#12:第4日 (6) 合否判定

 マッサージが終わると、アルビナはまたソファーの上に仰向けになった。俺の監視以外に、することがないのだろうか。

 三脚をソファーに引き寄せて、座りながら、ピックで解錠してみる。膝の上に置いてやるより格段にやりやすい。

「ピン配置を変えてくれ」

「了解」

 三脚を傾けてアルビナに渡すと、仰向けのまま起用に工具を操って錠をいじっている。車の修理工が、車体の下に潜り込んで作業しているときのようだ。目が合った。

「私の胸ばっかり見てるのね。いやらしい」

「見てないよ」

「胸が大きくて首が凝るだろうなとか思ってるんでしょ」

「思ってないよ」

「頭の中でアンナの胸と大きさを比べてるんでしょ」

「比べてないよ」

「見てるくせに見てないって言う人、好きじゃないわ」

「男が常に胸を見てると思ってる女は、好きなじゃいな」

「自慢したいくらいなんだから見られたって構わないの」

「じゃあ、どうしていやらしいなんて言うんだ?」

「いやらしいとは言ったけど、嫌だとは言ってないわ。はい、できた」

「コンビネーションの番号も変えておいてくれ」

「了解!」

 面倒くさい女だなあ。見なければ見ないで、また何か言うんだろう。人の目を見ずに物を頼むのは失礼だとか。

 しばらくしたら、食い物の匂いが部屋に漂ってきた。

「ああん、いい匂いしてきたー、楽しみー! 今日はプロヴァンス風のフレンチだって。牛肉の煮込みとラタトゥイユ、それにパスタを合わせるって言ってたわ」

 言いながら、アルビナは肘掛けの上に置いた足をバタバタさせる。子供かと思うくらい喜んでいる。

「料理の味が判る奴は羨ましい」

「あなた、判らないの? でも、アロイスも判らないみたいなのよね。アル……んんん、そういうのって、とても可哀想だと思うわ」

 今、何か言いかけたな。名前か。彼女はスペイン、マルーシャはウクライナ、マクシミリアン氏はたぶんドイツ。なのにフランス料理ということは、フランス人がいるんだろう。

 名前はアルム? そいつは何をする役割なのか。

 しかし、匂いがし始めてからなかなか昼食の声がかからない。ようやくドアにノックがあったのは1時前だった。アルビナがソファーから跳ね起きてドアへ飛んで行ったが、俺が一緒に行こうとすると、「あなたはこの部屋で食べるのよ」と言う。

「この部屋、テーブルがなくて食べにくいんだけど」

「ああ、そういえばそうね。でも、この一食だけだし、我慢してくれないかしら」

「外のテラスのテーブルは?」

 ノックをしに来たマルーシャが口を挟む。

「そうね、あれが使えるかしら。ちょっと待ってて」

 アルビナが部屋を出て行って、しばらくして木製の丸テーブルを抱えて戻ってきた。しばらく風雨にさらされていたようで、木の色が褪せているが、一応拭いてくれてはいるようだ。

 しかしさすがにこれでは、と思っていると、小脇に抱えてきた白いシーツをその上にかぶせた。ふむ、これなら何とか使える。

「これでいいわね。じゃあ、料理を持ってくるわ」

 そして二人とも行ってしまったが、料理を持って来たのはマルーシャだった。深皿に牛肉の煮込み、大皿にスパゲティ。一緒に入っている野菜スープがラタトゥイユだろう。

 胸ポケットに刺してきたフォークとナイフとスプーンをテーブルに置く。そして、パンツのポケットからオレンジ・ジュース……缶入りの。

 この料理にオレンジ・ジュースというのはいささか変だが、俺がアルコールを飲めず、オレンジ・ジュースばかり飲んでいるというのを憶えてくれているようだ。

「ありがとう」

「後でデザートを持ってくるわ」

 そんなのまで買ってあるのか。要らないとは言わないが、君が食べてしまっていいよとも言いたくなる。マルーシャが行ってしまってから、フォークで牛肉のひとかけらを突き刺して口の中に入れてみた。

 うううーーーんんん。

 うまいのかな、これは。


 昼食の後もひたすら解錠の訓練。マルーシャではなくアルビナから昼食の感想を訊かれたが、よく判らないと答えたら味覚障害を疑われた。

「あんなにおいしかったのに、どうして判らないの?」

 味は判るが、うまいかどうかが表現できないだけなので、障害ではないと思う。そもそも、仮想世界で微妙な味が判ることの方がおかしいんだよ。

 それはともかく、解錠の方はだいぶ慣れてきたので、所要時間が少し縮まった。ただ、ダイヤル錠もシリンダー錠も、構造が少し違う物がもう一つずつあるはずだが、そちらの方の訓練はしていない。

 しかし、この二つで訓練して、見込みがありそうなら他の二つも後で訓練すればいい、という意図だろう。アルビナに番号やピン配置の変更を頼むペースも上がってきたので、「これだけで夕方まで時間が潰れちゃいそう」と言われた。

 もっとも、彼女は錠の設定を変える以外は何もしていないので、これがなかったら何をして時間を潰していたのだろうと思う。

 4時頃にアルビナが出て行って、またマルーシャが代わりにやって来た。アルビナは車に乗ってどこかへ行ったようだが、買い物か、あるいは気晴らしでドライヴに行ったのかもしれない。一日中、家の中に閉じこもって何かしているのが好きとは思えないからな。

 マルーシャは、俺に頼まれて錠をいじっている以外は、ずっとラップトップを触っている。彼女がどういう役割かはまだ訊いていないが、それも後で聞けるだろう。

 6時になると、金庫のある部屋に呼ばれた。訓練後の実力確認テストというわけだ。

 後ろで見ているのは3人。アルビナとマルーシャとマクシミリアン氏。謎の同居人は姿を見せない。今回はその3人が時間を計る。

 3回やって、4分40秒から50秒の範囲に収まった。訓練していない方の錠も、指が慣れたせいで開ける時間が短くなった。指が疲れていなければ、もう少し縮められたかもしれないが、今はこれ以上無理。

 それにしても、これほどぶっ続けに訓練したのは、初めて錠の仕組みと開けるコツを憶えたとき以来だな。高校生くらいだったか。

「では、7時までにもう一度君を呼ぶ。それまで部屋に戻って待っていてくれ」

 マクシミリアン氏が重々しく言った。その時に最終的な決定が伝えられるわけだ。もっとも、何分何秒ならこうする、というのが既に決めてあって、これからの何分かはその確認に使われるだけだろう。それほど待たされないとは思う。

 予想どおり、10分ほどの後にドアにノックがあった。6時30分。また下の部屋に降りる。ところで、さっきから目隠しをされなくなったが、見られて困る物はもうなくなったということかな。

「これから君に改めて説明したいことがある。そのために、君をある人物のところへ連れて行かなければならないが、一緒に来てくれるかね」

 合格、ということなのかな。そのある人物とは、ここにいた――もういなくなった――人物なのか、それとも別人なのか。

「その人物と話をした後に、8時半までにサレルノに着くことは可能?」

「話は30分もかからんはずだし、サレルノまでは1時間ほどだから、間に合うだろう」

「誰が送ってくれるんだ?」

「車を貸そう。自分で運転してくれ」

「運転できない。ライセンスを持ってないんだ」

「失念していた。そうだったな。では、アルビナに送らせよう」

「ええー!? でも、サレルノまで行ってたら、夕食を食べるのが遅くなっちゃう。行って戻ってきたら9時半でしょ?」

「それくらいのことで……」

「では、私が彼をサレルノへ送ります」

 まさか、マルーシャがそんなことを言い出すとは。

「夕食はどうするの?」

「あなたは彼とヘル・マクシミリアンを会見場所まで送って、いったん戻って来て。私はその間に夕食の準備をして、それからあなたに会見場所まで送ってもらう。そこでもう一つの車を借りて、彼をサレルノへ送る。あなたとヘル・マクシミリアンはここへ戻ってきて夕食。この手順でいかが?」

「ああ、それならいいかも。あたしだけ2往復するのは面倒だけど、サレルノまで行くよりは全然ましね。夕食も温かいうちに食べられそうだし」

 アルビナの言葉を聞いて、マクシミリアン氏はしかめっ面を作り、ため息を一つついたが、「では、すぐ出ることにしよう」と言った。アルビナの言うことは、極力聞くことになっているのだろう。

 外へ出て、3人で車に乗り、いずこかへ向かう。曲がりくねった山道を猛スピードで走るので、目隠しをされていたときよりもひやひやしたが、15分ほどでソレント市内に着いた。

 ヴァローネ・デイ・ムリーニのすぐ近くにある、プラザ・ホテル……何のことはない、俺が谷のことを教えてもらおうとしたり、アルビナに声をかけたりしたホテルだった。

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