#12:第1日 (3) 計画の要

 アロイスは今日も気が重かった。教授への定時連絡の答えが、いつもと同じだったからだ。

「できなければ、降りるまでだ。私は降りても構わん」

 国防省のシステムを破るのではない、たかが個人宅の警備システムなのだぞ、と。

 その指摘はもっともだった。計画の要は、アルノルドの屋敷の警備システムを、ほんの30分ほど止めることだ。

 警備システムは、外からのクラッキングに対して通常のものよりも“多少”ガードが堅い特別製であるというだけで、国防省などのような、何重ものファイア・ウォールに守られたシステムよりは、ずっと楽なはずだった。

 実際、数人のクラッカーはそのファイア・ウォールを突破した。しかし、直後に撃退され、別のプログラムに書き換えられてしまった。誰によって? アルノルド自身が設計したガード・プログラムに決まっている!

 苦労して破っても、また最初からやり直しになってしまうため、雇ったクラッカーはみな「永遠にやり直しになりそうなのに嫌気がさして」やめてしまった。昨日も一人やめた。

 他に数人候補がいて、個別にクラッキングを試みてもらっているが、今までに雇ったのより腕が数段落ちる者ばかりで、一度でも突破できるかどうかすら怪しい。

 確かに、アルノルドは優秀なクラッカーだった。ジュネーヴの銀行の警備システムを破れたのは彼のおかげだ。

 交通管制システムも乗っ取って、不自然にならない程度に交通信号を操作して、速やかにフランスへ脱出することもできた。

 あの計画に対する彼の貢献は大きいが、もちろん、それだけでは計画全体を実行できない。計画を立てる者、事前に銀行や関係施設に潜入して調査をする者、アイテムを工作する者、金庫を破る錠前師。そしてそれらの人材を集め、また様々な物資を調達する者――それはアロイス自身のことだ――によって実現しえた。

 アロイスは自分が集めた人材を信頼していた。だが、アルノルドはその信頼を裏切った。アロイスのことも、そして他の仲間のことも。

 いや、ジーナは裏切らなかった。おそらく、彼女がアルノルドをそそのかしたのだろう。ジーナは前の教授と共に、あの計画の最初の提案者だった。

 ジーナを信用してはならないと、アロイスは教授に何度も進言した。教授は、ジーナには注意しているし、対策はあると言っていた。だが、その時間を奪われた。睡眠薬のせいだ。

 教授が口にしたものは、自身とアルビナが用意したものだったはずだが、アルノルドが何か細工をしたのに違いない。教授も、アルノルドにはうっかりしたのだろう。彼には、アロイスに次ぐ信頼を置いていたはずだからだ。

 ドアにノックの音がして、アロイスは思索を打ち切らされた。そもそも、過ぎたことを今さら思い返してみても始まらない。考えなければならないのは、次の計画だ。その要が、二つもうまくいっていないのが、余計いまいましかった。

「アロイス、アルマン、食事買ってきたわよ」

「ありがとうよ、アルビナ。おい、アルマン」

「ああ、先に食べていいよ」

 アルマンも気が重そうな顔をしている。金庫がなかなか開けられないのだ。アントニーとアメリアからの情報で、アルノルドの屋敷にあるのと同じ金庫――正確にはその錠のサンプル――を入手し、解錠の訓練をしている。だが、想定の時間内に開けられない。

 シリンダー錠が二つ、コンビネーション・ダイヤル錠が二つ付いており、それを特定の順序でかつ一定時間内に開けなければ、リロッキング機構が働いて開かなくなる、というやっかいな代物であるらしい。

 アロイスは錠前についてはさほど詳しくない。他のメンバーも同じ。ジュネーヴの銀行では、金庫を破ることなく、他の建物の錠を開けるだけで済んだ。

 アルマンの父親は有名な錠前師だったが、アルマン自身は熟練者エクスパートの域には達していない。かといって、父親を頼るわけにはいかない。もうこの世にいないからだ。

「でも、開けられるようにはなったんでしょ?」

「ああ、しかし、時間がな」

「大丈夫よ。アルマンなら、もう少し訓練すれば、ちゃんとできるようになるわ」

 そうだといいが、そう簡単にはいかないだろう、とアロイスは思っていた。アルビナも、気楽に構えているような口ぶりだが、実際はアルマンを安心させるために、そう言っているだけに違いない。

 一番焦っているのはアルマン自身だ。いらついてもいるだろう。そして訓練では時間内にできるようになっても、本番ではどうか判らない。

 彼はメンバーの中で一番若い。そして彼の仕事は今回の計画の要の一つでもある。緊張で指が震えることもあるだろう。彼の持ち時間が切れることは、即失敗を意味する。

 アルマンを残したまま、アロイスはテーブルに着いた。

「どうした、デザートなんか買ってきて、珍しいな」

「アハ、ちょっとね。そういう気分になったから」

 アルビナが買ってきた昼食は、持ち帰りのピッツァとパスタとミネストローネ。いつもその程度なのだが、今日は菓子を買ってきたようだ。買い出しは3人の順番制にしている。

「何だ、こりゃあ」

「デリツィア・アル・リモーネ。ヴァレリーの店で買ってきたの」

「ブランシュにでも薦められたのか」

「まさか。あの女はとにかく何でも食べるだけよ。これはたまたま、今日SNSで話題になってたから」

「何が?」

「プラザ・ホテルのカフェ・ラウンジで、女のお客がデリツィア・アル・リモーネを食べまくってたんですって。一人で15個も食べたらしいわ。周りの客が珍しがって、写真を撮ってSNSに上げたのよ。それで、町中でこれが売れてるんだって」

「それでお前も買ってきたのか」

「だって、面白いじゃない。たまにはこういうのもいいものよ」

 これが写真、と言って、アルビナがタブレットを見せてきた。ごく薄い色のブロンドの、スラブ系の顔つきの女が、優雅な仕草でケーキトルタの欠片を口に運んでいる。胸だけは不自然に大きいが、全体的に見てやせ形だ。こんな女が、ケーキトルタを15個も食えるはずがない、とアロイスは思った。

「結構な美人だと思うでしょう?」

「ああ? そういえばそうかもしれんが、角度が悪くて、顔がよく判らんな」

「他の写真があるわ、ちょっと待って。アマルフィでも目撃されたらしいのよ」

 アロイスは別に興味があるわけではないのだが、アルビナは嬉しそうな顔でタブレットをいじっている。彼女の仕事の大半はもう終わっているので、暇なのだろう。

「これなんかだと、顔がよく判るわよ」

 それよりもアロイスはアルマンの方が気になって、そちらを見ていた。アルマンは何度もため息をつきながら、コンビネーション・ダイヤル錠と格闘を続けていた。

「どれ……ああ、まあ、そういえば美人かもしれんが、俺はこういう冷たい顔つきの女は気に入らん」

「名前も判ってるわよ。キエフ大学、情報工学准教授、アンナ・ジェレズニャク」

「最近はそうやってウェブで名前がすぐにバレるから困る」

「こんなに目立つ女だからよ。あたしたちならバレないわ」

「……待てよ、アンナ・ジェレズニャクだと!?」

 アロイスは立ち上がると、別のテーブルに置いてあったタブレットに慌てて飛びつき、人名リストを開いて検索した。一瞬で検索は終わり、女の顔写真とプロフィールが表示される。

「アロイス、どうしたの、そんなに慌てて?」

「そのジェレズニャクって女は、有名なクラッカーだ!」

 有名といっても、裏の世界のことだ。

 表の、計算機工学の世界では、あらゆるコンピュータ技術に通じた“ハッカー”として知られている。

 そして裏、ごく一部のコンピューター犯罪関係者には、その技術を不正なことに使用する“クラッカー”として知られているのだ。特に、ファイア・ウォールのクラッキングを得意としていると。

 アルビナが驚いて駆け寄ってきた。アルマンもダイヤルを回す手を止めてアロイスの方を見ている。そのアルマンを手招きで呼び寄せ、アンナ・ジェレズニャクのことを詳しく話してやった。アルマンは呆然と、口を開けて聞いていた。

「この女と接触してみよう。アルビナ、手伝いを頼む。アントニーとアメリアにも知らせよう」

「でも、どうやって接触するつもり?」

「どこにいても目立つほどの美人なんだろう? それに、ケーキトルタが好きなら、他の店でも同じようなことをやらかしているはずだ。ウェブの情報に注意して、アントニーとアメリアと連絡を取り合ってくれ。見つけたら、交渉は俺がやる。いや、学者だそうだから、教授にもお出まし願おう」

「解った、調べてみる。SNSの発信地を地図上にプロットしたら、行方が追えると思うわ」

「アルマン、お前は心配するな。お前は金庫を開けることに専念してくれればいいんだ。もちろん、頼りにしてるが、余計な重圧を感じる必要はないんだぞ」

「解ってる。解ってるよ、ありがとう、アロイス」

 アルマンは金庫の方へ戻っていった。

 アンナ・ジェレズニャクのことは、教授にも訊いておいた方がいいだろう、とアロイスは思った。もしかしたら、学術関係で何らかのつながりがあるかもしれない。

 情報屋からも、詳しい情報をもっと仕入れた方がいいだろう。腕はよくても、信用してはならない類いの女かもしれないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る