#12:第4日 (5) マッサージ

 10時になったらアルビナが出て行って、マルーシャが部屋にやって来た。椅子とラップトップを持ってきて、その椅子に座って、ラップトップで何か作業をしている。

 コンピューターは通信ができるが、俺たち競争者コンテスタンツは通信の制限があるはずで、彼女は何をしているのかが気になる。

 コンビネーションの番号を変えてくれと頼んだら、即座にやってくれた。アルビナに比べて、手の動きが優雅で滑らかに見える。彼女はおそらくアルビナの代わりに工作係ができるだろう。

 そして俺の代わりに解錠もできるに違いない。それなのに、どうして俺を仲間に引っ張り込もうとするのかが、解らない。

「ところで、君のこの前のステージは、ノルウェイか?」

「ええ」

 俺にとっては2ステージ連続でも、彼女にとって同じかどうかは解らない。間に別のステージが挟まっている可能性もある。俺と彼女の時間が同じように流れているとは限らない。

 もしかしたら、順番が逆転して……はないかな。記憶の都合というのもあるだろう。ステージの登場人物のことは忘れるかもしれないが――それに備えて、ベルギーのステージから関係した人物の名前は全て書き留めてある――、他の競争者コンテスタンツのことは憶えている。ステージの順番が逆転していたら、過去と未来の記憶で混乱が発生する。

「骨折は治ったかい」

「ええ、すっかり」

「山頂でターゲットを入手してから、クレヴァスに落ちるまで、何があったのか話してくれるという約束だったよな」

「ええ、話すわ。ただ、今だとあなたの訓練時間がなくなるから、夜にしてもらいたいけれど」

「7時以降? だが、俺がお払い箱ディスミストにされた場合はどうするんだ」

「あなたはそのシナリオを望むの?」

「決めるのは俺じゃない。しかし、俺にも決める権利があるはずだ。そっちが必要としても、俺の方から断るという権利がね」

「それは認めるわ」

 マルーシャはラップトップから俺の方へ視線を上げて言った。上目遣いで睨まれている気がする。また俺を催眠術にかけようというのか。

「ただ、その場合、あなたは他の二人のうちのいずれかと組むことになる。でも、その二人が既に組んでいる可能性が高いわ」

「君はその二人を知ってるのか?」

 俺は一人しか知らないんだが。

「私が知っているのは一人だけ。彼は何でもできるわ。その気になれば、一人でターゲットを獲得できるかもしれない。だから私は彼と組みたかった。彼をスカウトするように、ヘル・マクシミリアンに依頼した。ヘル・マクシミリアンは彼に接触したけれど、断られた」

「それで君は、代わりに俺を探すように依頼した……のはいいが、その男ともう一人が組んでいる可能性が高い理由は?」

 もう一人はレベッカ・フォンテイン。初日以来、見かけていない。マルーシャは彼女のことを知らないようだ。訊かれてないのだから、まだ言う必要はないだろう。

「彼は昨日、カプリ島とソレントへ来ていた。たぶん、あなたの行動を見るために。でも結局、あなたとは接触しなかった。彼はあなたを選ばなかった」

 とすると、あのインド人が? しかし、あの男もマルーシャも、どうして俺の行動をちゃんと把握してるんだ。

「君もカプリ島へ来ていたのか?」

「いいえ、カプリ島へ行っていたのはヘル・マクシミリアン。私は報告を聞いただけ。ヘル・マクシミリアンは計画の一部を彼に話した。それによって彼は、ターゲットがどこにあるのかを知ったはず。その上で断ったということは、彼は一人で行動することを決めたか、もう一人の競争者コンテスタントと組むことを決めたかの、いずれか」

「ちょっと待て、ターゲットって……マクシミリアン氏たちが盗もうとしているのが、俺たちのターゲットなのか?」

 思わず大きな声を出しそうになり、慌てて抑えた。マクシミリアン氏はさっきどこからか戻ってきて、入れ替わりにアルビナが出て行ったのだ。聞かれたらまずい。

「そう。ただ、彼らが盗むのはターゲットだけじゃない。私たちは、彼らの作戦に荷担した上で、“レモンの宝石ジュエル”だけを掠取する。それがここで用意されたシナリオの一つ」

 待て待て待て。俺は3日かけてもターゲットにつながる情報は全く手に入れられなかったのに、どうして彼女はその情報を知っていて、なおかつマクシミリアン氏たちの計画を知っていて、その一味にまでなってるんだ。

 全く敵わないな。やはりナカムラ氏の言うとおり、先にソレントかナポリ――おそらくナポリの方――へ行っていれば情報が入手できたのかもしれないなあ。

「解った。詳しいことは君から聞くより、マクシミリアン氏から聞くことにしよう。それはそうと、ダイヤルとピックの触りすぎで指が疲れてきたから、休憩する」

「マッサージは?」

 何だと?

「君、そんなことができるのか」

「ええ」

「そういえば君はさっきからずっとキーボードを叩いているが、肩凝りスティフ・ネックにならないのか」

「なるわ」

「そういうときには自分でマッサージしてるのか」

「ええ」

 フットボール・チームだとフィジカル・トレイナーがマッサージしてくれるから、自分ではやらないな。もっとも、指が疲れるとか、肩凝りスティフ・ネックとかは、フットボールでは無縁だが。

 んん、俺は何を考えてるんだ? 俺がマッサージをしてやろうかと彼女に提案すると、彼女の身体に触ることができる? 彼女を気持ちよくしてやると、俺への態度が軟化する……別に、そんなつもりはないし、彼女からも頼んできたりしないだろう。

 えーと、彼女はどうして俺を見てるんだっけ。そうか、マッサージが必要かどうかの回答を待ってるんだった。おかしいな、どうして彼女に見られてると、思考速度が遅くなるんだ?

「いや、今はマッサージはいい。もっと疲れてきて我慢できなくなったら頼む」

「了解」

 しばらく休憩してから、また解錠に取り組んでいると、外で車が砂利を踏む音がした。アルビナが戻ってきたようだ。しばらく元気のいい足音が建物中に鳴り響いていたが、ドアにノックの音がしたと思ったら、こっちの返事も聞かずアルビナが顔を覗かせた。

「チャオ、アンナ、頼まれた材料買ってきたわよ」

ありがとうグラツィエ

 マルーシャが出て行って、代わりにアルビナが入ってきた。手に何か持っている。カメラの三脚と木の角材と、工具箱だな。シリンダー錠を固定するための台を作ってくれるのだろう。

「手伝おうか?」

「一人でできるわ。少しだけうるさくなるけど、我慢して」

 メジャーでシリンダー錠の台座の長さを測り、ノコギリで角材を適当な大きさに切り、組み合わせてU字型を作り、釘で打ち付け、ドリルで穴を開け、三脚の台座のねじに固定し、そこにシリンダー錠をボルトで取り付け……確かに、すぐに台ができた。三脚だから高さを自由に変えられて便利だ。

「材料は全部買ってきたのか」

「いいえ、角材だけよ。三脚は別の目的に用意してあったの。工具箱はもちろん私の常備品。どう、これで」

抜群だエクセレント。ありがとう」

どういたしましてプレーゴ! ところで、開ける時間は縮まった?」

「少しはね。でも、だいぶ指が疲れてきた」

「マッサージしてあげるわ。右腕を貸して」

 アルビナの方がマルーシャよりも積極的だった。しかし、たぶん俺の筋肉を触るのが目的だろうという気がする。

 とりあえず、右手を預ける。アルビナは親指の付け根、親指と人差し指の間、親指と中指の間、掌の中心など、色々なところを指で押していたが――痛くて思わず声を上げそうになったが――、そのうち前腕の中程から肘の間の筋肉をマッサージし始めた。

 確かに、その辺りにも指の筋肉がある。触り方が何となくいやらしいのだが、なぜか気持ちいい。

「マッサージが得意なのか」

「そうでもないわ。ただ、工作をした後は腕が疲れるから、自分でよくやってるの。どこをマッサージすると気持ちいいか知ってるだけよ」

 疲れが取れるんじゃなくて、気持ちいい? まあ、それでもいいのだが。

「いい筋肉ねえ。上腕でマッサージして欲しいところある?」

「ないな。使ってないから」

「じゃあ、首の辺り。下を向いて鍵穴をずっと見てたんだから、首が凝ってるんじゃない?」

「まだそれはないな」

「疲れる前にマッサージする方が効果あるのよ」

 身体を触りたいだけじゃないのか。オーストラリアにもこんな女がいたな。

「いや、そろそろいいよ、ありがとう、気持ちよかった」

どういたしましてプレーゴ!」

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