#12:第4日 (8) サレルノへ35マイル
ロビーにはマルーシャとアルビナが来ていた。マルーシャは俺の顔を見ると、さっと立ち上がり、目で付いて来るように指示した。そうされなくても付いて行くつもりだった。
ホテルを出て、向かい側の駐車場へ行く。3階建ての2階に停めてあった、白いスポーツ・カーにマルーシャが乗り込む。ここへ来た車とは違っている。
助手席に乗った。後部座席はない。つまり、
「ランボルギーニか。車種は知らないが、時速何マイルくらい出る?」
「225
「まさか、ガソリン・エンジン?」
「いいえ、水素燃料」
「環境に良さそうだな。で、今夜は何mph出す予定?」
「あなたが到着したい時刻次第」
時計を見た。7時25分。
「シャワーを浴びてから行きたいから、サレルノのプラザ・ホテルへ8時15分に着くようにしてくれるか」
「了解」
ライトが点灯し、車が静かに走り出す。電気車特有の、音のない走行だ。駐車場を出て、タッソ広場を東に折れ、ソレントの市街地を通り抜ける。
「詳しい話は明日聞くことになった」
「そう」
「君はもちろん知ってるんだろうな。ターゲットがどこにあるかとか」
「ええ」
「1分で話せるだけ話してくれないか」
「ナポリ南西の、小さな島に建つ屋敷の、地下金庫の中の物を奪う予定。ターゲットは金塊と宝石。私が警備システムを止めている間に、あなたが金庫を開ける。中身を運び出すのはあなたの他に二人。決行はおそらく6月30日未明。詳しいタイムテーブルは私も知らない。金塊を運び出す手順も知らない。知っているのは教授とヘル・マクシミリアンだけ。ただ、セニョリータ・ゴディア……アルビナが用意している道具から、何となく想像しているわ」
30秒で説明が終わった。マルーシャは“何となく想像”と言っているが、その想像はきっと当たっているだろうという気がする。
「すると俺たちは、映画の全体シナリオを知らずに、部分的な台本を渡されて練習している俳優ってわけか」
「今はそれで十分」
「だが……」
最後にターゲットを掠め取るのはどうするのか、と言おうとして、もしかしたらこの車に盗聴器が仕掛けられているかも、と考えて黙った。盗聴器でなくても、レコーダーが車内の音声を録音している可能性もある。
「何を話しても大丈夫。後で消しておくから」
「そんなこともできるのか、君は」
「このステージ限定の能力だけれど」
そんなのもあるのか? そういえば俺の解錠能力も、いつもよりアップグレイドされている気がする。
しかし、ゼロの能力が10になるわけじゃあるまい。10が15になる程度だ。つまり彼女は元々コンピューターに詳しい、ということになる。それがどれくらいの能力かは判らないが、普通にクラッキングできそうだな。
「じゃあ、訊くが、ターゲットだけどうやって奪う?」
「詳しい計画が判らないと決められない。候補はいくつか考えたけれど」
「そしてきっと俺がそれを実行するんだろうな」
「そう。あなたが屋敷に忍び込むから、その時にすり替えるしかないもの」
「じゃあ、詳しいことは後日話し合おう」
「ええ」
「その時は、俺が君の部屋に行くのか、それともその逆か」
「それも後日にならないと決められないわ」
「ところで、ノルウェイの時のことを話してくれることになっていたが」
「帰りの方がいいと思う。今話したら、あなたが夕食中に気になるかもしれない。そうしたら、あなたの相手に悪いわ」
「
市街地を抜けて山裾に近付くと、ランプをぐるりと回ってトンネルに入った。高速道路だろうか。ものすごい勢いで加速していく。80マイル、90マイル、100マイル、120マイル……
そういえばソレントに連れてこられたときも、これくらいのスピードだったような気がする。イタリアの高速道路って、アウトストラーダだっけ。制限時速はないのか?
150マイル! 空いてるからって、そんな速度出してんじゃねえよ。それとも、この車の最高速度を試すつもりかって。
「まだ日が暮れてないんだぜ。警察には注意してくれ」
「ええ、この車なら振り切れるわ」
そんなことは言ってない!
トンネルの出入りを何度か繰り返した後、オメガ・カーヴのような大蛇行をしたと思ったら、夕日を受けてオレンジに輝く独立峰が前方に見えてきた。ヴェスヴィオ山だろう。夕日は左手から射している。向かう方角は北だ。ナポリへ行ってしまう。
「道、間違えてないか?」
「ポンペイのジャンクションでA3に入るのが一番早いの。でも、A3はこの時間、渋滞していることが多いから、急いでるだけよ」
どうしてそんなことまで知ってるんだよ。ああ、そうか、昨日の夜もここを走ってるんだったな。その時はアルビナが運転してたんだろう。
ジャンクションで急転回し、東へと向かう。急に速度が落ちた。といっても、90マイルほど。たぶんこれくらいが制限速度だろう。
夕闇が降りてきて、前方におびただしい数の赤いテイル・ランプが、列をなしている。
「ところで、俺がサレルノに泊まっているのを、どうして知った?」
「この時期、アマルフィ海岸のホテルは満員。私も断られたもの。だからソレントかサレルノに泊まることになるけれど、あなたならサレルノへ行くと思った。そちらの方が大きな町だから。それで、サレルノのホテルの予約システムを調べてみたら、プラザ・ホテルにあなたの名前があった。ホテルで待っていようと思ったけれど、部屋に入ってみたらベッド脇のサイド・テーブルに地図が置いてあって、“ギンザーニ”という
それだけって軽く言ったが、二つほど違法行為をしてるよな。ホテルの予約システムを調べたってのは、クラッキングしたってことだろ。
それに、ホテルの俺の部屋に入ったって? 確かに、夕食へ行く前にシャワーを浴びて着替えて、その時に地図は置いていったが、どうしてこうもさらりと白状できるかなあ。やっぱり“倫理観”の問題だよ。
「ついでに、俺の部屋に盗聴器を仕掛けたとか?」
「ええ、でも、外しておくわ。あなたと仲間になれなかったときの保険だったけれど、どうやらなれたみたいだから」
やっぱり仕掛けてたのかよ! ただ、昨夜はソレントのあの家に泊まっていたから何も聞かれてないと思うが。いや、待て、あそこにも仕掛けられてた可能性があるぞ。うむ、絶対仕掛けられてるな。
「そのうち、君の部屋にも盗聴器を仕掛けさせてもらう」
「ええ、構わないわ。あのコンピューターを置いている部屋が、私の寝室。独り言は呟かないけれど、寝言は言うみたいだから、後で何と言っていたか教えて」
それくらい、自分で録音しとけ! それに、よく考えたら彼女が独り言か寝言を言うとしたらウクライナ語だ。何を言ってるか、どうせ判らない。
車はいつの間にか南へ向かい、山間部を走っていた。急に前方が開けたかと思うと、海が見えてきた。そして山肌を巻きながら西へと進路を変え、右手にサレルノの黄昏の景色が広がった。まだ暮れきっていなくて、西の空が赤い。海も同じ色をしている。
夕景というのは、美しいのになぜか心を寂しくさせる。隣に恋人がいれば肩を抱き寄せたくなるし、相手もそれを望むに違いないという気がするが、今、隣に座っているのは恋人ではないし、しかも高速で運転しているので、肩を抱き寄せたら事故を起こしかねない。
短いトンネルを抜けると前方の山の上に懐かしのアレキ城が見え、城下のトンネルを抜けたところのランプで下道に降りて、市街地へ入った。
せせこましい道を何度か折れたと思ったら見憶えのある通りに出て、やがてプラザ・ホテルが見えてきた。車にナヴィゲイションは付いているが、マルーシャはその画面を一度も見ていない。どうしてこんなにも道をよく知っているのかと思う。二晩泊まった俺でも憶えてないのに。
「君はソレントへ戻るのか?」
「いいえ、そんなことをしたら、向こうに着いてすぐ折り返すだけになる。この辺りで夕食を摂って、ホテルのロビーであなたが戻ってくるのを待っているわ」
「君がこの辺りでいい店を知らないのなら、プラザ・ホテルのレストランに行ってみてくれ。何なら、俺の部屋番号で食事代を払ってもいい」
「ありがとう」
彼女が店の食材を全て食い尽くそうが、俺の知ったことではない。
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