彼の身体を躱して、何とか踏みとどまるだけで精一杯だったわ。彼は助けられなかった。それに、上からもう一人落ちてきた。二人が、どこまで落ちていったのか、判らない。下は暗くて何も見えなかった」
救助ザイルを降ろすときは、器具を使って一端を雪面に固定しているはずなのだが、急激な衝撃荷重に、ロープを持っていた男が耐えられなかったのかもしれない。あるいは、引っ張られたときによろけて、クレヴァスの上で中の様子を窺っていた男にぶつかり、そのぶつかられた男が落ちてきたのかもしれない。
いずれにせよ、上にいるのは救助隊員3人と教授だけになった。そのうち一人は怪我をしている。それでも、他の救助隊員が戻ってくるのを待つのではと思っていたのだが。
「俺がクレヴァスのところに着いたときには、誰もいなかったぞ。ザイルもなかった」
「ええ、そうだと思ったわ。怪我人を下へ運ぶにせよ、一人くらいは留まるはずなのに、どうして誰もいなくなったのか、私には解らない」
あの時、少し離れたところから教授が俺に声をかけてきた。「あの女を救うな」と言っていた。彼がマルーシャを助けるのに反対したからといって、救助隊が諦めることはないはずだが。
「あるいは、留まっていた一人も何かの弾みで別のクレヴァスに落ちたか」
「考えにくいけれど、そうかもしれない。あなたも、あのクレヴァスに近付くべきじゃなかった」
結果的に俺は落ちなかったから、それは言わなくてもいいんだよ。
しかし、もしその推測が正しいなら、彼女のせいで3人がクレヴァスに落ち、一人が怪我をしたことになる。しかも彼女自身もクレヴァスの下の方に落ちて、大怪我をした。
それほどの危険に他人を巻き込んでまでも、ターゲットを獲得しようとするなんて、正気じゃない。教授はそれを目の当たりにしたので、「あの女を救うな」と言ったのだろう。
仮想世界とはいえ人命を軽視し、またその行為の余波によって他人を不幸に巻き込む彼女の“
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